髪の毛が生えてくる方法が書いてある本を、読んでいるところです。
髪の地肌も、植物に喩えるならば土。清潔で、栄養が足りていて、太陽光(血流)が充分ならば、健やかに髪は育ちます。
自然療法は、時間かかるけど、智慧そのものだと目している。というわけで、試してみよう。
夜、去年知り合った、登山したり写真撮ったりするひとから、写真展のお知らせが入った。わたしからも、ちょうど、旅の話がしたかったところよ。
髪の毛が生えてくる方法が書いてある本を、読んでいるところです。
髪の地肌も、植物に喩えるならば土。清潔で、栄養が足りていて、太陽光(血流)が充分ならば、健やかに髪は育ちます。
自然療法は、時間かかるけど、智慧そのものだと目している。というわけで、試してみよう。
夜、去年知り合った、登山したり写真撮ったりするひとから、写真展のお知らせが入った。わたしからも、ちょうど、旅の話がしたかったところよ。
普段のギョーム時間っていうと、444(夕方のゾロ目になる時間)が見れるかどおか、ふっと見えたとき、にやりとする。ほかに、とりたてていうほどのことが無い。
奇跡のりんごの人、は、何冊も本を書いてらっしゃる。感銘があるので、ひとしきりの本を図書館で予約いたしました。
食のことは、見直していこうと思う。食べておいたほうがいい、という頭で考えて食べるのではなく、そんなに食べる気にならないときは、食べない。食べろ食べろ、と言ってくるひとを周りにおかない。
奥入瀬を、歩きたい。とおもってたけど、担いでいるリュックが重たすぎて、レンタサイクルのカゴに積んだまま、車道を走る。格別な眺めのところは、ゆっくり、歩いたり、しばし腰掛けたりして、見学いたしました。
爆流みたいなところ、たっぷりとした水って、豊か。とおもった。
公共交通機関の、バスも列車も、ワンチャンスしかない路線って、緊張してた。なんなら野営して。くらい逞しいサバイバルが出来るならば、ここに居たいだけいられるよね、
バス出発の1時間30分も前から、バス停のそばで、土産をみたり、コーヒー飲んだり。ガボっとかぶるタイプのワンピースに、十和田湖のへりのベンチで、いきなり着替える。短パンの方は、脱いだ。だれもきにしていないふうな、のびのびした間だった。
夕焼けの頃、青森駅にいた。青森。わたしの想っていたひとの最初の赴任先。近くに来たら寄るように言われていて、こんなわたしじゃあだめ、もっと綺麗になったら、連絡いれようとおもって、それきり。
北海道旅行した途中で、青森に途中下車して、すこしだけまちを歩いたことがあって、三角の、未知な世界につながっていそうな建物がピカピカだったころ、どこかしこ、焦がれるひとの気配を、さがしてしまっていた。会えるまで息止めてるからすぐに来て。無理して来てね。って言いたかったのかも、ほんとうは。
三角の建物は、潮風で錆びて茶けてる。わたしのおとしたきもちは、そのまま、ここの土地にどきんどきん、と残っている。たてものみたとき、きゅうにむねがいっぱいになった。
東北新幹線、最終便に乗って帰る。
青森と、弘前で、NTTのまんまえのホテル、いずれも313号室のお部屋だった。奇縁。
弘前のお城、敷地に入ったらどしゃぶりで、速攻で水たまりになるところ、くつをぬらすしかなくない?っておもって、本丸。に到着したら、青空!!あれー?
温泉地は、横が登山道の入り口だった。
雨の予報だったのが、晴れた。
千畳敷で、歩いてきてください休憩があるって、思いがけない時間。
青池。高い木から黄色くなった葉っぱが、ひらりひらり舞って、水面に着地した。煌めきなすがた。おそろしい異界な気配もあって、しゅんかんごとに別世界になる万華鏡のぞいてるときのように、いろいろに、見えた。
ハイライトは、日本海に沈む夕陽。
電池が10%しかなくて撮るの諦めてたけど、シャッターを押した。もうこれは、ひかりが弱くなっているころ。
奇跡とつながりっぱなしになってるような旅。なんか、すごい。っておもって、ときどきなみだぐむほど。
青森旅行始まる。夕方に出発して、田園風景のみどりが目にやさしかった。雲間から太陽の光の筋だけ放射状にみえる、天使がすべり台にしている光かもしれないやつ。
かんたんに辿りつけると思った、駅前ホテル。ってうたわれてる所が、30分くらい、歩いたんじゃない?もういろいろな土地で消えゆくものが、ここには有ると思える。なにか。独立して特有の味を各々、引き出して存在している。
ホルモンを、目の前の囲炉裏で焼くランチをいただきました。ホルモンからしたたる脂で、火が燃え盛って、網からはみ出して、火の池みたいになった。このままテーブルに燃え広がりそうな勢い。それと焦げるので、肉奉行。しばらく肉、焼いてるだけの時間。焼き上がったのを皿にのせて、積んでゆく。次々と焼き上がるから、食べてるばあいじゃない。さいしょに焼き上がったやつ、冷めちゃったじゃん。
表面だけいい色になったやつ、中身が生だった。ころがして、反り返ったところも広げて、焼きいれるべし。クチャクチャしてるけど、のみこむしかない。
なんでもない間合いで、ただ舌を噛んでしまって、そこが口内炎みたいに腫れてしまう。わたしは、わたしのからだは、かしこいから、もしかして食べすぎないように、わざと、噛んだのかも、キズになると、食べないことが薬になる。
よる、このキズ治っちゃったわ。よかった。
ホルモン焼いてた時間も、まあ、よかった。
送り団子を作る日。餡子を入れて胡麻団子にした。蒸し器で火を通してしまって、ごま油で両面を焼いて出来上がり。
お盆の祭壇には、おじいちゃん、おばあちゃん、母方の従兄弟ひとりを、お招きしている気持ち。来てるかどおかは知らない。西の窓辺に、果物、お花を飾って、日本酒は憧れの土地を冠したのを並べた。白神山地(もうすぐ行く)、山形月山(いつか行きたい)。
従兄弟(20才年上)は、チョコレートと、新婚のお嫁さんとスパゲティ食べに行くのが好き、くらいしか、好きな食べ物を知らない。(昔聞いた)
従兄弟に子ども2才のベビーシッターをしてくれと頼まれて、私が小学校6年の夏休みの間中、家に通っていた。従兄弟が子供会合宿を主催すると言って、私が手伝うことに勝手になっていたりした。近しく親しいひとだったのは田舎の学生時代までで、ピタリと付き合いがなくなっている。
私に、ひとつ年上の姉がいて、一人暮らししているダイニングキッチンの床に、この従兄弟から贈られた梨の箱があった。20過ぎの頃。わたしも東京で暮らしていたのだけど、わたしとは音信は途絶えるというか、相手にされないというか。キョーミ無しってことだとおもう。
子供会を手伝っていたのは、わたしの方なのに、梨の箱。を見たことを最後に、息の根が止まってしまったみたいに、わたしはこの従兄弟の存在を閉ざした。かわいがる。めをかける。こととそうではないことの歪。
幼いわたしはただただ従順に、健気に、いとこのお手伝いをした。転じて、お呼びでなくなった。わたしの中の少女がいつまでも泣きじゃくる。なにかがだめだったみたい。
従兄弟は、自分で育てた自分の病気で、けっか、命を落とした。生きている間、ひとはぶざまだ。今世では、少ししかかかわることがなかった。
仏になった魂は、ここに寄って、桃でもたべていってね。