TORABARA はつき31日

東京国立博物館。へ行く。毎週くらい通うかもしれない。今日行ってみて、やはり膨大な展示だ、と辟易したようなかんじ。

葛飾北斎の、いい状態の版画がいっぱいあった。

養老の滝(美濃国)

娘の応為の絵。前に本に載ってたものが実物が見れた。良かった。

着物で、夏物で透けてる、マルチカラーで海月の刺繍のやつ、所蔵品だとおもうけど、わたしはこの着物が15年位前に好きだと思い、4年位前に、なんか劣化してない?と見てて、気になってるけど、着物特集なのに今回展示してなかった。こういうことを聞いてみるといい。友の会は、ツーだよねって質問!

習い事に通い始めたカンカクに近く、上野。の寄り道のパタンとか出来ていったりして。

「神仏のみことば」桜井識子著

魂の輝きは他人に委ねられる(他人が愛してくれるかどおか)ではなく、自分がたくさん愛情を持っていたらキラキラ輝きます。輝かせるのは自分なのです。ここを理解していたら、幸せの意味が変わっていきます、人生もよりよく変わる。愛情の袋を常にふくらませておきなさい。

わたしに課されたお題目が、こういうことだったかもと、答え合わせをするように読む。長らく、同じようなところにふたりいて、その一方だけが四方八方からもてはやされる光、私はとり残された影。を味わう局面があった。私への周囲からの関心が無い、ことによる歪な、蔑まれ方、疎まれ方、あけすけな人々の悪意ある形容詞が聞こえたりした。

今、それらが解決しているかといえば、やはりしこりは残っている。わたしからの強い態度と物理的な遮断は、現在も貫いている。何にせよ浅はかな輩の側が変わることは無い。わたしは、自分の思い込みを造った結果だったかもしれないが、窮して、メンタルを病んでしまった。休学もして病院に通った。

わたしのメンタルに不味い作用を及ぼした人達のなかには、自身の母も、含まれている。母にかんしては浮薄さが、まずい。母にとっての限界なので責める気持ちは私からは無い。病を経て、生まれ直す。というたいけんが、今のわたしの基本にある。

自らの愛情で袋を満たしたからといって、そうですかといって、やはりしこりのある相手には、どうしても反応してしまい、何年かぶりで母と会った後に、帰省の直後に筋肉がコントロール出来なくなり、仕事でPCのカーソルが、焦点が合わなくなる異常がわたしに起こっている。

ゆるすかどおかではなく、筋肉が反応して、きょぜつをする。からだにじんましんができるのも、おなじ理と思う。魂は、自分自身を護るのだ。

追い詰めてはいけない。会う「べき」だなどと自分をしばってはいけない。無理なら自分の視界や次元から葬る。ことが是。

愛は、神仏とむすぶ。じぶんじしんとむすぶ。

TORABARA はつき30日

夜、携帯会社の変更手続きをした。キャンペーンだとかで、身に余るプランにしてたのを直せて、ほっとした。わたしは家にWi-Fiがあるので、無制限なんて不要だった。このイベント中は、PayPayと連動してたため、矢鱈PayPayを使って、そのポイントは全て負荷分電話代金に充てる、という、稼業でしたとさ。

河合隼雄さんの著書、感銘がいっぱいあった。

自分の夢には、本物の夢とニセの夢がある。既製品の夢、というのは、周りの人が好しとするお仕着せにひっぱられて、思わされている事ですね、いい大学に入る、いい就職して、いいひとと結婚する。

自分の本物の夢を見極めるためには、自分を解体する必要がでてきます、ここで「7つの人形の恋物語」の人形師のような、人の内奥の7重人格の複雑さを加味するといい。何になるのが夢か、夜見る夢の中にも、それはあらわれているはずです、それをさぐりつつ、夢を生きる、ようになるといいですね。

「異人たちとの夏」の中の主人公は、現実に於いて、ぎくしゃくと、なにかとちぐはぐだった、だからこそ、地面に足のついてない、ゆうれいと、自在な羽をはばたかせる水入らずな時間があり、それが至福である。この、とってつけたような空疎な、つくりものの匂いのする会話。って、身に憶えがあるという気がした。たとえば職場で。職場とは。すくなくとも本音を見せ合う場所ではないですね。たしかに。

なにかを判断するときに、損得で。というのもあるし、感情で誰が喜ぶ悲しむ、の場合もある。このほかに、この行為で、自分の魂はどう感じるか。というのもあるのではないか。この視座を持つことで次元がかわり、せかいが広がるのではないか。

抜粋して、わたしのあたまで混ぜたような内容を記した。もやもやした思考に言語が与えられる。何度でも、いろいろな箇所を読むといい本でした。「こころの天気図」

TORABARA はつき29日

外に行かなかった日。

読んでいる本に、いまの私へのメッセージが書かれている。パッとめくったページに、エンジェルが宿っているかんじ。

今世わたしが好きだと思うことは、今だけの好きなので、どうかがまんしないで、好きなことをやりなさい。

選択に、気を付けなさい。もしもイマイチを選んでしまったら、そのイマイチが連鎖して、好きでもない経験をする未来につながってしまう。自分が何を経験すると幸せか、それを選ぶことで幸せは感じるか。一つ一つ選ぶことで未来がすごく変わってしまう。

どういう働き方をするのか。どういうたいどで人にせっするのか。どういう自分をまわりにふりまくのか。このひと粒。が放射状に広がる。

自分に心地よくないものは、選ばないでね。あなたが原点。違いは間違いではない。

「かみさまは高校2年生」すみれ著

TORABARA はつき28日

とうとう、換気扇の戸の役割をする、フィルターを買い替えた。このフィルターの掃除には、どれほどの時間やお金や苦労を費やしたことか。ヨゴレをためなきゃいいのだけど、年末になって大掃除するとき、格闘ぶりがなんだったか。ふつかに亘ったりして。寒い時期だからヨゴレ、落ちないか、掃除を夏にまわそう、というので先週、洗剤に漬け置きして、擦ったらハゲはじめた。

とにかく、こんどこそ、せっかく新しくしたので、ひんぱんに、柔らかく優しく洗って、回してゆこう。

やっと、届いたか。という感慨がぶあつすぎて、今日は装着しないままだった。

仕事が終わってから、図書返却、それと電話会社を替える予約も、ちゃんと入れた。

赤肉メロンを丸ごと、買った。北海道産。しばらく熟すのを待つ。

TORABARA はつき27日

朝の6時に、誰もいない、露天風呂の温泉に入る。それから、とても美味しい朝食をいただく。

小湊鐵道。に、乗りまして、象の国へ行く日。

高滝へGO
象さーん
ショー会場に向かう象
ショー。踊ったり、絵を描いたりしてた象。
二頭並んでいる。こののち、わたしは象の鼻に腕を回して、記念の写真を撮ってもらった。
よい夏のいちにちになりました
天気が大丈夫そうだったので、急に旅の予定を組んだ。しごとおわった足で、温泉に泊まり、翌日は早朝から、バスや電車に乗りました。
タイレストランにて青色のお茶。

象さんといっしょに写真撮ったときのわたしは、最高な笑顔をしている。しかし、腹が出てるやんけ、着てる服も中心が歪んでた。ビジュアルのチェックは必要だね。それと

ランディとミッキ、象の優しい気持ちがほとんどこちらに伝わってきていたとおもう。バケツに人参やバナナを入れて、動物さんの口に直接、エサをやってまわった。象のミッキの檻だったとおもうけど、向こうがギリギリ鼻を伸ばして、こちらも身を乗り出して手を伸ばして、やっと、バナナが届いた時、気持ちも通じ合った。感動だわ、周囲の人間達におかまいなしに、興奮じょうたいですごした。

1人で来てて、ショーの時は声もはりあげたり踊ったりしてた日。

動物って、わたしを癒してくれる。それが実感できた。

TORABARA はつき26日

おしごとの帰り道を逆向きの電車に乗って、旅へゆく日。乗り換えの駅でアクセサリー売ってるわ、半額ですって、キャー。と寄ってたら乗る筈にしてた便を逃した。

夕焼け

到着して、歩いたことがない街の夜道を、そのまちの空気感とか、愛情が滲むような気配とかをかんじながら歩いた。なんとなくあいされてる土地。そして善き温泉が湧いてるって。黒湯。

今朝は、5時前に目が覚めた。朝日が、裸の光。みたいになまめかしい光。に感じられた。そして、世の儚さを悟って、なみだがあふれてきそうなこころもち。なにがって。なんて自分はささやかな出合いを掬って、伝って、きょうまできただろう、なんて僅かなコトだけを味わって、この世を去るのだろうか。

この、振動したきもちが、夜まで止まなかった。小高い丘の上の土地に住んでいるので、都心のビル群が、地平線のほうに見渡せる。そのまとまったピンクが、嗚咽にも似たきもちに作用した。

TORABARAはつき25日

家を出発して徒歩で、駅近くなって、もしかしてお財布忘れたか、かばん空だったわ、引き返す。じかんのロスじゃね?とおもったけど

神社さんの手水舎から門をくぐろうか、というタイミングで、大きな太鼓の音が鳴り響く。じかんの照準が、ピッタリ合うようにできている。

国立博物館へ行き、国宝を見る。友の会に入っちゃいましょ。しっくりきた。ここが開いてるときになるべく、ここに来よう。チラシの、薬師如来さんの螺髪に、グッと惹かれたすなわち、呼ばれたっビビビビ。

お姿に涙ぐんでしまう法華さんがいらっしゃった。お顔なのか、存在ってだけがこんなにホッとなれる、歳をわたしがとったから、仏に近づけば近づくほど仏が美しいことを悟るのかも。

それと、ここに来る前に、カツカレー食べた。凄いカツカレー食べたいって時にいただけたから良かった。

TORABARA はつき24日

映画館へ行って映画観る。三日目。熱烈なファンがいらっしゃるらしいけど、どこがいいか知りたい。そして、世界の見え方のまるで異なるタイプが、一定数いらっしゃることを、目の当たりにした。三時間、居眠りをところどころした。大きな画面に人の顔が大きく映っている。二人だけが静止して映っている。テンポがゆったりしている。画面の色は綺麗ですね。表面的な特長は言えるけど、わたしの心と鳴りあうところはないかも。

次の駅へ移動。なにやら祭。わたしを掻き立てるわけでなく、わたしは平坦な気持ち。わたしはズレてるかもしれないけれど好きなことに向き合っていこう。お目当てのお化粧ショップで、一点一点の商品をくいいるようにみる。欲しい物は、買っちゃおう。いいものをイロイロ見つけた。

そして温泉へ。急などしゃ降りになっていて、露天風呂で、まっ裸で雨を浴びるたいけん。それと、プールで泳いだ。地下の食堂へも行く。食券の自販機が、うまく作動しなかったときに、すかさず後ろにいた若者が助けに来てくれた。たとえばキムチ丼を買うとして、とかボタンも押して実演して教えてくれたのだけど、こんどはキムチ丼のボタンが消えなくなる。

わたしは気を利かして、その若者にキムチ丼、ご馳走したらよかったか。きっと若者、キムチ丼、食べたかったんじゃない?