TORABARA ふみづき23日

温泉とプールがある所へ行って、プールで泳いでいたとき、片方の耳栓が外れてしまった。行方不明だ。小さいし、もう出てこないと思った。温泉にたっぷり入って、帰るとき受付にたずねたら、わたしの落とした耳栓が届いていた!

感動。きのうのおみくじが現実になりつつあるかも。堰き止められていた川が一気に流れるように、全てのことが順調な流れとなって動き出します。円滑な改善があり、これから面白いように実を結ぶでしょう。大吉。

昼下がりに、神社さんの食事処で、冷やしかき揚げ蕎麦をいただいた。こんなに美味しいっけ。丁寧に作られていた。

ペンキ塗りを少しすすめた。マットなニスを塗る。いい調子。

TORABARA ふみづき22日

健康診断。が10じから。注意書きに、飲み物も、朝から飲まないで。100mlならいい。とあり、え?炎天下で脱水状態じゃない?と問合せたら、胃カメラのまないひとは、水、こまめに給水してていいみたい。

明け方の3じに目が醒めてしまう。朝ごはんは、ヨーグルトを食べた。食べるのはダメ。血液検査の数値が上がりますよ、と言われる。もう食べちゃった。健康診断に向きあうストレスが爆上がり。「いつもと同じことを」しないことのふしぜんさ。いろいろ、数値化していらない。神秘なことが中心だとおもうひとにはなじまない。

やれやれやれ。と洒落た街へ移動して、ビーフハンバーガーとビールで、午前の光景を帳消ししましょう。

午後のテーマは、甘美にすごすこと。美術をじっくり観て、欲しいモノを買って回った。

自分の体を感知する感度が、どうぶつなら備わってるだろ、どうなれば体は重いのか。ここに相対的な値をあてて、合わないと「病」になって固定され、やっつけ始める。平均化へ寄せればいいのか、本当にそれでいいのか。検査の数字にだけ任せていて、異な値を薬でおさえる?生き物としての知恵は、野生動物に倣ったほうがいいとおもった。余計な文明がないことの美しさ。

日々の習慣が、地道な営みが、自分自身をつくっている。からだのこえをきくのは、自分。

烏森神社さんにて、心願色みくじ。ピンとくる色どれかな。

TORABARA ふみづき21日

過去を洗いなおす、という願望が、夢になって出てきた。近年まで付き合いがあったひとで、もう音信不通なひと。わたしが生まれてくる前に何か約束しているとすると、手芸にまつわることをする。と決めていた気がする。そして、その道を進むためのヨスガにしていたようなところがあるひと。まさか、関係が壊れる顛末は、わたしは思い描いて無かったとおもう。

そのひととわたしのインナーチャイルド同士が、たあいなくたわむれる夢だった。一緒にすごしていて、どうしても気に入らないわたしのことをノートに3行書いた。と言って、ひとりだけお水のんだ。わたしは今日、誕生日なのに、(わたしがお菓子を持っていた)それは、わたしに呉れたらいい。とか、言ってた。もうひとつの気に入らないことは?忘れた。

お誕生日のお菓子、で思い出したけど、彼女の節目の年齢に、ガトーショコラを焼いて、クール便で送った時のこと、彼女は、うんともすんとも言わなかった。わたしがなんとしてもごり押しして、かのじょにとりいろうとしている形になった。不気味だったかも。お菓子、捨てられたかもね。返事をする礼を欠く、礼を超えるほどに親しかったのかもしれないけど。

わたしは、このひとと関わりながら過ごす時間に、「七分の魂」としかあたまが考えなくなっていたのであり、自分が無価値であるようないごこちが、このひとと接するときにわたしを覆う。これ以上は離れろというヨミは、間違ってなかった。とおもう。このひとが取り上げそうになることは、

というか、わたしを閉じこめようとする、彼女からのレッテルは、二つあって、人とのコミュニケーションが出来ない人、自分の1/10しか仕事が出来ない人。

ここに反発することが、私の成長だったのか。もう今世での付き合いようがなくなりました。夢の中で、この人と共通の知り合いが出てきた。イヤな奴で、現実でも情がなにもおこらない、只のイヤな奴。ゲジ眉。こいつに、何故かわたしは結婚を報告し、薄ら笑いで嫌味を言われたと思う。インナーチャイルドの姿同士でたわむれていたかのじょは、私の結婚を伝言で聞いて、全く、口を閉ざしてしまう。THE END。

TORABARA ふみづき20日

あら煮を作らなくちゃ。塩かけて、熱湯をとおす。ねぎとしょうが、大根。味醂砂糖、醤油を1:1と日本酒を多め。で大鍋で炊いた。ふわっと、いい味に仕上がりました。

このスープだけ、別の鍋に取り出して、あらかじめ茹でていたうずら卵とカイワレを入れて(ひと煮立ちして)いただきました。出汁のきいた美味しいスープ。

土台がビスケット生地で、ナッツをキャラメルで絡めたお菓子の、キャラメルが、ハチミツが多いと柔らかいままかも。それか、もっと煮詰めるとよいのか。タフィーを作るコツをさぐる。やわらかいままなのも、おいしいけどね。今、暑いから、やわらかいままか。冷蔵庫に入れた。このお菓子をひんやりさせていただくと、おいしい。ビスケット生地に、レモンのお酒の風味を加えている。

フォトジェニックな公園。

TORABARA ふみづき19日

落とした日傘が、手元に戻ってきた日。駅の人から電話が入り、最寄り駅に届いたお知らせ。いつ取りにいらっしゃれるか聞かれて、今。と答えた。as soon as possible。略して、asap。

傘の柄は節のある竹でできてる。握手してるみたいに、傘が手をにぎりかえしてくれたみたいに感じた。温かかった(これは気温のせいだけど)。戻ってきて、本当によかった。傘だけが不安な道行きをしてしまった。ごめんよ。

朝の公園の、写真。

幹が、くねってる。ここの空間の、長い長い時間の表情をあらわしている。おとぎ話みたいな、遊ぶような気配があるという気がする。

TORABARA ふみづき18日

朝歩く公園で、並木道の木陰に、大量の風が、ぼーぼー吹く。ここを歩くのが、気持ちよい。木々の間隔がせまくて、木は年輪の重なりで、太くなってきている。地面までも緑に感じられるような、トンネル。

銀杏。

昨日の話。美術館に来ていた女の人が、背が高くて少年ぽい格好していて、モデルさん?の仕事してそうな方。連れの女の人は、ガラリと雰囲気がちがう、やはり背が高い、綺麗なかんじの人。なんの仕事してる方なの、美術界隈?わたしと観て回る速さがだいたいいっしょだったので、視界の中で目立つ人たちだった。視界に、素敵なかんじのひとが入ったまま、美術を鑑賞してるのって、ぐっと、日常のテンションを上げるとおもう。

素敵かもっと思う人たちがいっぱい集ってくる場所に、積極的に行くといいとおもった。憧れの混じるひととおトモダチになれたりしたら、異次元がたちあらわれるほど、日常は非日常になる。

ささやかな、手の先や目の先をととのえることこそが、あなたをどこかへつれてゆく。とおもう。

TORABARA ふみづき17日

わたしの家から、利用できる駅は2つあって、ちょっと歩くけど3つめがあって、チャリなら行ける、別な路線の駅もある。3つめの駅は、お店も図書館もある。ホームセンターも、コーヒーやさんで寛げる場所もある。

今日は、美術館へ行って、ほかにも、歩きまわっていて、帰りの電車の中、もしもまだ1万5千歩になってなかったら、3つめの駅で色んな用事をすませよう。にちかばちか、みたいに万歩計を見た。

15120歩。なんたる、びみょうな超えかた。では最寄りの駅で、氷買って帰りましょ。

そして晩酌をしているところ。ずるずる。今週末、健康診断なのに。去年は、手前3週間、慎み深い食事に替え、禁酒したのに。まあ、きんよくも、やりすぎ。

地面におひさまがおちてるのがまん丸。

TORABARA ふみづき16日

電車の中に忘れた日傘が、見つかったみたい。忘れ物センターは、忘れ物の写真を判断して、それらしい物を見つけてくれる。昨日、電話口で、わたしの話を聞いた方が、こちらのニュアンスを、拾ってなくてもどかしかった。

乗車した電車の時刻が、あやふやだと伝えていたのに、仮定していた電車を決定にしていた。1本後ろの電車になら日傘あった。っていうか、もう、そりゃそれですから。日傘は、透ける素材のバラのモチーフが縁に付いている。この部分をオーガンの布のような、と説明したけど識らないらしかったので、透明ですか?と聞いてきていた。ではなくて、

光を、明かりとりの窓のように透けさせる。他の部分が遮光なのに対して。と私は言ったのだけど、これを報告書に透明、と書いてたらしい。そして写真にしたら茶色く映ったらしい。

などの箇所、電車のダイアは、わたしは、ただ来た電車にのってるっていうスタンスだし、傘は実物を手に取って言葉を交わせば、こういういきちがいがないのにね。近ごろのサービスセンターから見える、世相。

昨日、ファミレスに何時間も滞在して、HENRI MATISSEについて語っていた。3時間?とにかく冷房がキツくて、腕が冷えたのと、喉が異変がはじまるほど、冷えた。これを、なんとかして治さないと。帰宅して熱々の番茶を急須で煎れたの飲んで、寝た。今日は、熱々のお風呂に肩までつかって、何度か入った。生姜蜂蜜紅茶をポットいっぱい、がぶがぶと飲んだ。そしたら膨大な汗をかいて、治りました。よかった。

昼寝をして、夕刻に、やっと家族のひとの水着が届いたので、温泉とプールのあるところへ行く。夜の露天風呂もよかった。わたしは水中メガネを家に忘れてきたので、背泳ぎ。かおをあげたままのビート板。をして、水中を歩く。というのを試す。しゅーっと、水に潜ってクロールするのは、次回ね。

ケアレスミスしないで下さいと、年令が高くなったひとに問うことを考察する。個人的な憂いに覆われるお年頃、たとえばこの絵の中の人は、細かい書類をばばばばっとミスしないで作成作業できる、ように見えるか。ケアレス、に限らず、おおらかにおおざっぱに、ミスを指さしてミスっていわないで生きたい。