TORABARA しわす8日

美しすぎる季節。

いい空気の公園か山へ行きたい。山へも行きたかった。

橙色。なんと麗しの景色。
ザッキンの彫刻に似てる。誰でしたっけ、作家。
巨大なススキ。南アフリカの自生種。
なんか、広々としている。
楓街道、というあたりの、赤いのを毎年見に来ている。この美しさよ。

蕎麦屋に入る。天ぷらそばの温かいやつ。何度か入ったことある店だけど、室内はカビ臭かった。においはひとによってかんじかたがちがうとして。私はもうここには入らないようにしよう。

吉祥寺に移動して、毛糸を買う。買うやつ決めてたのに、いちじかんちかく、毛糸売り場をうろつく。光って見える毛糸はコレだわ、とメモした。そののち、温泉へ。環八の真横で壁一枚で真っ裸。車の音を聴きながら入る露天風呂を、気に入っている。今日は、高い木の落葉した枝の向こうに月が見えた。

休日ですとプールで泳げるけどだるいからやめる。食事を楽しむことにする。ウーロンハイとカキフライにする。カウンター席の足元が板が冷たくて、椅子にあぐらをかいて座った。あぐら!お料理が出来上がったブザーが鳴ると、タイツで滑るように走って取りに行くわたくし。寛ぎすぎじゃね?

カウンター席の灯りがいい感じで、次の旅先の本を、しばらく読んだ。

なんだか良く休めた日。

TORABARA しわす7日

美しく晴れた日がつづいています。

今日は、一年に2度ある大祓えのひとつであり、報恩感謝、と銘打たれた式がある日。どんなものか行ってみることにする。何年も通っている境内の、まだ足を踏み入れたことのない、会館内のお部屋などへ入れた。

はい、この用紙にご記入ください、と言われたとおり、お納めください、と書かれているままを、納めさせていただく。大金持ちのように振る舞うことで、もう、それは大金持ち。なのかも。厳かで特別な式でした。

上野へ移動。雲に覆われた空が幕を下ろしていくみたいに夕陽がだんだんと見えなくなってゆく。壮大な空劇場みたいな空。ハイカロリーフェスをやっていて佐世保バーガーを立ち食いした。旨そー。というままをいただくしあわせ。

今日明日ではにわ展が終わるから、長蛇の列。1時間くらい、東洋館地下1階を見てまわってから、いざ、はにわ会場へ。人混みがすごすぎて、ガラスショーケースに何が展示してあるか見えない。人々は見入るせいか、身動きしないんですけど。隙間からぱっと見える。イアリングみたいよ、腕輪みたいなやつ。ベルトかな。など、チラ見でやっと見えて、そんな調子で、展示会場をすすむ。

挂甲武人が、勢ぞろいしました。展示の目玉!!

ひとり目。群馬を守る。
ふたり目。はつかしがりやさん
さんにん目。東京国立博物館蔵。こちら完成度が最上級とうたわれている。国宝。
シアトル美術館から里帰りの、よにん目。
矢をたずさえてらっしゃる。手が短いですね。
ごにん目は、子供ちゃんって云われている。

かーわいい。

人で混み混みな日に人がほぼ写らないように撮るゲーム。を楽しむ。

家の形に惹かれる。
水鳥ちゃんの胴体がもったりしてる
背負ってる子供、ちっちゃい。

しぜんと顔がほころぶ、よい展示でした。帰宅した。

今日は、ご神気を浴びさせて頂いたせいか、日本酒飲みたくなってる。マグロ3種の乗っかる寿司といっしょに、旨い旨いと、いただきました。

TORABARA しわす6日

左脳か右脳。左脳を駆使することが求められている学校で、左脳に偏って、問題解決をしました。というひとの、右脳のガラン洞なかんじ。物足りなさを本人も自覚しているのだが、結局、数値化する能しかなく、空疎さによる、不完全な心理状態がつづく、症例。

左脳が発達したならではの発展が、世の中にあるけれども、その不自然さがもたらした問題も大きくなっている。

わたしは、元々、左脳の使い方がよくわかっていなかった。多分。小学6年の、国語の授業で、起承転結。について学ぶ というのがあった時、まさしく真っ白に、わからない。という状態だった。そういえば子供の頃に見たアニメも、なにしろストーリーを掴みながら見ていたわけではないので、印象しかおぼえていない。

これを誇らしくおもう。外付けの教育がもしも無かった場合の、わたしの野生を、覚えておきたい。むしろ、戻りたい。

芸術の領分に触れていることを養分のように欲することとか、メンタルがどーのこーの、という本をやたら読むことだとかは、自分自身の野生を思い出しそうになる ことに通じているのだったりして。

超高学歴な夫妻が、旦那さんの大病をきっかけに、メンタル世界へ没入されて、メンタルの本翻訳が始まりになり、世に名前を馳せてもいて、夫妻での著書もあるとのことで一読いたしました。

「神さまに愛される最高の生き方!」

その奥さまの一言が、長けているというか。わたしへの波紋になっている。あ、そっか。右脳だよな鍵は。というのを教えていただいた。

TORABARA しわす5日

ピンク色の毛糸でチョッキを編んでたのが編み上がった。

虹ができていて、なにげなく撮した。チューリップの球根はナナメになりながら育っています。

足のカカトがひび割れたので薬を探しに薬局へ行き、セメダインみたいにくっつける薬。が、どうしても買えなかった。ご婦人の御御足に、セメダインを流し込むですって?それで大きなテープを貼って、それとクリームをよく塗って、マッサージしてたところ、ひび割れが治りました。

進んでいる道が貴方らしくないとき、その道が茨になる話。人は成長してゆく。成長に必要なことが起こる。茨は合図です、もうそこを離れなさい。

たしかに蜜月はあったのであり、執着が生まれていたのであっても、あ、もうここは違うか。というグラデーションが濃くなっていって、そのコミューンを巣立つ。

タイミングが、合いすぎる。という時間の流れは、実に、わたしが世界のまんなかにいる。という体験である。わたしが片隅なお役割で、そこへ通っているときに、ここにいるべきなあなた。それはわたし。という出来事が、ひんぱんに起こる。これも合図で、まだここに居てね。

かもね。

TORABARA しわす4日

ラジオの放送の、過去分を、けっこう聴いた日。もしも家での作業が増えたら、延々とラジオきけてシアワセ。とおもう。

磯一明という人の書いた本、と今の私は目が合って、とても面白く読ませていただいた。ビジネスが成功してなんぼ、の世界に棲んでる人っぽいから、わたしとはズレたかしょもあった。

人は、生き様を示すからこそ意味があると書かれている。わたしは、生き様は、しめさなくていいようなしあわせなじょうたいもある、と思う。しあわせ、じゃない生き心地なまま、というのもある。とおもう。なんていうか、人によって養分の摂り方がまるで違うのだと思っている。

その養分による特長を、人は帯びるのだと考える。ほうれん草が栄養源になるポパイ。外界に対して戦いたいのか、しょうにんをされたいのか、それどころではない暴れた何かと同居するひと。それは人によってちがう。

なにに向かうか、これは、人の勝手というものです。なにも一元的に癒しを説くのはちがう。一元的、という点で。政治的に爛々とする命、悪人の混乱した脳の中。後天的に文化による洗脳は浴びていて、ようするにひとの数だけ、世界は存在する。

わたしは、何をしようとして生まれてきたんだっけ。

本を読み進めている時に、思想がぐいぐい走る、この疾走感が気持ちいい、読後感でした。

「魂の目的を知れば、人生はうまくいく」

TORABARA しわす3日

生クリームをどうしても、使ってしまわなければ。というのをノルマにはしたくない、とはいえ昨日、がタイムリミットだったかもな生クリーム。ビスケットを作った。

これが、やさしくやわらかい、なんてなんて美味しいのか。という仕上がりで、とてもにんまりといたしました。

小麦粉200gに、冷えた小さい四角にカットしたバター70gを、手で擦り合わせながら混ぜる。手の温度で、なじませるのです、さらさらと。ここで魔法になる気がする。加減が、ちょうどよくなる。ふくらし粉大1、お砂糖大3、塩小1/2。生クリームは60cc。ゴムベラでまとめて、6等分してオーブン。190度、20分ののち、ホイルをかけて焦げなくして、160度で30分。

これは、自分の手そのもので捏ねてるから、自分の手の味がしていた。

TORABARA しわす2日

しごとが終わってから、一路、池袋ジュンク堂書店へ行く。本の背表紙を読んで回る儀式みたいな時間だった。瞑想というか。長々と、多岐にわたる分野の、どんな本がどの辺りの棚に並んでいるかを、ただ徘徊している。

自分を、確かめている時間。今。なににどれくらいきょうみがあるっけ。なにをしたいか。どれくらい?

たっぷりとふくよかな気持ちになって帰路につく。閉店15分前まで居た。

ゆうにさんじかんいじょうも居た。

TORABARA しわす1日

結婚式を挙げた神社さんへ行く。

黄金色の銀杏。
阿吽の吽
阿吽の阿

この結婚どうなの。と思った時に来て、みくじを引くわたくし。みくじの答え次第では、どうなるかわからないよっ、前回、2つの道、どっちでもいいよっと出た。別れてしまっていい。という意味に、ぎょっとした。今回は、中吉。

争いは家庭を闇にする。睦まじく。

だそうです、ここは、家に戻って、仲直りをするか。

人は幸せになるために、神様の祝福を受けて此の世に生まれ出でたのです。さあ心豊かに実り多い人生を歩みましょう。

書かれていることを読んで、涙がこぼれた。わたしに言われている。という言葉だった。

ショッピングモールへ。だらだらとお洋服を見て回るって日にした。間近に鏡があって、眼鏡をかけていたのでありありと、わたしはわたしの顔にシミがあるのを見た。このひと、けっこう老けてるっというかんさつ。ゆらぎはかぎりなくやわらかいのであり、やさしくあつかわねばってひとに映る。合わないコトに齷齪している場合ではないことを悟る。

いい物をいっぱい見つけて、お買い物、楽しかった。