TORABARA はつき7日

ピアノのお稽古をしているひとときが、わたしにとって大切だった。ピアノは、習い事として通わせてもらっていたのだが、姉に奪われた。

実家に金銭の余裕がなかった。姉は上京して私立短大に通い始めた。これは姉の将来に直結する、家をあげての事業になるから、家のお金は自分に回せ。と姉が母に詰め寄り、わたしからピアノの習い事が取り上げられた。

「月謝」がダイレクトに狙われたことについて。ひとの生涯の、恒久的な豊かな流れ、を暴力的に、姉の私欲に傅かせる(男を替えて享楽に興じていたかと存じます)この即物的な俗物、二十歳そこそこの姉の脳でしかない事物の配置を、何故に愚かな母は言いなりになるしかなかったやら。将来の職業に関係ないから習い事が無駄だ、やらせててもしょーがない。という横柄な口が、居間から聞こえた事を思い出した。結果、姉の将来がお金を得て家に還元出来たなどの事実はなかった。すきあらばせびりとる。という姉を警戒しつづけて今に至る。

現在、姉が小金稼いでいるバイトが、姉の通った短大のろせんの職種とおもわれるけど、そこ止まり。という現実を二十歳の彼女が識っていたら、私だけが輝く約束になっているような振る舞いは、出来ただろうか。おとしまえはつけろや。彼女が、そこ止まりな事と、わたしのピアノの犠牲は、一元的な気がする。ひとの芽を摘むようなまねへの報い、といえるのだったりして。

わたくしがわたくし自身への崇高な時間を持って、ピアノに向きあうことに、力の行使、介入があったことは許されない。

ちゃんと、自分の好きなことをやっていられる、わたくしの生活態度は、時代を超えて(もう30年も昔の話してる)、なんて尊かったか。という話。

TORABARA はつき6日

おうちの内側にある、あたたかい雰囲気。

先日、現像した写真を、キリトリしてノートに貼る。山を登っている途中の、けわしい道の、ドアップ。わたしにはわたしの息も思い出せるくらい、この視界が確かにあったことが、写真の画面で再現された。写真にならなかったら消えてたことを写真がとどめた。

旅は、わたしじしんの特有の時間に浴していて、かぎりなく甘美な思い出。

夕方に、お決まりの夕だちがあって、アスファルトが涼やかになる。もう夜のさなかに、アイスクリーム他の買い出しをした。

赤ワイン、がぶ飲みしてたときに、ネットのお買い物ボタンを押しちゃったわ。お掃除道具の他に、御本を3冊。

ゆるゆると眠りましょう。

TORABARA はつき5日

出かけ先の街で、銀行の用事をする、記帳とかしようと思ってたのに通帳忘れた。

出かけ先の街の昼時間が、時間と勝負してるの、なんなの。お膳になってるご飯いただき、ホットカフェオレとおやつを買って、ビルの上層階オフィスに戻った。

銀行の、振込ができていない、というメールが来たと思ってたけどよく読んだら、振込完了しました。のお知らせだった。え?

昨日のアンバランスを、ととのえなおす。ショッピングエリアの接客を受けてて、どこかホッとしている。合う、合わない。の加減が、わたしの側のバイオリズムに拠るのか、居心地がちゃんと良かった。それでいくつか、みりょくある品をお買い上げした。

昨日の新宿が場違い。動揺がつづくくらいも、違かったわ。

TORABARA はつき4日

新宿へ行く。焦点は合っていないまま、さほど用事は無かったけれど、部屋の中が暑いし。くらいの理由でふらりと行った。今日は、出かけたことで過去のネガティヴとカチンと波動が重なるようにおもった。

大型書店の、棚揃えを、背表紙をたどって、どちらが好きな品の並びか比べる。ジュンク堂vs紀伊国屋vsオアゾ。今、欲しいのは色彩のいろいろ載ってる本かな。和名での色の名前を覚えてみようかしら。感覚的な要素がある本屋さんが、好き。

私にとっての新宿は、随所に、想念を突き刺したままにしているようなまち。今日、よみがえってきた記憶は、サシ飲みをしたときに、下世話なおじさんみたいな会話だった、彫刻家なんだっけな、女の人、イラスト描いてる人。現在、なかなかの著名人に成ってる。闇な面をつかいわけてらっしゃったか。人のバランスで、さしのみしたらいきなり影の方を見せられた。二度と二人で出かけることは無かった。一緒に飲んだ居酒屋ってこの辺の地下だっけ、と通りをわたりながら、視線を配ってた。

酷かったのは、昔からかわらない営業してらっしゃる喫茶店。いま喫煙席しか空いてません、と座った席が、隣の話し声が近すぎ。25才の男4人が、あられもない、女を物だとしている会話が続いている。性欲の拙なさ。言語の乏しさ。25才男のお粗末な生の一端。わたしが吐きそうにおもうキモはどこか。空間への嫌悪感のひろがりが抗い難く、針でいえばムシロ。

店に、ウエイトレスが5人もいて異常だ。制服を着ていないコが、女主人?なのかな、前回来たときに、こちらに介入して会話してきて、それをわたしはこころよくおもわなかったのに、忘れてた。ピース。このお店に、いい時期もあったんだろうけど、

入るんじゃなかった。横柄な若者が蔓延る。よろしくないよね、助けて。みたいな気分で帰宅した。家の中で過ごしていれば平和(ピース)だったのに。

TORABARA はつき3日

吉祥寺。を、たっぷり時間をかけてまわる。暑すぎるとかで、公園に人があんましいなかった。人が、あんましいないってことが、好み。コーラフロートをベンチでいただいた。

ふふふ。

石などを売っているお店の隅々を見てまわる。1年以上ぶりだったけど品揃えが一掃していて、ステキ。目が合うまま、透明に近い白ぽい石を買うことにする。

ディスカウントの、バザーみたいになってるお店にて、ドイツのワイングラスを買う。江戸切子の灰皿も欲しいわ、未来のお店に、置くわね。

バラック闇市跡のエリアにある北欧な店が、すっかりしょぼついていた。たすきにみじかし。な品しか並んでいなくて、わたしは少しだけ会釈して入店し、入り口から何かひとつくらい、買ってあげようという慈善みたいな気持ちで店内を回ったけど、全く、買う物ナシ。愛想がいいわけでもない男の店の人が、まるまると深いため息をついた。これ、客の前でやっちゃうのは末期症状だね。

材料屋さんへも行く。ときめく布があるか調べよう、みたいな時間が、以前のわたしには一定してあった。材料見てまわってることがしごとの内。みたいな感覚。ホームグラウンドっておもうかんじ。ビルごと、材料屋さんだったのに、今は2フロアだけになっていて、またビルごとが材料屋さんに復旧しないかと待っている。わたしの潜在意識はなにを察知しているだろうかを、わかろうとしてる。

古本屋さんで、手に入れた御本が、出会いだった。わたしはYouTuberのギガンテさんのことを存じあげなかった。お写真は、本のためにわざとでたらめが載ってるかとおもったら、延々と、メイクと衣裳のすごい動画があるって。楽しみましょう。

昼までの時間のこと。昼12時に、畑やってらっしゃる所で野菜販売があるかも。と出かけたけれど、今日はなかった。近所の老人としばらく、木陰で立ち話した。こちらの野菜販売は、11時に聞いて知った。すぐにでもおでかけしかけていたところ、ぽっかりと1時間空いて、家の中でふだんほったらかしなかしょを拭いたりした。時間は頂きものだとかんじる、こういう時間は、自分をととのえて貴重。

TORABARA はつき2日

家族のひとの、美しい服は、決済にならなかった。セールの最終日にネットで購入したけど店頭の方で売れてしまった。という事情。

なんだか悲しかった。せっかく、好きだと思えるお洋服を見つけたのに。何年かぶりの高額な、高級品。高揚していたのに。

夜は、昨日焼いたガトーショコラを、ふるまった。濃厚で、甘すぎない。

ちくちくと、モチーフの端を運針していた。マティスの図案を、布にうつしたやつ。クッションカバーになるやら、窓から吊るすやら、どうなるといいか、考えよう。

TORABARA はつき1日

なんだかあわただしい日。掃除機本体を、そうじする。コンセントを、壁に打ち付けて、コードが散らからないようにする。植木鉢を、てんけんする。水の量と、日当たりが、植物にとって、好きかを、しらべる。これは、勘になる。

夕方、5時近くに、毎日でてくる蜘蛛がいて、わたしは蜘蛛に語りかけてきた。夜近くに、蜘蛛は出てきちゃだめ。朝に、出なさい。それとお台所の流しに、虫がいれば退治をお願い。

今日の夕方、流しに立ったとき、蜘蛛が這っていて、わたしが水道をひねったものだから、流しのタンクに蜘蛛が吸い込まれ溺れてしまった。たいへん。

すかさず、太い木でできた菜箸を蜘蛛そばに寄せる。ちゃんと、梯子にして、這い上がった。しばらく体力が消耗していたせいか、じっと身動きしなかったけれど、そのうちに、どこかへ消えていた。救ったね、良かった。

蜘蛛は、流しらへんはもう懲りたかも、わたしの語りが伝わってたのか、え?本当に?

家の手入れについて。キリがない。そもそもの建具の素材がまちがっているのだ、カビが少し生えたから、強い液体で滅ぼす。のではなく、カビなど生やすものか。という運用にするとして、ヨゴレをタワシでこする。乾燥させる。を徹底する、これを、ちょっと待て。と思う。ひとさまの体の世話もままならない、同等、以上、の世話を焼いている家に備わってる設備と家の主の、主従関係って、何?

立地、風通し、に適切な建具とは何?屋外ならばカビって生えなくない?石に苔が生えるのは緑緑していて、家の中に生えててくれてもいいよね!家特有のヨゴレって、きちゃなくない?

もっと言おう。古来の家の床は、固く絞った雑巾で、よくよく拭いたのであり、床材につかわれる木は、日に日に、年月を経ることにより、独特の黒光りをしたのであり、お掃除の冥利に尽きる美しさがあった。

これが、安易な化学薬品でテカらせ、人工的な匂いだとか、ニスの嘘くさいテカり。ぬるっ。とする、気持ちの悪さ。

ちゃんと識っていた筈なことが、新しいひとたちの脳の無さで滅びたのだ。なんか違うことが、やり過ごされている。

我に返って、固くしぼったぞうきんで、そうじしようではないか。ニスを剥がすことになっても、木の息吹を、取り戻すという方向。部屋の床は隅々拭いてみた。ほらね、さっぱり清々しい。