TORABARA しもつき6日

犬だらけが行く神社のことを、ダメと言っていなくて、されど、山岳の神さまは、歓迎をくださっているのか、どこかしこの、木や岩の佇まいに、ケガレがひびいてなければいい。って、ケガレって言っちゃってるけど。

奥の院の眺めが、よかった。

遥拝所から臨む、奥の院。

一日に一本だけある青梅発のバスに、ちょうど時間が合って乗れた。時間にはセットされてるみたいに、列の中のまま、ロープウェイ。山を歩く。滝とロックガーデンへも、行けた。

降るときに、小学生のガキが、ずっとふざけているのと歩幅がほぼ合っていて、そのガキふたりは、今からラーしか言わないことゲームな。ラーラーラーラー。そのうちひとりが、ラを二回言ったらリってことにしようぜ。と提案し、クソガキ大将の方には採用されず、ラーラー。節が付いたりしていた。

公共の、鉄のポールを、クソガキ大将が上に乗って、え?曲がったよね、ポール?これを、わたしは正せなかったので動揺。外人で、なにじんか知らないけど、ちゃんと躾られていない状態の子に、10年かけて善悪を伝えてゆくなら、今のは、NO。おい親、野放しにしてるんじゃないよ、多分、このクソガキに無関心なのだ。クソガキは際限なく、毒を出しそう。大人になるまでは、だいたい毒まみれみたいに生まれてくるのだ、ひとは。

女が2人連れだったりすると、タチが悪いと思った。道中、ずっと職場の愚痴を喋りつづけていることが、すれ違いざまに、判る。せっかくいいところに来て、低波動なカプセルの中に入ってるも同然なくうき。

どっちか選ぶなら、わたしはラーラー、言うね。てめーポール曲げてんじゃねーぞ、も、同類の位置からなら言える。

月曜日の、電車に乗って行くところの、観察日記はまた、別な機会に書くかも。

TORABARA しもつき5日

自転車で行ける場所に、温泉があると知った。黒い湯だった。掘り当てたのが油田だったよ、これは黒いオイル。と言われたら、そのままを信じるとおもう。ツルっとして、入浴してからずっと体が温かい。

自転車で次の地点へ。美術館、最終日に間に合ってよかった。見るべき、来るべきな展覧会だった。今日の美術館は、どこかへ、チューブみたいな回廊でつながっていそうな、異次元空間をかんじた。そういう、絵本。が展示されていて、童心そのものになっていたから。

両腕で抱えたくなる絵本を入手しました。

帰り道、広い公園の電灯が煉瓦敷の地面に、落ち葉に、ともっていて、少しだけ雨で濡れていたせいか、とてつもなく綺麗だった。

TORABARA しもつき4日

御岳山の神社さんへ行く。武蔵御嶽山神社へは初めてだから行ってみたいんだよねと人に話したら、何年も前に、そのひとと一緒に行ったと言われた。覚え違いじゃないの、と思って行ってみて

神木の巨木を見て、ああ、見たことあると思った。神社さんのことは、ほとんど見たことない位、前に行った頃の私は内面が彷徨っていたか、記憶が朧になるメカニズムってなんだろう。

狼さんを祀られているから、犬さんも入って来ていいことになっている。現在は、犬さんが家族の一員になったりして、四足の獣は穢れだ、とする神域の結界の掟を、ゆるめざるおえなくなっている。女人禁足地、というのがあったり、いにしえの知恵がはかりしれないのに、現在の左脳的知性でしか進めない事態に、嘆きは多い。

お抹茶腕があって、本式には、貯めおいているお湯でしか洗わない。この場合の、洗剤を付けて洗うなんてご法度、という洗剤を、お抹茶腕にとってはケガレ、と表現されようが、洗剤が穢れでは無い。物事の棲み分けというか、正しく美しいおさまりかたというか、文化というのは言語化したところでたよりないことになる。

獣を境内に入れるのをやめろよ、というわたしの直感。それでこの神社さんのことを記憶から消してたか。神社の神籤が凶だったけど、こことは、こころのほうこうのたがうことを示されたのかも。

きょうかいせんをいうことはナンセンスか。

TORABARA しもつき3日

旧、明治節。明治神宮さんの本殿に、初めてあがらせていただいた。式典に参加したのでした。わたしの正装が、場所に相応しく選べていたみたい。しっくりきていた。2時間以上も、立つ座るが、ひんぱんにあって、ここへの参加を体験しました。

舞いが披露されて、白い羽織りが、唄の途中から、四人とも右肩だけ脱いで、極彩色のイレズミ模様みたいな着物が立ち顕れて、日本の文化って、真髄が凄いと思いました。

ふわっと蝶々がおりてきて、進行役の神職の側に、手摺りに、とまっていた。羽を広げたり閉じたりしていた。昔からの同じしきたりは、時間が伸びたまま、現代の効率だけがある仕切りとは別ものだった。ありがたい波動があったりして。みえるわけではないから、ありがたさを、そっと、いただく。本殿の奥まった所に、いつも手前の所におくのとおなじお賽銭をおさめた。

御神酒を一口ふるまわれ、お弁当をお土産にいただきました。

流鏑馬を待機する、神馬。

近くの学校の文化祭へ。お目当ては、バザーコーナーのお買い物。荷物が重たくなり、旋回を終了した。え?ファッションショー見なかった。展示コーナーを一つも見ないまま。

せっかく一年前にバザーで入手した材料を、この一年、いっこも形にしてなくておちこむ。インプットばかり、これ以上、いらない。

何ヶ月ぶりかでお花やさんにて花束を組み合わせた。

TORABARA しもつき2日

紅葉を見たい欲。

おうつくしい。

肌色の毛糸を編み始めた。ノルマ。なことをいくつか片付けた。鰹節の入ったきんぴら作ったり、大根おろしを剃っておく。包丁を研いだり。

朝からおもいだしたかった絵本、ふいに閃いた。ハロルドだわ。この頃、絵本のとおりに、クレヨンで描いたままが、出現するみたいに、形になる。物資化してゆくかんじ。

ハロルドのふしぎなぼうけん。クロケット ジョンソン著。

TORABARA しもつき1日

南側は、植物にとって魅力らしくて、ベランダに置いている、葉っぱだけになったアマリリスが、ぐいぐい、手摺りの向こうに葉っぱを伸ばしてゆく。

シゴトでイマイチなのは、シゴトの内容でわたしが気付けない誤りがある。わたしの盲点が、ありあり、明かされることが、しゃく。それが尾をひいて、イマイチ、家の中でもうろうとしていた。

まさか、また、寝てしまうなんて。夢が、わたしの体験を砂にして流していった。気にしなくていいって言われたみたいだった。

体の症状って、感情の表現らしい。なにかの拍子で、くるっ。と体の調子が良くなったりするよね。