TORABARA みなづき22日

鳩の声がする、と思ったら、ベランダの手すりに2羽いた。片方が、首を前にクックックッと突き出しながら、変わった歩き方をして、もう一方へ迫っていってた。1メートルくらいを、トコトコ進み、鳴き声もスタッカートなやつ。もしや、これは、アッピールだったのだ。

奇異な歩きかたが受け止めきれない、もう一方の鳩は、ドン引きしているかとおもいきや、この、身を張ったパフォーマンスが出たことに、ドキドキしていたのかも。相当、惹かれたかもよ、鳥の付き合いの、観察。

わたし、8時間30分、睡眠した。多かったかな。

輪があって、そこではほとんど口をきかないひと。遡って、なんねんも、輪になることがあっても、自分が冴えたそんざいかどおかを問うていない。わたしの夢想世界で、この日記の風圧の中で、わたしは世界の中心。けれども世間とはぐれている。人からわたしに、なにが刻まれるかながめるけど、人に、きさまなにさま。と何度もおもってる。つまり、どのように他者にうつるかを排した過ごしかたをつづけてきたのだとおもった。

わたしは誰?

って歌は、(昔、稽古風景を何度も見た。スタッフをしていた。)青髭公の城、舞台でおんなのこがいきなり歌いだす。でんぐりがえしとか、体を曲げたり床にころびながらうたうシーン。これがストン。と自分におちてきている。わたしはだあれ。

TORABARA みなづき21日

夏至。

昼過ぎに、サイフォンでコーヒーを淹れて、生クリームをおとしたのが、すごいおいしかった。おいしい喫茶店で飲むと、こういう味だよね。

お店は、瞬間に祈りをこめて、うまくいくように。という営みになるならば、やるべき。より善く。邁進するもの。よかったね、を集めてゆく。

わたしの構想では、お店の背景に、とても大きな存在があるといいとおもう。たとえばハリウッドとか、日常には介在しなさそうな非日常が、なぜか近所でかんたんに寄れる。店の品格に、お店に出入りするだけで、ふれていられる。空気を貰いに行きたい。ただ、寄ってみたい。おいしいコーヒーと、手作りのマドレーヌとか。型抜きクッキー。毎度おやつにいただける。陽当たりがよい。

太陽 ってなまえか、TORABARA。たぶん、TORABARA。

お店 に置きたい椅子、決定。

TORABARA みなづき20日

税金は一年分を一括で郵便局で払った。(これは、昨日。)数ヶ月ごとに、ぜんぜんお小遣いでつかうよりも多額なせいきゅうがくることが、気に入らないので、スカっと、払ってしまう。血を抜いたら血管がかえって活性化するみたいに、税金をわたしから抜くことで、健やかなお金がわたしにふんだんに廻りだしますように。

きょうは、手元の作業が覚束なかった。朝から家に篭りっぱなし。網戸から、いい風がふいてくる。いい風。というのが今日のそんざいそのもの。(それいがい、とるにたらない日)

だるいかもしれないのが一定の時間にある。11時から14時ころかも。一日の、体のバイオリズム曲線がある。外出していればダルくはならなくて、ダルっとするのは家にいるとき。外出が体に合うってこと。それか、家でもパタパタ、家のことしてるときは、ダルくない。あ、でも、まったりしているときも、ダルくはない。椅子に座りっぱなしで映画みてるとか、ちびちびチーズを齧るのは、いい時間ですね。とくべつ。

TORABARA みなづき19日

いったいひとは どこからきたのか。

目が醒めた時、家族のひとがお勤めに出発する支度をしていて、出窓からふり注ぐ光の中にいる。動的な活劇というか、シルエットが動く様子を見ていたのだけど、無機質な様子を、俯瞰して見ていたといえる。

ひとの動作から意味を抜き取って、突如うごめきをはじめた何か。として眺める。いつから、ひとが、出現 したのか。わたしはさっき、注射を一本打って、すべての記憶を注入されただけかもしれない。

このかんじを掴みっぱなしの日。なにかしら神妙だ。1週間に1回通うビルに到着した時も、お昼に焼きそばパンを所望したことも、どこかふしぎだった。

TORABARA みなづき18日

公園の、階段の近く、少し斜めな角度なまま、大きくて四角い袋が何日も置きっぱなしになってる。今日で3カウントめ。不自然なので、今日こそ言おう。

巡回員が公園を突っ切って行くところを呼び止めた。この袋のことは知ってて、放ってるらしい。どこの公園にもルンペンが住んでいて、ルンペンの物だと決めつけていた。いやいや、それならルンペンさんは、自分の寝ぐらの側に自分の荷物、置くだろ。巡回員の目つきが、気味悪いほど鋭く、こちらが不審者かを窺ってそうだった。何かに似ている。黒くて細長い虫、が目に嵌ってるみたい。無闇に話かけるんじゃなかった。一触でこんなに不快になるとは。社会に横たわる闇、どす黒いこと、がとうぜんどこかしこにあることが基本理念になってるような人って、不穏だ。

道路に面したバス停、もっとも家から近い所から、渓谷へ行くバスに乗った。生活の足。そのものな路線だった。狭い通路にベビーカーが5台詰まって、前から客が通路を通れない。運転手が何度もバスから降りて、ベビーカーの上げ下げを手伝ってた。ベビーカーに慣れてるおかあさんはいらっしゃらなくて生活は苦しみ。って気配。観光で渓谷へ行ってるばあいじゃない気分。でも、まあ、到着しました。

木々に覆われた場所だから、ひんやりしているから暑い日に、来るといいね。バスの路線は、時間を工夫しよう、ぐっと早い時間とか。

気持ちいい景色見えて良かったね

TORABARA みなづき17日

高温になると聞いてたけど、朝、ひんやりした風が、つーっと、部屋の窓から入ってきて、こんな日はきっと、森林を歩くと気持ちいい。

髪の毛が伸びるときに、どうやっても跳ねる長さの時があって、今日がそれ。髪にカーラーを5個巻いたけど、なおらなかった。こういう人。として出かけてしまおう。

出かけている間は、ひとり内にこもっている。お出かけは、とてもたのしかった。森林みたいに、鬱蒼と茂った木々の、トンネルになったところを、てくてく歩けてよかった。

美術展、あと100年はかかるといわれていた建造物が、コンピュータ使っちゃって、早々に仕上がるらしい。答。に真っ直ぐにいくだけが脳。なコンピュータにたいして、とてもとても、懐疑的。チラシの写真みたけど、なにか、あるはずのものが無いかんじがする。こころがこもっていないセメント。ただよっているはずの魅力は何処にいったの。

こういう味は、AIに傾倒している輩(現代の世の中)には、見えなくなってるのか。霊感があるひとが霊が見える、くらい、わたしは奇特な、見えないものが見えるってことになるのか、なんだかな。

なんだかな。な余韻だった。

TORABARA みなづき16日

朝、久しぶりに公園まで行った。公園を歩きながら考え事してるけど、考え事と場所の記憶って結びつくと思った。場所に思いが落ちる。って思った。

20代のときに平気だった下働きが、同じ事が40代で堪えた。そりゃそうか。という(自分への質問の)投げかけ。さいきんの芸能の話題で、聞き覚えがある名前、わたし、その人の被りものを仕立てたことがある。袖を振り合う、よりも、ちょっと近しいかもしれない、旧名にある、亀、ってわたし、亀って名前の付くひととお付き合いしてたから、あっ、て思ったから覚えている。

なにをどう考えてるか、さっぱり、おくそくがおよばない。ただ平和に。というのと、違う。人が生きて表現したい、賭してるなにか。を、ずっと、ぼんやりかんがえている。

業界のアウトライン。道徳とか倫理もちだしたらいっぱつでアウト。なひとたちと、同類。でいられたら、ずっと業界にいられた。という郷愁。わたしは、

凄いひとに、みそめられたい。シンデレラコンプレックス。を、満たすスタンプラリーみたいなことしてる。たいけんとは、その人の芽が延びたがっているすじに沿って、もたらされてゆくかも。たいけんのつらなり。美談じゃない苦み。過去は捨てて捨てて。

新しくなりつづけている。