今日は、聖地巡礼の展覧会へ行く。
奥村土牛画伯の絵が、しっくりくる。色も大きさも、これしかないよね、という啓示そのもの。見応えがある展覧会は、年間をとおして数えるほどしかない。今回の、山種さんへは必ず行くべき。
先日、山へ行ったので、絵に描かれた栃木県の山の形、三つ、山の名前がわかったことがよろこびだった。
日本画は、生の画面を見てこそだとおもう。画と対峙したときの、画面の手前までが、画の秩序が及んだ空間になっている。絵画観賞は、じつにぜいたくなあじわい。
今日は、聖地巡礼の展覧会へ行く。
奥村土牛画伯の絵が、しっくりくる。色も大きさも、これしかないよね、という啓示そのもの。見応えがある展覧会は、年間をとおして数えるほどしかない。今回の、山種さんへは必ず行くべき。
先日、山へ行ったので、絵に描かれた栃木県の山の形、三つ、山の名前がわかったことがよろこびだった。
日本画は、生の画面を見てこそだとおもう。画と対峙したときの、画面の手前までが、画の秩序が及んだ空間になっている。絵画観賞は、じつにぜいたくなあじわい。
思いがけない美術展へ行った。YouTubeの日本発信の動画、第一号の人。情報は、音は、同時に発声したら白になるらしい。ノイズ。いっぽうで、そのひとにとってのコアなことって、10もなかったりして。発信している番組の神回、の括りで、くり返し、この作家の生い立ちに寄り添っていたであろうことが展示されている、とわたしは読んだ。
わたしが半年にわたって助手をつとめた、デザイナーの、ビジュアルが展示(静物のポスター、画面にて動画)されていた。このビジュアルは、世の中の重大な部類、欠かすことのできないテキストなのか、というところを改めて考えてみていた。
八代亜紀さんが女神の扱いなのが、いまはわかるきがした。声や唄を持って生まれたひとなのだな、漁港でライブの映像で、舟唄。を見れたことが、よかった。知ってて、わたしがうたえるって、昭和の電波って、ふしぎな征服力だった。
略して、いろいろやることあるきがするけど、早々ねむりました。
朝、1時間もない中で、お買い物、胡瓜と蛸の酢の物作る。ほうれん草1分茹でる下拵え。お風呂に入る。手作りの方のシャンプーで髪を洗った。
暮らしを、ゆさぶるようなしゅんじゅんが、たびたびある。どうなの。どういうふうがいいの、と。とりあえず、もののせいりせいとんをはじめる。もっていてもしょうもないモノが、やっと捨てられる。
このひのわたしに、つまみあげられたモノは、オシャカニナルサダメ。
山に行ったことで、掃き清まる。一新した。
シゴトする机の場所を変えた。山の中で駆け巡る空想がつづいてるような日。シゴトの中に、様々な視点を入れることは自在なことだった。わたしは、どこに心を置いているか。昨日から、ガラリと、なにかがちがう。山は、近づきにくいながら、入れば、居心地がものすごくよかった。
旅のとき、人々と交わす言葉がポエムのようだった。
夜、りんごパウンドケーキを焼いて、ミシンでマティスモチーフの海の形を縫う。なにかやりたい、今日の一歩。
この日、晴れるかどおかを、花占いみたいに、晴れる。晴れない。晴れるか。晴れて。インターネットの天気予報を、いちにちになんかいもみてた。
晴れたーー!!!
朝の空が、喜びだった。青よ!もぐら駅へ行って、車道だよねという道路をつたって、ロープウェーに到着。リフトにも乗る。
熊が、出没するか、怖くて、山道は、雨の音で熊も私もお互いの足音が聞こえないと、避けようが無いから晴れてくれたから歩けるけど、お願い、出てくるのなしね。ここって木擦れの風の音が、大きい。山に、本当に入るか、ちゅうちょしてお昼になる。峰の頂上は雲で見えない。午後には天気崩れるって。
そして、山に入った。熊除け鈴をリュックに付けてるのが、あまり鳴らないので、リュックを片手に持って振り回してた。鳴らせ、鳴らせ。歩いているひとが他に誰もいない。たまに、向いからすれ違う。これから向かうばか。時間のリミットを2時。に引き返すか、さいしょの小屋に1時こえるならそこで引き返す。というルールにした。
こんな山道こそが、真に求めている道だわ!!という興奮があった。小屋まで、しゅっと40分かからないで到着いたしました。そして視界が開けて、パノラマに山脈が見渡せる、偉大な山肌が間近にある、このような道を生きているうちに歩けることが信じられない。この視界の世界は、この世のものとは思われないくらい、感動的だ。
熊は、もしかしてこのまま出てこないかも。出てきたとして、熊よ、お逃げなさい。と念じてお伝えいたしましょう。熊は、とにかく今日は、大丈夫だった。
山道に、むきだしの岩場が顕われ、鎖とかロープが、垂れていて、いきなり操って、登れた。出来た。よじ登るのは、サルの如く、得意だった。
天狗の留まり場 の手前あたりから、天気が急変した。霧が湿気を含んで雨になったというか、大気が雨そのもので、リュックもジャンパーも雨そのものになってしまう。カッパ出さなくちゃ。すごく達成感があった。荒くれる風や雨も、たいけん出来た。身を低く伏せて、下山開始。もうおまえ帰れ。山の声がしっかり聞こえる。
そして、さっきの急な岩を下るですって、こ、これは、どうやるか。尻もちつくみたいに、お尻を岩に着地させて、両腕に力入れて、足を置く位置を調節する。なんで知ってるんだろ。悪天候で周りに誰もいなくて、おもう存分にぶざまに、安全に、降りました。これがかなり楽しかった。
天気が、雲の流れの速さ、カーっと太陽が出たり、霧になったり。午後1時30分が限界で、もう山はいそがしいのよ。そして、プレゼントをくれた。色が濃いほうは、こんなに濃いのは初めて見た。
今日のことが圧倒的な体験すぎて、山が中心的なことで、一過性の、わたしのシゴトやケッコンなど副次的で、吹けば飛ぶような、そんなことより、山が在る。きっと1000年経っても山は、在る。10000年前から山は在った。在ったっけ?とにかく、山、凄い。
旅に出る朝に、雨。寒いので着込む。出発の時間を遅らせた。昼過ぎとか、お宿へ夕方までに辿りつきましょう。
お宿へ行くバスの出発駅にて、ちょっと足をのばせる場所、諏訪峡へ行く。これ、行けてなかったことが、後で判明する。入口の看板の矢印が逆を向いていた。川側の陸になったところで右、を向いてたけど遊歩道側にクルッと回せば、正しく右。ってことか。水紀行館という建物の外で椎茸売ってるおじさんに、ぜっさんしょくばのグチをしゃべりに来た、建物内のおばさん、この二人に割って入って、場所がどこか聞いたのだけど、雑に、あっちよ、と。行ったことはなさそうだった。
利根川を見て、見ていいのか戸惑うような廃墟、川沿いの道や階段が、お金かけてもらっていないようす。特に階段は、壊れてないか、足元を用心して歩いた。駅前で買った生どら焼きが道のえきで80円安く売ってた。
廃墟跡でイベントが開催されていた。蘇ること?というより、このままを、箱庭をたのしむ、に近いのかな、ここにあれやこれや、見立てをつけてあるのかな。という展示だった。空き地に野良猫か知らないけどトラ縞、寄り目なのがいて、少し離れたところに、小柄なトラ縞がいて、顔見たら寄り目だったので、あ、親子か。と思った。
雨でしっとりしている温泉地は、山の匂いもそのまま漂う、なんとも気持ちのよいお湯でした。やさしいふんいきの質。ゆっくりくつろげたのでよかった。
旅の準備で、銀座へ行った日。お目当てのお店は、知ってるビル、ほとんどちゃんと入ってみたことないビルの5階にあった。こういうみせをりようするきゃくのがらがわるくてしょうひんはさんらんしていた。機能が優れていて、値段が安い。雨を凌ぐらしい服の裏地は、指で千切ったら破れるだろうよ、という柔なつくり。千切らないけど、こころもとなくて、結局買わなかった。
雨用のズボンを買いました。撥水します、湿気を逃します、温かいです。だそうです、雨具でズボンが必要だわとおもって、簡単なビニールでできたやつで間に合わせるつもりが、3倍、いいものを選びましたため、こういうお店でもいいお買い物が出来るということ。スマートだわ。
だらんだらん、間延びをしている。てきぱきと買い回るつもりがお買い物、終了。駅を移動して、美術館で風景画を観ました。筆跡は、油絵の筆とか、鉛筆とかの方が、やはり好きだとおもった。昨日の絵は、iPadのコンピュータの筆、丸っこいペンの跡で、絵は新しいけど、絵に息がかんじられない。という感想。
コーヒーを飲んだ。2回飲めるやつ、はじめアイスにしたら氷だらけで、ほとんど液体が入ってない、騙しだよね、アイスは駄目。ホットは、パインなんとかブレンドって名前。香りがもの凄く良かった。