TORABARA むつき12日

温泉行って映画見よっと思ったけど、温泉が長引いて、映画は、またこんどにしよっか。温泉の後で、食堂でまどろむ。ビールと味噌野菜ラーメン。おいしーい。

地図を見たら文学館が近くて、見たかった展示、前に聞いてたやつ、だったので行く。

歩けた。

ここに来ることを思い付いて良かった。日本の文学界の、黄金期を共に生きた、ドナルド・キーンさん。なんて出会うタイミングは約束されたみたい。このひとは、この物語を生かされている。という眺めだった。ふむふむ。

有名なひとたちのアウトライン、を知っとく、だからなんなのか。かつての芥川賞作家との対談は、文学的な知識が深いからキツかったと、キーンさんが述懐していて、わたしは去年、そのキツい人の孫イベントに行き、厭な思いをした。そのことも思い出した。

孫が、冒険家で、誠意を持ち、イベント開催していらっしゃるとはいえ、何年も遡ってそのイベントへ行ける時は行っていたわたし。それでこちらがいつも来てくれるひととニンシキされていたか、全くの無。であった。サインをいただくときに、直に聞いてしまったので、取り返しがつかない幻想の壊れ方。以来、孫のことを応援するのはやめていて、活躍のアウトラインをなぞることの無為、を、わきまえるようにしている。

(追記)その活動を、ばかみたい。と思うひともいて、そういうひとはわざわざ会場へは行かないだけで、活動を、発表していることへの、けんきょさは要るとおもう。わざわざ足を運んだひとへの横柄な態度、は、無しだよな、悲しい。

キーン氏は、いいことを書いてらっしゃると聞くので、是非、本を読み始めようと思う。文庫本も入手。

ゆっくり、一歩づつ、今年が形つくられてゆく。今日は、温泉の浴室に、一条の太陽光が刺していて、浴槽の淵に当たり、Vの字に折れ曲がり、その折れ曲がった先に正面から顔を近づけて日光浴をしていたというか、光の筋に、やわらかな湯気がモクモク沸いて照らされている様子を、ぼっとうして眺めた。この時間が、良かった。

TORABARA むつき11日

今日は、ゆるゆる六本木へ行った。

去年は、全く、六本木をたのしまなかったかも?わたしの勤め先が、ヒルズ。のちにミッドタウンになった頃、毎日通ったエリア。

一度入ったことあるハンバーガー屋さんが明日で閉店するらしかった。間に合って、最終晩餐会みたいに豪華なのをいただいた。ビーフ、ゴーダ。黒生ビール。

マチュピチュ展を見た。世界のあちこちを巡回しているらしい。写真は撮らない。儀式で実際に使用していた道具を展示してある。念は生きたままだとおもった。生贄を天に捧げるって、この器の鏡面に、いったい何を映してこんにちに至るのか。わたしは、刀の名前を、知っていた。トゥミ。以前、いつ見たのだったか、頭に名前がよぎり、わお、当たってるんですけど、と、自分にびっくりした。

高度な文化が、アンデス一帯にあったこと、造形がわかりやすい形状をしているというか、大胆に簡略化してあり、分量がたっぷりとしていて、好みである。

そののち、少々ビルを見て歩いた。お化粧やさんで、ちっちゃい顔で長身の女が、どろどろ、と言ってて、泥施術のことなのだけど、訛りは茨城県のひと。ヒルズは、実は、店員さんたちがおのぼりさん達。だから、びびらなくてよろしいのです。

六本木の空気は、時々、吸いたいっておもった。

TORABARA むつき10日

朝、ムカつく一幕があり、ババアの胸ぐらをつかむところだった。瞬間的な沸騰。テメーコノヤロウって口走った。もっと具体的な言語化が追いつかなかった。とにかく、塩を撒いた。帰宅して、玄関ドアの外に向かって。ババア、というのは穢れだ。しばらくそのスーパーマーケットにも近寄らないこと。

用事を、次々片付ける日。マイナンバーカードの更新。予約した本を受け取る。読み終えた本の、図書館への寄贈。解約するネットルータ配送手配。確定申告資料を印刷。返し忘れてるお守りを納めるがてら、ひんぱんに通わせていただく神社さんへ、詣でる。

今年初に、詣でる。今日も尚、参拝客が大群で押し寄せていて長蛇の列が、幾つものびていた。向かって右の端に並ぶ。見上げると雲一つない青天。御神木の緑葉が、のびやかに聳えている。わたしは、自分の名前と住所を、心で唱え、そのまま、去年一年間、毎月、素晴らしいご旅行をさせていただいた感謝を、ひと月づつ思い巡らしてた。

毎月、なんというかけがえのない旅を授けていただいたことか。それを、今日、ここを参拝して報告ができて、本当によかった。

飲食コーナー、外へお盆を持って出た瞬間に突風がある。甘酒が、少し減った。カバンにもかかったわ、洗わなければ。全部ひっくり返らなくてよかった。なにか、ゆさぶられるかんじ。あまり、おだやかではない。清正井へも行く。今は新しい流れは無い。それをたしかめた。

百合の花を買って一旦帰宅。となり駅へ行く。老人と打ち合わせた。老人は、正月に、みすぼらしいジャンパーを着ていて、それを、直に聞く。なぜ白い新しいシャツが用意できないか。

寒山拾得のように、質素を実行している。と、言っていた。財を、盛大に増やす話をしていて、いろいろ気が付いて見える、という境地があり、成功してゆく。ことを誓う。

雲ひとつない青い空を、しばらく見ていた時間が、わたしに残った。

TORABARA むつき9日

養老孟司さんの本を読んでいる。平易な文章で、おどろいている。難しそうだと思って今まで敬遠していた。話が、政治だとか日本論に、なっている。読者に、自分事として、日本とは?を突きつける。偉大な先生なので、ふっ、と、この本は私に関係ない。みたいな感情にもなる。自分のことが偉い、と思っているひとにとってだけ、テキストになり得る。参議院の在り様とか。作者がなぜそれを論じるか。作者がそれを諭す立場にあるから論じてあるのか。

わたしは、河合隼雄さんの著書が、とても好きだと思って読む。偉大な頭脳が繰り広げてゆく世界。というのを楽しめるから、読む。河合隼雄さんは、人間にとって、直に訴えてゆく着眼がある。世相を論じていても、いつまでも古くならない、旬な話のまま。この宇宙的冴えのある人物であったといえる。(故人)

わたしの世間話の中に、政治は、大仰な話題のため、入ってこない。養老さんの、自意識が幼い頃は過剰なのだという話、は思い当たる。しかし、それを大人がどのように扱ってゆくとよいのか。過剰な自意識に合わせて過剰に寄り添っていく態度は、思考停止してらっしゃるか、と思える。世間で、気を遣ったつもりになってる輩の、多くが、この安易な迎合。という気がしている。

私の意見を交えながら、考えが活性化してゆくような読書体験になった。養老さんの本は、後半では、政治経済がメタメッセージではない。ノイズを削ぎ落としたような、情報を、ちゃんと疑っていなさい。と書かれていた。

大きなインパクトがあった体験を、いくつか挙げてあり、震災。の時に、どこを情報の拠り所としているかによって、その人の、出来事への意味付けが変わっていたのを例を挙げて紹介されていた。

わたしの、在日の苗字した友人が、やたら中国韓国を批判したサイトを、わざわざ見に行っていて、いちいち憤ってらっしゃった。「何故、そこの掲示板を見にいくのか」見たいものしか、見ていない、という自覚の欠け。当時わたしがいだいた違和感が、すんなり、文章化出来る。

在日の苗字した友人だった彼女とは、年季を経ていよいよ、齟齬が、(認識する際の根拠が。すなわち感性が。)開きすぎてしまい、もう離れてしまったっけ。

養老さんの本は、読み終えてみると、雑記ってことになるけど、養老さんが愛されている理由が、なんかわかるかんじ。それで、また読んでみたい作家さん。作家さん?というか虫とりさん、というか、学者さん?日本有数の、有識者さん。?

TORABARA むつき8日

ぽかん。と、寂しいような気持ちになり、その気持ちを観察した。おおよその、気持ちの由来は、食べ物のせいだとおもっている。

わたしは、飲食の店が生活の主軸になり、食生活が丸ごと変わる体験をしている。それまでは、食べ物を少ししか摂取しない、栄養が足りていない暮らし、冷え性。だったのだが、大量な食事に変わり、栄養が行き渡り、血行が良くなり、一旦太り、そののち、本来の体つきに、しゅっ。と痩せた。体質改善である。

この改善に伴い、性格に含まれていた陰気な質が、乾ききって飛ぶ、というのかな、ぱあぁっとした陽気な人生に好転したようにおもう。食べ物様様で、人間は明るくなる。

較べてわるいけど、余計な肉を付けた人は、太る食事しか作れない。そしてまた、陰湿な性格は、余計な肉を付けてゆく。この相乗効果を断ち切るには、自覚して謙虚に恥じらい、強い光に向かわなければいけない。わたしは田舎で育っていたときに身につけた体を冷やす習慣を、洗い直したことで、悪い傾向が嘘のようにトレた。本当に感謝している。

田舎の暗さと、知恵の無い食べ方は、むすびついているのだ。そういえば和食で昔風な調理を、直近でいくつかしていて、その何かが、気持ちの不安定さをつくったのかも、とおもった。

食の話は奥が深くて、語り尽くせない。一番食べたいとおもうものを食べてゆく。というのが自分に成る、なりようだといえる。わたしが、なにか、へんな寂しい気持ちを察知し、食べ物を見直そうとした、というのは、自分の気持ち的に負に傾く食物は、除いてゆこう。みたいなこと。それを特定できれば、あまり多く摂らないように。

セロリ、トマト、玉ねぎ、じゃがいも、鶏肉、オリーブオイル。この組み合わせのスープが、陽気な体の基本。わたしの場合、ここを、ふる里としている。

TORABARA むつき7日

ことし初出社。礼儀正しく、年初ご挨拶をした。昼は魚市場の鮮度がいい料理が食べられる店へ。赤魚、のメニューを、あかざかな、と発音したのを正される。低い声で。これをおもしろがって、ちょっとわたしは笑ったのだが、こういう間違いに怒れるひと、でなければ魚市場料理屋は、つとまらないのであろう。大将風な女は、ちょっとこわい。

かざりけがなくて、ちょっとぬるい麦茶をがぶ飲みできて、良い。

のかな、指をかざして、風向きを調べているような日。ミルキーのキャンディを、むさぼり食べていて、甘みが足りなすぎる場所で、このミルキーで、中和されてゆくと感じる。

家のひとから、生クリーム買って。とレンラク。やっほー、夜は、カルボナーラスパゲティだった。

TORABARA むつき6日

しごとが終わってから、クッキー作りをした。

宝石クッキは、下ごしらえまでして、冷凍する。このクッキのために、厚紙で、3センチ✖️4センチの四角柱ができる型を使う。その厚紙から準備した。ハサミで跡をつける、という方法です。ちょうどいい厚紙もあった。佐渡の土産の日本酒が入ってた箱。いつまでも箱を捨てなくてよくなって、よかった。

宝石の部分は、ドレンチェリーと、アンゼリカ。どちらも緑色にしてる。アートな雰囲気になるので。

とにかく、冷凍までこぎつけて、このレシピで卵白1個分余るので、ラングドシャを、作ってしまおう。砂糖とメレンゲにする。小麦粉を入れる、溶かしバターでまとめる。ぜんぶ40g、にするのだが、小麦粉は、きもち多め(45gくらい)にすると、扱いやすくなる。

オーブン110度で、30分くらい焼くと出来上がり。家のひとが、むさぼり食べて、気に入ったみたいだった。

TORABARA むつき5日

仕事はじめ。そんなにだるくなかった。もっと、だるいとおもってたから。

仕事が終わってから、半身浴したり、日本酒いただいたりして、けっこう夜が更けたころ、カフェカーテンを縫いはじめる。

手元が冴えて、いいやつが出来上がった。ふわっとしている。すばらしいのは、前回のカーテンから付け替えることになって、前回とは似ていない生地を選べたこと。この家に似合いそうな、という発想で、布売り場で、ちゃんと、珠玉なのを見つけた。

とても、よかった。自分の、ひと仕事を進める、という心意気が強い。