TORABARA さつき2日

ひかりの筋

朝、あるくの1時間だと物足りなくなってきた。芝生に座ってノート書いたりとか、早朝すぎて人が歩いていないようなところで、すがすがしく過ごしたい。

駅に帰ってきたとき、目前のスーパーでちょうど焼き芋が並びはじめている。お散歩したことの参加賞みたい。熱い紙袋を掌にあてて、午前中はてのひらをあつあつにして、ああ、散歩へ行った、という余波の中にいた。

東の窓をレースカーテンだけにしていて、朝陽がそのままふりそそぐから目覚める。いい朝。になるようになった。

早朝に、陽のかんじが、陽になったことがない陽が、陽になろうとして、よわよわっと世の中をてらしているようにおもえた。じつは、まいにち、ぜんぜんちがう。ぜんぜん。きせきてきってこと。

TORABARA さつき1日

祖父の菓子鉢にいつも入っていたお茶菓子を、何年かぶりで買ってきていたので、おめざに頂きましょう。お抹茶もたてた。うっすらとしたピンクと白。山川。

指でちぎるには力がいるけど、かち割りながら食べていた祖父。日が経ってくるとしっけて、へにゃっとする。あまいだけな味。ああ、これこれ。なつかしい。紅白って祝うみたいなやつをなぜに常備していたか。大人ってへんなもの食べる。というながめ。そしてこれは、名菓なのだ。

バイオリンの曲を朝から、つぎつぎCDをかえて聴いてゆく。旋律の、ほんのちょっとした間合いがよくて、泣けるほどの響きになっている。ミルシテインっていう演奏家。みをゆだねて演奏をたんのうした。弾き手は、音楽そのものになって奏でている とおもう。

芍薬のかたいつぼみが、うまく咲くだろうか。新聞紙に包んで水揚げをはじめた。

もうすぐエンジンがかかるから、世界が始まるから。これからだから。っていうきもち。