TORABARA やよい15日

こういう朝に、名前があったはず。天の微笑みが地上に届いたようだ。先日、鹿島さんにいただいた砂を、家の四つの方角に撒いた。からだがなにかを知っているかんじ。

今日って、天赦日って言うらしかった。天の生気が万物をいつくしむ日。わたしがかんじたそっくりなことが書かれている。

ベビーティース(映画)の感想です、未知の世界に足を踏み入れる時の、キラキラがそのまま、主人公の視線で描かれている。夜の溜り場にある音楽、ダンスをする。ドラッグを少し。ティーンから一歩、女になる、陽だまりな時間とか、緩やかさが、とてもいい。感覚的だからです。

TORABARA やよい14日

香りが先で、この香りは、沈丁花か。と思ったら花の姿が見えた。道路を走っているときに。

関心の有る無しを顕にされること、に神経が過敏だった。人からの承認ありきで自分というのは「在る」、人からのお引き立てありきでこその自分、だとすると、自分を「無」にされたようなかんじ。だったと思う。

あなたに関心がありません。と、保護者が言ってしまうことは、虫の群れの中では暴力であろう。田舎というのは、虫の群れ、と同義だとおもう。目は無い為に、右往左往しているしかない。

誰々さんが目をかけている、からこそ初めて、なにかの話が始まる。人の体はキョーミないと動かない。それで、関心を向けラレナイ、ことは、なんにもない、なんにもしない、なにものでもない、価値の無いことに自動的になる仕掛けだったとおもう。村社会。

都会では、村社会ではないありようがある。村社会とは決別したことに因っているひとは、都会でしか暮らせない。

家との一体感、にしか基づかない行動、を何故にせっせとしているか、家にだけ帰ることに生活の焦点がある田舎者がいるけど、どうかわたしを巻き込まないでほしい。これをダンナに向けて言っている。わたしにとって逆戻り、がつづくようならば、けっこんをかいしょうしたいほどの、逆鱗。

随分と記憶が遡るが、大学の入学式に、上京したわたしは、保護者代わりに姉に付き添ってもらうことになった。これは親が決めた、というのを口実にして、姉は親のお金で、服を買った。それが花柄の短いワンピースで、当日は、大学のメインストリートに机を出して、サークルが勧誘していたとおもうけど、せっせと、姉にチラシを渡し、呼び込む様子ばかりを、わたしは他人事のようにながめた。

入学式が、この姉に付き添い、姉を引き立てた、という行事になった。誰が、大学に通うのか、誰の、大学か。意識が、この光景を体験したことで遠くへ離れてしまったまま、まるで焦点はズレたまま、結局は、私は大学を辞めてるけど、初っ端からろくでもなかった。

おまえが今、出しゃばるなや。という怒りが、何十年も経って、再燃していた。調子に乗っているじょうたいを、更に加速させていた私の親は、姉だけが偉い、おまえは姉の邪魔にならないようにしなさい、お金の負担もおまえには出来ない。というスタンスだった。わたしのことを古いボロい県人寮にぶち込み、姉にだけは、一人暮らしをさせていたし。ひずみ。

のこのこ、ひとさまの式に出て、我が物顔をすることが、ありありと思い出され、花柄のワンピースは調布パルコで買っていたことから、調布パルコを忌み嫌い、何十年も、封印するほどに、自分の新生活を踏み出そうとするひとにとって、酷な光景だったのだとおもう。

少女のきもちに戻って泣きじゃくるような日。

家。に一体感を持ってるひとへの嫌悪感。なにが引き金になったやらで、また、あの、花柄ワンピースにまつわる嫌な気持ちが蘇えっていた。

TORABARA やよい13日

夜、西の空に下弦の細い月が出ていた。カッコいい。

ささやかすぎる、暮らしのはんい。ほんの鼻先みたいな、つき合いがあるけどそれは、入れ替わる。結婚しているひととはご縁があってのことだったとして、過ぎ去ってゆく、シゴトサキ、毎日関わっていたこともあったのに、わたしが去ることは多く、わたしのしょざいはゆくえしれずってこととおもう。いろんな名前も忘却の果て。

想像力のうすい、中年の女たちとは、離れた。かのじょたちの了見に収まるような、こちらを何だとおもっているか、に沿う、落とされ方は、なんだったか。かのじょらに起こり得ることと、そもそもの器が異次元にちがうのだ。いったい何がおこっているか、幻想に近いようなこと。これを言いふらす訳じゃなし、平板に画一化された、ありきたりな角度での事実のキリトリに委ねるつもりがない。わたしはだあれ、わたしの実態が知れることは無い。これを、ロマンと呼ぶ。

旅先は、自分自身への居心地があってこそ、楽しくてしょうがないのであり、外の要因が、清涼剤あるいは、ポエム。知らない場所をどこまでも歩いてみたい。その土地でしかいただけない珍しい出会いは、いいですね、和菓子とか日本酒とか、真珠。砂。お土産品のられつよ、ボケないお茶、松ぼっくり。滝も湖も、海岸線の岩たちも、観覧をしたそのことが思い出という名の宝。

TORABARA やよい12日

昨日の旅の帰り道でメールを見たら、昼過ぎにネットに出品してる本が売れた!ことを知る。なんとしても今日(昨日)の内に発送までしておきたくて、無理をした。へとへとだったのに。

それで今日は、まるで体力と気力が奪われているかんじ。なんとか昼になって昼休憩の1時間寝た。夕方4時ころ、早退したほうがいいくらい怠かったけど、がんばった。そして5時30分から寝た。

ポテトチップスの味が甘い砂糖と、塩が、分離して感じられて不味い。ボロい塩を使ってある昆布茶の塩味がキンキンしていて飲めたもんじゃない。自分の体が弱っていて、それらの食物が消化出来ないから、味覚が鋭くなってる。どっちなんだろう、身体が健康で、食物消化出来るから食べ物を美味しくかんじる。ポテトチップスを完ぺきに消化出来るほどに、身体が健康だから美味しい。なのか、毒まじりなのに美味しいとおもうことがマヒなのか。

毒。は言い過ぎね、あまりよろしくないといわれている食べ物、ジャンク。というジャンルの嗜好品。

少し休んだ後、夜風が気持ちいい時間に、自転車でおでかけした。果物だらけをいただきました。いちご。青リンゴ。甘夏。グレープフルーツ。

TORABARA やよい11日

朝一番の水郡線に乗って、瀧を見に行く。

瀧見台から、壮絶な眺め。迫力!

うおー、袋田とは、ここのことだったのか!見惚れてはなれられなくなる。正午前の朝の時間に、生まれたてな朝の時間に、来ることができて、よかった。

吊り橋を渡って、月居山へ登りましょう。陽があたるかどおかで、階段に雪が残って、ツルツルに艶がでてしまってる所もあって、滑るってば、危なかった。手すりがあって、両手と腕の力で手すりの方に体重をかけたりして、とにかく登りました。

雪の残る山を登るなんて!

ここにはかつて城があったみたい。鐘が撞けるようになっていて、いいかんじに響かせた。満足じゃ。

そうそう、こういう道を歩いて森林浴したかったのよ、

温泉があるはずなのに、2軒まわったのに、現在日帰りの入浴をやめてる。ということでした。車で来てる人は、観光地を点で移動して、加工されたようなスポットへ行くだけになる。歩いてみると、(カメラを向ける気にはならなかったけど)、旧道路で地滑りがあったかしょ、ガードレールが外れて宙に浮いたまま、まだなおされていなかったり、その地帯は一体何を商売しようとしているのかバラック小屋にぎっしり炭色の物がぶら下がっていたりした。

袋田の滝すぐそばへ戻って、蕎麦屋さんに入りましてとろろそばを食べたけど、平日の昼に客がわたしだけ。温かなサービスで、この土地の名産なんですよと、串にさした蒟蒻おでんを頂く。そのお皿に、紅葉した葉をのせてるところが粋だとおもう。水車が目印の3階建のお店です。「昔屋」さんよ、

灰色な冬どきの木々。つまり落葉樹。つまり、紅葉のときはさぞかし麗しい谷になるとおもわれる。

電車は、2時間に1本で、袋田駅までは、歩きました。まちがえて大子の方へ進み、引き返したりした。なんでもない道、というか車道の脇というだけな道を延々と歩いて、水戸駅に戻っても同じく、車道っの横に付いてる歩道って丈な道を歩いた。なんだかくたびれました、もう帰ろう。

水戸、千波湖です。

特急列車に乗り、あっという間に、上野に到着しました。

TORABARA やよい10日

朝5時起き。行ったことない土地へ行く日。快晴。東京から2時間で彼の地へ行けるのね、生まれたての空気が、なんと清々しく、森林の道が幾筋かある、全貌はどうなっているのか、水路が、海と湖と川、池。水のエネルギーの精霊が飛び交っているみたい。かがみのように水のパワーが空に映しだされているとかんじた。水のような、空。ぷか。と浮かぶ雲。

この美しさよ
奥の院、上空。

昨日がお祭りだったんですって。

すくすく育ち聳える木。

鹿島神宮さんから、鉄道一本でつながっている水戸へまいりましょう。

やっと、天国へつながっているという塔へ行けたわ。町並みが、二階建てが多いせいか、江戸時代も、雰囲気が変わらずなのかもよ。

夜の梅のなんて香しい。

満開。

夜のディナーは、本格中華のコース。美味しゅうございました。

TORABARA やよい9日

飛んでる花粉が、今日から入れ替わったとおもう。ぴたっと鼻水の症状が止まる。こんなにも春の陽ざしは麗らか。森林みたいな道の、なんと空気がおいしいのか、症状がなくなることが爽快。

自転車屋さんへ行って、調子を直してもらう。数少ない知り合いのお兄さん。

メガネをかけて掃除機をかける。いろいろ気付きすぎてなかなか終わらない。洗面器を洗っている夢を見た、その通りの動作で、洗面器を洗った。夢と重なったことで、このときから鏡の向こう側へ行ってるのかも、あっちとこっちのいれかわりかも。

今日は、ささやかな美術を観る。エッチング、筆跡に感じ入ることがあった人だけど、今日はピントが合わない。夫の浜口陽三さん、画面下半分がブドウ、背景が黒。の絵が良かった。最寄駅のスーパーにて、エメラルドグリーンのブドウ粒のゼリーをお土産にする。絵を連れて帰ったみたい。

ファッションビルのお買い物チケットがどんどん貯まる。ここって10代と20代が、客層のターゲットらしい。うすうす知ってたけど。ドリンク売り場の要領が悪すぎる若者を見ていて、むしろ、感心した。わたしは機械じゃありません。を地でいく感じ。烏龍ミルクティ、タピオカ入りだけど、前回タピオカが多かったのは、毎度一定のサービスにならないことに起因していたのか。

原宿駅前にいつから大型の化粧品ショップが開店していたのか、賑やかで楽しい処で、入ったっきり出てこれなくなる。夢中になるしかない。欲しいモノがある時ってノロノロしてペタペタ歩いて、いっこうにようりょうをえない、でいて、欲しいナ、とっても。という気持ち。まあお客さん、本日のところは見る丈にして。

明日の旅の準備で、夜中になってしまった。

TORABARA やよい8日

解剖学の本を、やっと入手できた。バスキアは、グレイの解剖学を読んで育ったらしい。解剖図は、目を背けるほど苦手だった時期があり、なぜか反転して、お部屋に飾るほどに好物になったりした。科博に、人体の輪切りのホルマリン漬けが展示されたとかで、駆けつけた日のことを覚えている。その部屋に入るまでの、とうとう、いよいよ、見るぞ。という高揚感。

解剖の学問の進化、蘭学者の努力と成果について、わたしの小学校時代に、はじめて自主学習をするテーマにした思い出。ずいぶんなテーマにとりかかりましたな。杉田玄白って名前の、白、が入ってるところになにか引かれるカンカクって丈。とうとつ。

ホルマリン漬け、は、囚人だったひとのものらしかった。おどろおどろしくも無く、研究のための後世への貢献になっている姿。この見学から数年後に、図書館で借りた生物学のカラー図鑑を熟読してるうちに、ノートをとり始めたことがあった。なんとわたしたちは奇跡的な存在だろうことを知ってゆく。

医学書かもしれない本の、美的観点からのながめをたのしむとおもう。届くのを楽しみに待とう。

貯金をしないで、積極的に、日々を活性化してゆく。お金を天下に回す。運がまわる。