TORABARA さつき7日

雨もふっていて、連休はきょうがさいご。朝は公園へ行って、図書館へ行って、スーパーへ行って、なるべく歩いた。午後になって、シードルを開けて、雨の音を聞いていた。ずっとイスに座っていた日。文章を書いていると、だるさを忘れるというか、本当は、家の中でやっておこうとしている活動が数々あるのにほったらかしたままだった日。

TORABARA 学校のこと2

短大で英文科をでたひとが随分、ご自身の出身大学に誇りをもっていたみたいだったけど、道端で外人にしゃべりかけられたとき、ひと言も英語がしゃべれてなくて、わたしはとても、驚いた。わたしが英語をしゃべった。

レジを打つバイトをした時に、外人が来て、レジの接客バイトの人は、何も英語がしゃべれなかった。英文科を出て、ふだんは埼玉県で主婦してる人。このときもわたしが英語をしゃべった。

学校って、英文科って?なにを教えるところだったの?

英語が武器で、就職を決めた人が、英語試験のコツを聞いてもないのに教えてきて、設問の、このタイプの時は、a)が統計的に正解する場合が多い。とかなんとか。なんじゃそれ。テクニックとしてのTOEIC。人が点数を取るマシンになってる。

学校があぶない。こんな空疎な解答マシンが量産されているのか。学力がついてゆくことに意義があるはずが、学力を問う問題だけがひとり歩きをしている。安直に点数を取ることに焦点がある。点数が上か下か。試験するの、やめちゃえよ。アホは点数しかなぞれない。

一般的な、学問といわれている学科に、わたしがほとんど理解がない。たまに、わたしは、どの学科にすすめばよかったか、興味あればこれから学びたいのは、と自問するけど、学問を受容れるきりょうがじゅうぶんでないようにかんじる。論文。って長ったらしい、何行も何書いてるかわかりにくくしてあるやつ、とうすうす伝えきいている、はおそらく無意味だとおもっている。

専門の学問領域が現在ないこと。これを後ろめたくおもったほうがいいかどおか。毎日、新しい好奇心に向かって、なにかしら活字を読んでいるけど、これと学校だの学問だのをむすびつけるつもりもない。日々の学びのかたちと学問は別ものなのだ、きっと。

憧れに届かないままだった学校、芸術領域の話。ここに通ったことの断片を宝のように今もおもう。今も、売店や文化祭へ行ったりする。この学校で特有の視点を授かることができた。夢に酔ったままの包まれた心地がある。泉のように、常に未来が生まれる場所。わたしにとって、大事な場所。やめたのに、いつまでも、好きってこともある。

TORABARA 学校のこと1

わたしは、芸術関係の領域が含まれた専門学校に通ったことがあると思うけど、カリキュラムについていけなくて、辞めてると思う。カリキュラムを肥大化してかんじていられるなんて、わたしの才能がいかにありあまるほど大きい。学校に通っている人たちに憧れをいだくことが多かった。魅力的で刺激的。こんなに素敵なことたち。と、おもっていたとおもう。

その前に、6流大学に入って、辞めてる。周りのひとたちすべて意に介さない輩。豚の肉を茹でたときに、白い脂身の灰汁がうくとおもうけど、そこにいる学生さんたちの存在が、捨てるような要らないもの。という印象しかいだけなかった。

物事を深掘りすることが出来ない、なにかを掴む力が足りない。うわばみだけが彼ら彼女らの養分なのか、と観察した。ノリ。ノリの良さ。ちょっとでも切り込んだ話をしようとすれば、こだわるー、暗いー、的な単語で塞がれ、こちらから何も喋れなくなってた。対話が成立したことがほとんど無かった。

わたしの許容量が狭かったのかと思って、再び、大学案内のサイトを眺めてみたけど、同類のうわばみみたいな人たちが、すくない脳でから騒ぎしている写真。この嫌悪感に、蓋をしていただけで、わたしからの感じ方は、なにも変わっていない。なぜにこんな大学にかかわったりしたんだろう。不毛の禿げ山。大学に入ったこともやめたことも、ほとんど他人にしゃべっていない。まだ、整理はつかない。

ただ、ここに通ったことでしか出会えなかったひとと出会えた。救いがあったというか、代償がおおきすぎたか。学費とか、恙ない進路を挫くとか。レールだといわれていることを悉く外して、アウトサイダーとして生きることで、はじめてわたしの出発点になっているので、大学が辞めるほどイヤな所、で良かった。というべきか。

すごい優秀なひと、とおもって聞くと、タイトル取ったみたいな一流大学でした。ということはあったけど、反対は無い。有名大学を出たはずなのに、こんな程度なのか、似非かってことは、けっこう多い。人生の最大のとくちょうが有名大学。でしかないことは悲しいとおもうけど、もう、墓石も、有名大学。でいいから。というくらい、なんなら40秒に1回、有名大学を口にしてるひと。学校がついてまわる生き方はある。ほぼ凡人だから、大学名は付けたまま生きてるか。ひとは。

TORABARA 着付けについて

着付けのお教室は、8回無料で、6回めに綺麗な振袖を着付けて貰い、お茶お菓子をふるまわれ、有料コースへの勧誘を複数人がかりでせっとくされる仕組みだった。のこり7回8回のクラスは、有料コースに進まない場合に、通いにくくなる。7回めでギブアップ。

有料コースが始まる日時を指定されたときに、息苦しさをかんじた。喜んで進んで通えるはずの、好きなきがする着付けのことが、いっきに、拘束事。のように感じられた。緩やかな、やってみようかな、という気持ちが、複数人の、あまり口をきいたことがないような人が、勧誘成功すればマージン貰えるのか?という必死さでカレンダーを指さしたとき、気持ちは離れたと思う。

どちらでもよかった。毎週、顔を合わせるひと、ざっくばらんな口をきく機会が、めっきり、減っている。子供の頃は、親はわたしを否応なしに、いろんな場所に連れ回していた。習い事とか、子供達が集うサークル活動に参加するなど。社交性がないことが、ダメなことみたいに扱われた経験から、社交性を問われるようなことが苦痛。社交の場所に対して、警戒心がある。社交性ってあってもなくてもいいもののはず。輪によって、変幻する。ということを、ひとびとは、親もね。知るべき。

そう。輪によって、変幻する。

学校がなじまない、職場がなじまない、〇〇が合わない。そのときは、周りの人人を、全て入れ替えてみれば変わる。あ、ちょっと話が反れた。

着付け教室は、通っているには、そこそこあたたかくて、居場所のひとつになりそうだったけど、

有料コースは3万9千円らしい。遣い方は、着付けではないと思った。毎週、時間を決めて、公民館あたりで有志が集えばいいはなし。地域的なコミューンも消えて、あたたかみを中心とした集いかたがなくなってる。金、金。資本主義だから、金が解決するってことらしいけど、お題目で、お着物とか代々伝わる家の料理とかに、お金からませてるかんじに違和感がある。

3万9千円、このお金を、とても好みの通りに遣うとすると、どのようになるか。を実験したくなった。わたしは、払える。なににどのように払えば、頂点な満足度がえられるか。について、考察して、お金の主人になってみよう。

着付け教室へ通うかどうなの。って話の、現在の展開は以上です。

TORABARA さつき6日

風が強い日。高い木はうねって、木擦れの音がやまない。地上の、木に囲まれた道は守られて、ほとんど風をかんじなかった。ここはとくべつな回廊なのだ。

美術館にふたつ行って、映画館で、イオセリアーニを観ました。1970年のジョージアで撮影された作品。非常にみどころがある。こういう時間のながれかたを見ると、いかに現代がルールだらけで縛られているか。人が人に親しみを抱くようすが、血が通っている世の中だったように眺めた。

主人公が、このごろ何をしているか友人にたずねられて、ぼくはなんにもしてない。って即答したところ、そう、なんにもしていないのかも。今、わたしも。観るべきな映画だった。生きることの讃歌があふれていた。

世界の外に立つ世界 という題名の絵。

TORABARA さつき5日

菖蒲湯に入って、柏餅食べて、鯉のぼりの写真とって

森林の中を歩くような植物園へ行った。景色は緑なのだけど高速をはしる車の音がしている。ここ、都会ね。木陰は涼やかで爽やか。ぽたぽたと陽が地面に落ちていた。目にやきつけようとしても、見たことないために、おぼえることができない。しばしたちどまってながめたりしてゆっくり。歩けてよかった。

美術館へも行った。ベルギーの画家は、好きなひとが多い。マグリットは、生の絵が2枚来ていた。

この辺りまでくると、川沿いを延々と歩く。さくらのじきにくればよかったじゃん。なにしてたっけそのころ?

Xななにかをさがしている。世界で一番なにになりたいだろう。もともともってうまれたギフトに邁進できればいい。それがなにか。っていうのが、歩いているときのテーマだった。2万5千歩。よく歩きました。

TORABARA さつき4日

今日は、ミュシャをみて、スウェーデン家具の倉庫になってる店へ行く。どちらも駅から遠く、出発がおそかったので、ぱー、ばー、っと廻った。

撮影OKだけど、室内灯が映るのね。

家具のほうは、通販で売られている物の実物を見るもくてき。持ちあげてみたら重たかった。一生ものの本物な家具を揃えるつもりから、一転。機能があって、使い勝手が今より改善されればいい。先日、棚だけ捨てちゃったので、入ってたものが溢れ返っている。どうにかしたい。

お食事コーナーへ行って、ピンク色、土台が若草色のババロアと白ワインを選ぶ。まんまるのお月さんとモノレールの見える席に座る。すぐに蛍の光がながれはじめた。急かされると味わえない。また、ゆっくり来ようとおもった。

帰宅して玄関のドアを開けたとたん、百合の花の芳香に出迎えられた。

TORABARA さつき3日

お出かけする日。家具をさがす。アジア食材スーパーで買い物する。池袋にあるスーパーへはもう行かないと思う。ここで先ず買ったものが、新大久保のスーパーで、100円から200円安かった。ふんぱつして買った缶2500円は、2000円だったなんて。がっくりきた。

家具は、ぜんぜんなかった。

なんか、今日、疲れた。

ホルモン焼肉さんの名店の近くに来ていたので寄った。こういう、美味しいの食べて、レモンサワーぐびっと飲んで、グチを昇天させてゆこうではないか。

うま〜っ。牛タン、うまうま。