TORABARA ながつき30日

一途か半グレか。そりゃあ一途こそ好ましいとおもう。昔は悪かったひと、或いはしょくぎょうが反社会的、だった人の自伝を読んだ。にじむのは、人たらし。っていう気がした。人と人の間に生まれていて、およそ人との関係がむすべないことと比べて、人。に突進して絡み、人についての学びを築き上げた。

前に、テロリストの外人が、日本の中古車販売で2年で2000万円稼ぎ、テロ資金にしたニュースを聞いたけど、先ずはよくよく人たるや何なのか、知らなければ人に営業など出来ない。そこから進んで、政治信条があるっていうのは、頭の出来が違うよな、という感想。

お金が、すごく稼ぎたいのにいまいち、稼げていないことが壁で、壁止まり。というところと比べたときの、自在感。

善悪というのは、生まれた背景、その国や年代の教育によって、造られたもの。になっている場合が多い。あれはダメこれもダメ。と、縛り上げるパターンは、多い。しかしながら、動物としての人間という種。は、どうあることが自然なのだろうか。種として、生かしきる。きょうちがあるはず。ということを、私は考えている。そのヒントを、ひとまわり大きいスケールの話を読めた。という読後感。

この本の延長みたいに、今日は、不動産屋さんに連絡を入れて、こうあるべき。という提案を申し上げた。話しようによっては崩れるのかもよ、ボーダーって。いっこ、叶った。賃貸している家の設備で、こちらが勝手に新しくした換気扇フィルターを、買ってもらえるって。言ってみるものだわと思った。

TORABARA ながつき29日

夕顔が咲いた日。

朝から、今日は咲くよね、というつぼみを見守り、外出中も、家に帰るのが楽しみだった。

家のことを午後3時ちかくまでやっていて、根菜の調理、半身浴。洗濯。少しになってしまったけど上野へは行きたかった。慌しかったから、なにみたんだかわからない。

高山植物の展覧会。山へ、お花の時期に行くと楽しそうだ。コマクサは、女王らしい。
ハイマツは、ホシガラスに種子を運んでもらう。ホシガラスは、運んだエサを、土に埋める、それを忘れる習性があるらしい。
先日の弥陀ヶ原でフィールドワークしたときの、一枚。ハイマツの写真です。

話がつながりました⭐︎

ヒロコマチコさんの展示も見ました。本人が描いている姿のムービーもあった。他にも、絵描きさんの展示があった。

マルチカラーの絵。たのしいね。

画家の人、に限らず、何故にそういうのが成り立つのかふしぎ。当面の目前の稼ぎ口を求めて、食い扶持にする。という、私は生活運営にあたってこれをしてきたとおもう、このこと。から、インスピレーションか何か知らないけど、人の世を離れたかしらないけど、まるで別な思想の軸で、生きるという営みがあるらしい。その道しるべは、天から宿るのだろうか。なにかしら声が聞こえてくるのかな。芸術活動だけをしているひとの日常に、普通の会話はあるのかな、むっちゃ俗な、承認欲求とマウント。に太く繋がっていたりして。

いろんな人を観察して、それをカタログをめくるみたいに眺めている。何にでも成れる。まだわたしがなにものでもないから。

という、可能性のはなし。

TORABARA ながつき28日

朝のうちに、クラシック音楽を聴きながら半身浴していて、かなりたっぷり汗をかいた。そしたら息してるだけで気持ちいいコンディションになりました。

板谷波山の息子は、家のアトリエの、陶片が遊び道具になって育った。梅樹さん。モザイクアートのあじわいが卓越しています。塗り絵にしたいわ。アップリケの図案にしたいわ。と掻き立てられる、ワクワクな作品群でした。横浜水道局の玄関先を飾っていたタイル絵。

お出かけよ。神社さんの境内も歩きたい。フランスのパン屋さんで高級なところの喫茶に入った。中央の大きなテーブルで、ひとり客は座る。左横には美しい着物姿のマダム、右横には正統派なお洒落をした若い女性。こういうお店に、たまに行くのはいいね。パン屋さんが焼くシュークリームも、美味しかった。

空の展覧会へも行った。こちらも、見応えがありました。ごきげん。

今日は、家まわりの草木伐採の日。雑草どころか雑木が生い茂る、力のある土ってことか。住処をうばわれた、それはそれは大きなカマキリさんが、ポストに退避してらした。おひっこしになって申し訳ないけれど、気に入る草地がありますように。

TORABARA ながつき27日

あんまし歩かなかった日。朝、公園へ行かなかった。夜は、物品を選ぶ時間。ネットで、返礼品という名前のやつ、を延々検索していた。

よっぱらってもいた。家族の人とは、時間の内容に求めるものが違っている。画面の動向を見て、口出しをするものの、あるいは「打つ」そして頃合いを睨んで、利獲、あるいは反対の方向に行きましたと言って、イライラを募らせたり荒げた声を出す、机を叩く、悲壮そのものになる。時に、体調までも悪くする同化。ここでお金を得たり失ったりしている。

画面は、もう4年も見続けている。隙がないとかで、身の回りも部屋もトイレや風呂も、掃除をすることが一切無かった。家に帰るなり画面の前に座る。手を洗わない、うがいをしない。汗かいて臭いのにシャワーで流さない。さすがに

匂うんですけど、臭。と私は宣じた。すると、口出しされたとかで家を出る、とのこと。バンザイ。そうしてください。わたし、かせいふではないですし、洗いものが二分の一になるヨロコビ。家の汚れ、家の中で煙草吸われる不快から、開放されるバンザイ。なはずが、家を出ないまま、今に至っている。

多分、時を読むとは、やることをやる。という営みがあってこそ。見えてくるという感覚、性質というか、経験則から言うと、掃除、という営みは、抜群に人の運気を上げるとおもう。わたしはそれを知っているのであり、実行してもいる。

わたしの時間の過ごし方は、創造的なようそを欲してると思う。毛糸編みが進む。クッションカバーを作る。金継ぎを始める。着たい服の型紙をひき始める。等。

真横で、あー、だの、うー、だのと翻弄を被る側で、やられてるひとを尻目に、わたしはわたしの崇高なカプセルの内側で、机を広くつかって、わたしのしごとをしなければ。これがゆくゆく出来るようになると、いい。と思う。今は、

カプセルを構くために、どうするかを試行錯誤している。寛ぐ、緩む、という要素だけがある時間。まあ、これもいいのかな、気に入ってるワイングラスにいきなり上等な赤ワインを注ぐ。カプっといただく日課。ガシガシ、何か作ることを、近年お休みしている。

TORABARA ながつき26日

雨の中を、返し忘れた本一冊を持って、返しにゆく所存だったけど、やめた。

昨日から開けてる赤ワインの、つづきを飲みましょ。いっとき、ゴロリと横になり、復活をして、マロンパウンドケーキを焼いた。ブラボオ。

お風呂に入っている間に、オーブンでケーキが焼けてゆくの、好き好き。よんじゅっぷんくらい。

TORABARA ながつき25日

たっぷりの睡眠ののちに、万全なパフォーマンス。楽ちんに捗ってる日だった。

しごとが終わってから、ポンチョを着て、となり駅へ行く。本やCDを図書館に返す。お買い物もした。歩きながら、考えごとをした。歩くペースで考えてることって、まえむきそのもの。明るい思惑。わたしの役割について。

以前、出かけていたシゴトって、男だらけで、そこに居てくれたらいいから。って丈なお役目だった。ぎょうむはあったとおもうけど、わたしがぎょうせきをあげてるように見せかけてくれていて、内容はなんにもしてません。つまり、女神さんみたいだった。

というか、メーテル。居てくれる、威力。それで、どうか、わたしがメーテルに近づけるように、メーテル、メーテル。と天に向かって唱えたっけ。きょうは決戦、というような男達の緊張の高まる日があって、仕事場に向かう道で、どうか、メーテル。に成れますように。

って、なんじゃその願い。というのを思い出していた。

TORABARA ながつき24日

朝は公園へ行き、しごとを済ませて、夜9時に寝た。玄関の戸を開けてみるよゆうがないほどの睡魔で、しかし、外では夕顔が開花していた。二輪。

ドリルみたいにねじれながら蕾があがってきていたのは知ってて、もういちにち後かとおもっていた。残念でならない。

一晩だけ香る、その貴重さよ。

TORABARA ながつき23日

朝ごはんの、白イカが、美味しかった。今まで食べた白イカの、頂点な旨さだったぜ。

観光案内所で教えていただいた通り、バス西回りで、随所を巡りましょう。

日本最古の観覧車。タダ券をいただいた。
やっほ。メリーゴーランドだわ。
象の乗り物。
見渡せる。海そばを走る自転車の乗り物、気持ち良かったナ。

ひとり。で遊園地をまわってて、楽しんでたわたし。立体迷路で20分も、迷ってたりした。

水族館よ。日本で初めての海中トンネル。
なんだなんだ、このお魚の形。腹から尻尾が随分太いですね。
埋没林の展示会場へ。屋上から展望する海岸線。風が強すぎてフチは歩かなかった。蜃気楼が見えることで有名。
またしても、なみだが溢れた。この神秘はなんだろう、2万年前の地球に、樹齢1200年の杉が生えて、育っていた。それが腐らないまま、今世に残っている。水没して、砂を被って、密閉されたところに地下から真水が湧きつづけた。巧妙なかんきょうに、たまたま成ったため、木が姿をとどめた。
手で触ることも、出来る。
夜は、運河沿いの、コーヒーチェーン店の中では世界一眺めがいい店、とうたわれている店の窓辺で寛いだ。
こんな夜景もあるって素敵ね。

コーヒー屋さんに、私が高校の時、好きだった人、と同じ目をした人が居た。もうまったくそのひとそのもの。それで、いま、そのままその人のことは好き。同じ時間としての今、今はすなわち、わたしの高校の時間。この感覚は、なんだろう、時間に過去や未来が無くて、今。なまんま。

新幹線は、ほぼ満席で、3人席の真ん中しか空いてなかった。左右、メンズが座ってるけど、男。と女。は隣に座るって丈でドキドキするものかも、左隣のメンズが下目遣い?でこちらの顔を見て、右隣のメンズも同じ視線でどんな顔した女かわたしを見てた。わたしが降りるとき、片方のピアスが外れて、それを拾ってくれた、右隣のメンズ。あ、どうも。指と指がふれそうでふれない、このかんじ。運河横のコーヒー屋さんから、波動の、揺れを呼び覚ましたとかかな。

新幹線はほぼ終電でしたので日付変わって、帰宅しましたとさ。