TORABARA ながつき22日

ネットのシリーズもののドラマを見たわけだけど、わたしは邦画の恋愛ものにケチをつけることの方が得意だとおもう。自分自身におこったことの方をあいするのであって、若かりし頃に恋が成就することは、わたしにはありえなかったことで、ドラマを見ながら、きおくの中の逃避行に出かけていたとおもう。

恋愛のドラマを見ていたことが、なにかしらの伴奏になっていたとはおもうけど。

しゃべるかしゃべらないかわからないほどに、さりげなく、前の席のひとは、わたしがテストでおもうようなてんすうをとらなかったことを、きづかった。それと、廊下の、中庭がわは、ぜんぶ窓で、そのとなりの窓から、風でかききえてるか声かわからないように、となりの窓は少し遠くて、ふたりはまさかしゃべっているかわからないさりげなさで、やはりわたしをきづかった。かもしれないくらいの、はかなさ。

どうにもならなかったから思い出が美しい。

今日は、雨足強く、よく降りますな。

それと、ドラマで見た主人公の俳優さん、昔のバイト先にそっくりな顔のひとがいたな、と思い出してて、やっとわかった。コタニさん。わたしは、俳優という職業に就くことじたいを人としては嫌悪してるというか、生身の市井のひとの方が本物のキラメキがある訳です。それでもし、コタニさんが佐藤健に似てるよって聞いたら跳ね上がるかもしれないが、コタニさんって素が格好いいひとだったりして。元気かな。

逡巡は以上です。

昔の半被の刺繍が素敵すぎる。

TORABARA ながつき21日

掃除機を掃除した。周期的にやらなくちゃな所なのだが、まだまだいいでしょ、と先送りしがち。それでいて、掃除機掃除し終わったら、なんて清々しく快適。もっとひんぱんに、クリーンな掃除機にしましょ。

掃除機のことは、使いこなせているとおもう。部屋の隅の四角に、キチンと四角いヘッドをあてて、掃除機が吸う威力を発揮して、ほとんど手に力を入れなくて、ただ支えるくらいに掃除機のスティック部分を持って、

スイッ

と、床のところを吸い込むしゅんかんとかとてもいいよね。わたしは、自分の体を弾むようにつかって道具を使いこなす、ことに長けてゆくことを好んでいるとおもう。雑巾やスポンジ。洗剤の量(も種類も)ビンゴなことは、よろこび。そのせいか、四角いかどに丸い自動の機械に動き回られることは多分嫌い。(持ってないけど)。使ったお皿を放るだけで無駄な水流が見えることは多分不快。水を節約する加減を、ちゃんと自分の目と触角で知ってゆきたい。一枚一枚、選び抜いてここに集まった食器を、慈しむように、自分の手で洗いあげているのは、善行を積む。くらいの尊さをかんじる。

洗い上げるたび、生まれたてによみがえる。

わたしは、最初のうどん屋バイトで皿洗いをした。皿洗いは大量にした。上手くね?マリコ。←バイト先での擬名。皿洗いをすることは楽しいという、いい気分が今もつづいているのだ。流しのどこになにを置くかという要領も、ちゃんと身につけている。カトラリー、手前。ガラス物は、流しのプールに沈めない。サッと最初に洗う仕舞うを済ませること。

それが情報なのか実感をともなう知恵なのか。知恵のほうを育てたい。

TORABARA ながつき20日

彼岸の入り。お萩を作り、いただく。

とんでもなく、美味しかった

たった1000歩しか歩かなかったこととか、座ってる丈な時間の、午後に眠くなって、その眠さはどこからくるのかをおもいあぐねて、もしや退屈をしているのかもしれないわたし。しかしぐっと、とんでもなく、おそろしいほど、旨いおはぎを作れちゃったことで、

すごいすごい、わたし。

なのであった。

TORABARA ながつき19日

あしたからは、秋にちゃんとなるんですって。

夜になって、指がくたびれるまで、ピアノを弾いた。モーツァルト SONATAケッヘル545番。第三楽章を、くり返し練習いたしましたの。

ベランダで咲いている朝顔の、花びらがあまりに薄く、最大のパフォーマンスで、花を咲かせたってことかも、畑の土をよくしていって究極に土がよくなったとき、日本で一番花びらがウスイ雑草の花が咲くって。はかない花は、咲く場所を選ぶ。

TORABARA ながつき18日

小田原に、何年かぶりで行った。小田原の街で覚えているところは何もなかった。前に、城に昇ったとき、板の急な階段で、開放された戸から、外が見渡せたよな、という記憶を手繰った。兜が、蜻蛉の付いてるのが展示されていた。月とトンボ。

海も近くて、足をつけた。波がズボンをぬらした。

絶滅している類の、釦やさんで、時代が古い値段が高い、何個かボタン買った。郷愁が漂っていて、つい買ったけど、買うほどのモノじゃなかった。アンティークなら欲しいけど、中国製の安物で古ぼけただけのモノ。150円がこの店を救うわけでもない。

銅門の、打ち出しの横柱が威厳あった。
海。正面突き当たりは伊豆大島だ。

TORABARA ながつき17日

なにしよう。どこいこう。小田原?箱根、鎌倉。そんなに遠くなくてよいか。原宿と新宿へ行きました。

そんなにお金をつかわないでおくか、せっせと、たくさん歩くか、欲しいものは、リュックとカッパ。迷いがあって、彷徨っていた日。

定番になりつつある、かき揚げソバ。生ビール。をテラスのお席でいただく。お洋服やさんのビルにて、ブラックティーと、タピオカ。おいしいねぇ。

いちばんさいごに、材料屋さんに寄った。ひんぱんにここに来る、自分の庭みたいに。というのが、わたしのおさまりどころ、なのかな、バロメーターみたいに、ここから遠ざかっているときのわたしは、人生からはぐれている。のかもよ、今年、2回めだっけ、すくない。

秋の入口は、真っ先に一番いいとおもう毛糸を手に入れている。マーブルな模様、赤も水色も入ってるのがいいかも、セーターのお袖になってるといいかもな閃き。

TORABARA ながつき16日

順応したからだは、じっとり汗をかく。この汗で悪いものが体から出た。という実感があった。

昼過ぎから昼寝して、夕方になった。

最寄り駅の高架下で祭、ぜんぜん練習してないひとたちが、じょんがら節、とか踊ってた。小学生。ちゃんと踊れってば。喚くだけの青年団も、うるさかった。

センスいい店、と思ってた植木やさんの植木、包むときに、アロエの小さい節が折れてしまってた。こうなることが予想できてない、シロウトさんだったら、かなしい。

まちが盛り上がっていきますように。プロフェッショナルがここに集まる土地になっていきますように。

TORABARA ながつき15日

自然栽培の本を読んだ。農業を始める人にとって、バイブルになる本だと思う。自分も経験することで、ここにある一行が効いてくると思う。

畝をつくって、大豆と麦を植えて、土をつくっていって、野菜を育てはじめようか。健やかな土だからこそ、健やかな作物ができて、健やかさを人の体が享受するのだ、すこやかなこころ、は、健やかな野菜と果物を食べてこそ。

しごとをしていることのダメージ。を、クリアに悟る。「劣」なところを牛耳る営みが、ここに有る。このてのなりわいには、「劣」に指をさすことが含まれている。いいえ、ゆだんしていると、どこかしこ、「劣」にひとはとらわれるのだ、それをいかに転じさせてゆけるか。良質で、祝福であるかのように。

どのような意味を付けるかは、わたしの勝手。