TORABARA かんなづき23日

乗るはずの電車から出てきた人たちが、ザザっとエスカレーターを降りて来た頃に、エスカレーターを昇り始めてる。凄く走って駆け上がったひとは、乗れたのかも、先週も、秒単位で、同じ光景だった。

何の心理だろう、朧げにしか参加していないところに向かう日。ちゃんと間に合うほうが目立たないのに。これはなにかを、潜在的ななにかをあらわそうとしているのか。そして曖昧なまま、まあだいたいその時間頃から来てるひとってことだったみたい。

お昼のサンドイッチの味が、私にとって、マンマだった。この、マンマの味の安心感って絶大だ。大地に足を着けた。仁王立ちで着地。

夜は、モール散策。欲しいもののヒントがあった。

この埋め立て地に聳え立っているビルへ、いつか通えるといいと、思っていて、叶っている。なにかを願うとき空を見上げてることが多い。

TORABARA かんなづき22日

行楽日和なのに、都内の近辺を歩くにとどめて、住宅街で迷子になったりしてた日。高級住宅の立ち並ぶ道路で、もしも私がここに住んでいたら。トリップ。似た人と知り合って、その人たちしか、自分にとって世間ではない。という暮らしをしてそう。ここの幼稚園に、自分の子供を入れる。だろうね、お金が稼げない人達への想像力に欠けて、異種と強固な境界線をつくる。承認欲求で問う項目が決まりきって、競り合いも激しいだろう。

え?ぜんぜん、しあわせじゃなさそうな空想。突出した才能に則した事業に勤しみ、こういう館に居を構えてることが、今世体験しないことにした方。いえいえ、この先は、ここに暮らしたりして。長閑なあたりのけはいが、田舎で幼稚園に通っていた頃の、記憶の中ののんびりした風景と重なった。豪邸と、閑散とした田舎は、ゆとりのある豊かさにおいて、似てるのか。興味深い見解。

今日観た美術展の題名が、つまりパクリって意味。ギャラリートークも始まったけど、特に聞かなかった。コンテンツとして、この美術館という空間に並ぶ。学校用美術教材。現代美術、というお題目で、屁理屈みたいな御託をならべてある。解説を読まなければ、成り立たない。ぽっ、と何か知るにはいい機会だった。

理学理論を彫刻にすると。

お洋服のビルに行って、好きなのを選ぶこと。草色に近い、ステキカーデガンを入手いたしました。

TORABARA かんなづき21日

山にいこっかな、が海になった。

岩畳のところ。

お赤飯を炊いていたので、おにぎりにして、海辺でいただきました。

天気最高。

コッキング苑の展望台から。

近所の老人が、溜め込んだうっぷんを吐きたいから、という目的で、海へ行くことになったけど、聞かされる方は、重たいきもちを伝染すんじゃないよ、とにかく、同じく老人になった元友人に、せっかく会いに行ったのに、鬱鬱として、病が深かったらしい。何も食べ物をふるまわれなかったらしい。懐かしそうにするとか会えて嬉しいとかが無し。元友人の苦役でしかない生活を目の当たりにしたことがショックだったらしい。

それを1年くらいも、悪く言ってはいけない、と戒めていたために、苦しくなった。という話でした。

知るか。連絡を取り合っていない過去の知り合いのことは、総じて、異星人にたましい売ってるくらいに括っている。知り合いだった筈のひとの豹変、お隣だった地点から角度がほんの少し違ったまま、遠くまで進んだことによって、まるで別物に変わった姿への戸惑いを、わたしは幾度も経験したのであり、こうあってほしいなどという他人の様子を、かってに捏造してはダメだと知ってる。とにかく、過去が消えることが残酷ではなく、潔いことだとおもうように成っていて、わたしは現在も未来も、明るいのだと思った。

TORABARA かんなづき20日

チェーンスモーカー、ではないけれど、チョコレートの味が口から途切れることがないように、ではないけれど、キャラメル味?のチェーン、とにかく、甘みを、とぎらせないように、甘みは、食べ物である必要はなくて、気持ちが甘めな間は、とくに口にキャラメルを放ることもない気がしている。

シゴトの間中は、まるでシゴトに甘やかさは無いために、チョコ。だったりを用意して、なんとか時間をしのぐ。3時に、チーズケーキプリンを食べよう。今日は、ちゃんとおやつがあって、よかった。

なるべく、自分のしごとのほうもやろうとしている。映画をいっこみて、へとへとする気分の波があったので横になったらそのまま寝た。

Lucia、オペラの。マリアカラスの歌声聞いたから、よかったか。そういうこと。なにか好きなことをすることで充ちるタンクのようなの、少しは潤ったかどおか。

今週もおつかれ様でした。

TORABARA かんなづき19日

おとといの、やることリストは、だいたい出来た。

水栽培するヒヤシンスの、セット。チューリップ球根をプランターに植える。

毛糸編みを、5号棒針で、編み始めた。これは、飾りになる予定です、フリルよ。毛糸を見てるとえいぞうがちらっちらっと、あたまをよぎりますの。それを形にいたしますの。

クラシック音楽をかけて、毛糸編みをするひとときがあって、この時間は、古いわたしも新しいわたしも同じ、わたしの時間の底は、変わらないかんねんのような、無意識にそのまま通じているような、わたしの基本的な気持ちはこれかも、という処にいってる。

パイ生地とか、クッキー生地とか、一定の量を作っておくことを習慣にするのは、お店が始まってからにするか。レシピのカードを、用意しておいて、定番なのは、ぱっと作れると、素敵。

TORABARA かんなづき18日

横に、借景でお庭が見渡せていて、尾長の鳥が、連日ご来訪されています、電柱にも留まっていて鳴いてらした。去年は見かけなかったような。

お姿。

適職について。いくらでもやってあげられる、いとわないで、ひつようとされていることを、みたせる。という領域が、自分にとって相応しいってことにするか。

芸術の領域は、技術的に高まってゆく。ミューズとそのままつながる。美しい形。完成度。100年残る。芯からワクワクすることが、自分にとってなにか。

夜のひととき、フエルトを縫った。針山を作っている。中味は、煎っていないコーヒー豆がいいかも。

TORABARA かんなづき17日

洗濯したり掃除機かけたり、何度も洗い物したりして、やるぞそろそろ、という気構えと、その時、が来て、家事は片づいてゆくのであった。

球根を植えたり、フエルト手芸をしたり、毛糸編みを始める。これは明日からの計画。

山に行ったときの映像を、くり返して見ている。いいでしょ。というのを人に送っている。山のヒントだけを伝えて、山の名前を言い当てられたことが楽しかった。

帰り道のロープウェーが貸切だった!

TORABARA かんなづき16日

今日は、お財布を忘れた。

陸の孤島みたいな所に来ていて、唯一、PASMOの残額だけがたよりで、いのちづなってことか。アワアワしてたとおもう。電子に刻まれた数字が、何かの拍子に消えるかもしれない、と思っている。カードが折れたりして。

ちゃんと、サンドイッチをお昼に食べて、なるべく普通にすごすつもりが、落ち着かなかった。かばんのポケットにしまったPASMOをさわったり、取り出して裏返したりして、形を確かめたりしていた。

金曜日に、忘れ物をしないようにと、ハンカチを早々、カバンに入れた。いつも何かを忘れるから、事前準備だよね。のはずが直前で、お財布を取り出したりして、そのまま、忘れるなんて。

やれやれ、最寄り駅に無事に戻って来た。自分へのご褒美で、グラジオラスを買った。薄紫色で大きな茎。花は、大いに自分をなぐさめた。

きれいな色。