TORABARA やよい7日

アプリで支払える仕組みで、不正に利用されたかもという文言のメールが届いたので、返してくれと、連絡を入れた次第。その後で、わたしがアプリ利用していたやつだったと気付く。メールに惑わされたって話。不正、とか文面にあったときの、イカリ、そして慌ててしまったので、アプリのお財布はいやだと思った。それで、残額をほぼ使い果たした。すっきり。

古着が苦手なのに、ま、いっかと思って、2回くらい着て、着るたびに300円だったと、値段がよぎることと、やはり、手放したひとの、手放した念が、しっかりこもっているような気がしてしまって、今日、捨てた。もう、買わないようにしないと。値段につられるのがダメ。

新しい趣味を始めるので、小道具を揃えてゆくところのはなし。欲しい、と思った品物が、送料も払わないと買えない。ありきたりのほうは送料込みだし、安いし。でも、少し妥協することがクセになっていないか。気にいる方を、手にいれること。好きだという気持ちで持つか、お金が安いから持つか、これは全然違う。好き、でこころを決めないと、「欲」が不全感をもよおして暴れる。

好き、はからだぜんたいをととのえます。お買い物をするときに、選ぶことを大事にした。ほっと収まるかんじ。品物が、届くのが楽しみ。

TORABARA やよい6日

海のそばに、仕事で出かけた日。体に甘みがたらなくなるせいで、ひんぱんに、チョコレートをほきゅうしていた。夜景の抜群に素敵な場所。お昼は、ビストロ風なお店のワンプレートってメニュー。お洒落だった。

家具の、ソファの、凄くいいんじゃないの、というのが展示されていた。ドイツ製。さがしているときは、ほとんど見つからなくて、さがしていないときに出合う。これが家具の常(家具あるある)かしらね。

通っている駅は、通うきっかけを欲しいと思うような、しばらく行かないと、どうしても行きたくなる所です。あれも欲しいこれも欲しい。お買い物という思い出が欲しいのかも。歩くうちにすっかり上機嫌になっている。

おつかれさまでした。

TORABARA やよい5日

公園へ行って、図書館へ行って、スーパーマーケットへ行って、洗濯して、

夕方ころ、ただ時間をつぶすだけのため、道路を歩いた ようなもの。空 ってかんじのいっときがあって、よかった。

曇りだったので、予定していた美術館へ行かなかった。曇りでも、行けばよかったようなかんじ、代わりに、好きなおやつを買った。写真は、作ったほうのおやつ。おだやかな甘味で、美味しくできた。この写真をとってから、もう一度、焼いている。右のほうがまだ生っぽいから。

昨日の夜に、近所の友人と長電話をして、日常的な仕事について、無機質であるほうが 本来的な自分のままでいられる。仕事で気を遣ってしまえば、仕事だけの人生になる。仕事以外が 何も無くなる。という話をした。とある人は、気を遣う仕事をリタイアして、清掃業に替えたそうで、やっと人生を謳歌できるようになったそうです。よかった。こちらまですがすがしい。

ノルマなことを次々に片す。ミシンを使って、服をなおす。かんきつるいをすぐに食べられるように皮をむく。保存。読み終わった文庫本をインターネットで販売しよう。そして寝よう。

おやすみなさい。

TORABARA やよい4日

お着物の着付けを習う2回目。どうしてここで習おうと思ったか聞かれて、うまく答えられなかった。着付けを、今、習おうとおもったことは、私にとって、今がその時期だとおもったのであり、おおきな、すいすいとした流れが人にはあって、そんなに着物のことが気にならなかったのに、街で、すてきな着物姿のひとに目がいくようになるとか、着物まわりの小物になりそうなものと目が合うようになるとか。

着物を着せてもらう機会があったときに、ゆくゆく、着物が馴染むような暮らしになってゆく予感があった。着物を着て出かけることになる場面とか、社交的ななにか。

着物を着せてもらう機会は、神社にてあったのだけど、このたび通うお教室は、神社の名前を冠した橋のそばにあったので、こういうことはご縁だとおもった。神社の神様が、お着物着れるようになりなさい、とおくりだしている。

お着物の教室にかよっていて、とても楽しいとおもう気分の波があって、ここにきて良かった。と思った。

自分がその日着ていたお洋服をたたんでみて、和室の部屋の蛍光灯でみると、セーターはくたびれていることに気付いたり、足袋をはくときに、まざまざと自分の素足を見て、手入れしないと。ということを、普段は見過ごすので、習い事によって改まって、良くなってゆく。

ととのえました。という達成を、毎週為して進んでゆく。

TORABARA やよい3日

梅の匂いが煙がたちこめるほどの、ぶ厚い、目に見えそうなくらいも、梅って匂いで、ブンっていうかブワンってかんじで、広場から駐輪場に向かってきて、とにかく、梅の匂いだった。

家の外付けの階段に、斜め前の家の庭の梅が、まあるい花びらが、風で飛んでくる。限りなく白に近い、かろうじてピンク色な、まあるいのが、てんてんと、階段にのっかっている様子が、ここに春を告げているようで、うふふ。という気持ち。鳥の声は、今日は一層、高らかになったみたい。

さくら餅とお抹茶を、朝いただいて、夜は手巻き寿司。おいしかったです。

毛糸編みをしている。ピンク色のチョッキを、だいたい仕上げた。パイを焼きかけているやつは、あしたあらためる。かぼちゃパイにしてメレンゲをのせて、ちょっとメレンゲを焦がす。

おやすみなさい。少し気温が低い。

TORABARA やよい 2日

冷凍庫にしまっていた肉とか魚を解凍したため、火を通しておかなきゃ。おおわらわになった。焼き魚も、酢豚も、同時に出来上がってる。

朝のひとときに、公園へ行って、ベンチに座って、色鉛筆で日記を書いたりしている。家に帰ってきて、午前中のひとときに、その日記にシール貼ったりしている。ハンコも押しちゃったりして。船の絵のハンコを、先日、海のそばのビルに登ったお土産で、自分に買った。文房具屋さんを近所に見つけて、スタンプ台を買った。なぜにカラフルなスタンプ台を取りそろえていたのか、木の引き出しに、スタンプ台がいっぱいしまわれていたのです、何故に私がスタンプ台を欲しいことを知っていたのか、謎。たまたまなのでしょうけれど。

子供のころ、家で見たアニメを翌日クラスの人が知っていてしゃべることがふしぎで、アニメを見るときに、そばのガラス窓から、クラスの人がわたしの家のアニメのことをのぞかないか、今か今かと、窓を気にしたことを思い出した。

認識が、わたしちゃん中心になることが、昔に戻ってきたかんじがする。昔の自由に戻るというか。

日記に刻むということは、つかむことだと思う。その日と自分の正体。というより、日記に書くときに、飛翔するようないみのつけかえをすることで、さなぎがちょうちょになってゆく心地。

TORABARA やよい 1日

歳がかわることにともなって、熱狂的な気持ちを、なんこもはっしょうしている。

新しい取り組み のための、今までの振り返り。をして、いくつもの発見があるので、フィーバーなのです、手っ取り早いのは、何かをお買い物すること。それで、なにかあたらしいきょうちへ行けた。と、満足してゆく。

熱狂的な気持ちの理由には、もしかすると、夜見ている夢もかんけいしている。とてもすてきな国へ行っているので。

夢で行っていたらしい場所には、江の島 もあったみたい。じっさいに行ったとき、ここ、さっき来たじゃん、くらい、ほやほやのかんしょくがあった。江の島 にごえんがあることが 嬉しいと思っている。

江の島。に、とあるお正月に行き、江の島 さまから、であいを授かった。そうとしか考えられない。お礼をいわなくちゃ。やっと、手を合わせて、ごほうこくができました。けっこん。

けっこんよ!

今日は、おそらくないぞうのちょうしがそんなに弾まないため、やたらと低空飛行な昔の出来事を思い浮かべて潰してゆくような日だった。ないぞうしだいで、軽やかさと明るい未来は開いてゆきます。それでは、

おやすみなさい☆