あたまを占拠していることが、遠いニュースだったりする時期が、今まで、大きくは二度あった。
震災。コロナ。遠くはないのかもしれないけれど、わたくし個人的には、ほとんどなにも、こうむることがなく過ぎました。ただ、わたくしの、翻弄のされかたというか、揺さぶられ、影響を受けた。というのが、酷い動じ方といえる。わたくしの不動心を試されるための出来事だったようにおもう。
震災、を、なるべくきょりをおいたかんさつをする。という態度を、とるべきであったのに、牛乳を常備し毎日温かいココアを飲む習慣を加えてしまい、気持ちはほっとしていたのかもしれないが、太った。
コロナ。わたしは、インフルエンザの保菌者を、感じ取って避けることが出来る。熱の症状の目視。気配。咳の飛び方で、パッ。と、察知できるのだ。これをコロナに試せなかった。どれくらい、安全だったのか。空いている、飛行機や新幹線で、旅行するチャンス、と素のわたしはおもっていたのだが、人目を気にする家の人の圧力で、すべて抑えこまれた。人の目。という基準は、ちがう。わたしの深い知を、キャッチしていたのに、周りに同調して過ごした。
ワクチンの量は、アメリカ人のサイズに合わせたものをぶちこまれたらしい。打つふりだけしてくれ、二分の一だけにしてくれ、という心の叫び。注射を担当した医師というのが兵隊さんみたいだったよね、身体におよぼすえいきょうを、考える脳を、医療従事者には託さないで、政府とか国家間の取り決めのとおり。アメリカのワクチン企業に、大金を注ぐ、が先行していた。と読んでる。
なんだかわけのわからない液体を、注入されて、それを体外に排出する力が、わたしにありますように。撥ねつけられますように。
道ですれ違ったひとの中に、コロナ患者がいたかもしれないが、じっさいのかんさつは無いまま、どういうかんじがコロナか、わたしは知らない。
とにかく大仰な話題を今日、始めてるけど、一次的な情報ではないことに、こころが流されることについて、しばらく考えることになる。遠くのニュースって、何?
今日は、しごとが終わってから、近所の温泉へ行った。スポーツジムが併設されていて、毎日通う、風呂に浸かることが常態化したオバハンで混んでた。誰とも目を合わせないようにしてたけど、大きな風呂あるあるで、赤猿の群れ、みたいな光景だった。ここの美しきところは、食堂。サービスに、こころがある。
あ、今、20:00になったね!と、体が察知したというか、この勘。合ってた。
朝方のこと。窓のすぐそばを、鳥がかなりはしゃぎながら飛ぶ。弾む気持ちが伝わってくる。家の外壁、2面を、曲がりながら飛んだ。この気持ちいい旋回に、もつれそうなとらわれたじょうたいだったわたしのこころは、つられて開放された。
すぐそばの現象が、あなたの、わたしの、体験だということです。
