TORABARA むつき23日

しごとが終わってから、下北沢へ行く。夜店が、いい感じだった。またしてもヨガレッスンを、受ける。レッスン開始までの時間を、ちょっとぶらぶらして、それが楽しかった。

ぎゅっといい商品が集まっている場所の、波動のようなのが、好き。空気を纏う。というのは、あると思う。マニキュアを試したりした。ここと、いったいになってるの、巻。

TORABARA むつき22日

なんなの、な渦中。集金を迷惑だと伝えて、おそらくいかられてる。せっかくこの話に関わらせてやってる、くらいに思っていたりして。親の思想のクセを、わたしは醜い、と感じている。

母親は、私を守らなかった。私よりも、自分の出自である格の高い家、からの自身の承認欲求を優先している。田舎で育ち、外に出たことがない、個人の顔と名前で、社会に出たことが無い。今も、その実家の娘、でしかない振る舞いだ。

彼女は、個人ではなく、家。なのだ。このことに、今朝気づいた。なるほど。

自己を犠牲にして、家。にしか価値を見出さない。自身の身だしなみや、自身の喜びを後回しにしていて、慢性的な摂食障害を持っている。自分がデブなことを、まるで被害者のように他人事にしている。自分が何が好きなのか、何がしたいのか、わからなくなってしまっている。

姉妹がふたりいます、その片方だけを、親戚が可愛がり、その家に呼び、お小遣いを渡している。馬が合うから付き合う状態がある。親は、可愛がられない方の娘を、その親戚から遠ざけ、その親戚の門をくぐったりしないように、娘に力を振いました。きょうだいはふたりいるんだから、ふたりかわいがりなさい、としんせきを叱りなさい。親なら。

この歪が、糸をひいています。

まあ、もうそろそろ、いいや。この話題。

レンラクが来ないと思ってた人から、能天気なLINEが入った。大切な友人。わたしの気持ちが窮していたため、救われた。わたしたちはワクワクする気持ちをそのまま行動に移している。

明るくて軽やか。自分の真実の性質と整合している状態。ポジティブなことに焦点をあてること。ネガティブにチャンネルを合わせないように、と、バシャールさんも仰っています。

TORABARA むつき21日

感情の端の場所、その限界まで感情を使う、よれよれになって、使い切る。

という精神活動、というか精神にとっての運動、が度々ある。普段使わない感情を活性化させておくため、自虐的というか、自主トレーニングの一種として、なにか種を見つけて掴んで、徹底的に、考えあぐねるのだ。

これはわたしの癖かもしれない。感情を汲汲に使い果たした、と思える時、圧迫感から開放されて、体から古い念を手放して、すがすがしい浄化がなされた。と感じる。

この境地に至るまでの産みの苦しみたるや。この精神活動は、おおいに私の誠のこころに基づいている。

今日は、実家に、電話をかけた。顔も名前も知らない、存在を知らなかった親戚に、いきなり私たち夫婦がお金を納めることになった件。

それは祝いに類する事へ、お金を納める件、ではあるものの、ちょっと待って。わたしたちに、先ずはそのコを紹介していただけますか。面会が、先。じゃないのか、誰だよ。

どなた?知らない宛にお金を納めさせるようなしんせきつきあいは、止めさせてもらっていいですか、と父へ言ったけれど

見たことも聞いたこともない、そのコに私たちを付き合わせることの違和感が、父には言っても言っても、伝わらなかった。家同士、家の親同士の付き合いで、そこに親同士の力関係がかんでいて、家の体面の為。が率先する集金理由らしい。

またしても、昭和一桁生まれの特性である、古びた思想、に触れた。家にまつわる、ネガティブな地の理。

複雑・秘密・束縛・非効率・不安恐怖・競争・強欲・短所是正・不公平。闇の勢力に支配されています、みたいな特性を、彼ら実家の人に感じる。こんなに気持ちが塞がるのはなんだろう。しゃべっていて反省を促される居心地は、なんだろうか。

私とは付き合いが今まで無かった。先方、この話の、お金を納めるコの親。が目をかける相手では私は無かった。それすらも、私に責があるような話の運びは何だったか。金だけをあてにされることは、失礼だ。と言った。

封建制度を浴びた世代、儒教でいうところの、被支配者であると、ご自身を位置付け、さらには末っ子の私を、末端の立場だと予め決めてある発言の数々は、なんだろうか。

とてもとても不快で気分が治らない。

TORABARA むつき20日

出社して、しごとの後に、しごと場所そばのヨガ教室に行く日。荷物が、カバンの中が、ぎゅうぎゅう詰めで、とんでもなく不自由なかんじがした。

しごとの後で、時間の決まっている用事は、拘束されていて息苦しさがあった。

もう、ここでヨガの予約入れるのは、やめよう。

しごと先で、不幸があった時の集まりで配られたお菓子が過剰にあるので、持ってきました、というお菓子を渡された。線香の匂いが付いているわけではなかったけれども、そういうの、持ち出さないで自宅で消費しろよ、と思った。

TORABARA むつき19日

お誕生日のプレゼントを、かなり前倒しで、家の人が買ってくれた。アウターが増えてて、もうこれ以上、アウターは要らないね、と言って家を出発したのに、

アウターを2着、新調してくれた。

親戚の話。集金の頭数に入れられてるけど、その親戚のコの顔も知らない。会ったことないってこと。歳も知らない。暇な田舎のひとたちは、しがらみを捏ね回すことで、まきおこる刺激を養分にして、生きてるのかも。

母の出自が400年続いてる家なのだけど、家の庭には樹齢400年近い、椎の木があったりするけど、現在および先代の家主と、わたしは折り合いが悪く、その門をなんじゅうねんも、くぐっていない。

それを闘いのように、わたしは内にかかえてきたのかも。対峙する的が、400年の伝統、くらい大袈裟にとらえてきた。得体の知れない、その古い家の流儀から、どうやらわたしは否定されているみたい。といういごこちは、なまやさしいものではなかった。

それにしても、できることならば付き合わせないで終いにして下さい。子供の頃に、その家の歪は見抜いたとおもう。

その家で年に何回か、大勢の人が集まる機会があり、人の手を借りる、という状況があり、小学生のわたしは借り出された。その場に、たしか中学に上がってる歳の、かなちゃんという親戚も手伝いに来ていたとおもうけど、かなちゃんのことは家の人たちから嫌われていて、大人たちが、早く返せ、顔見たくない、みたいな会話をあけすけにしていて、本当に間もなくして、タクシーに乗せられたのか、親に引き取りに来させたのか、帰らされてしまった。怖。

小学生のわたしは、かなり凍りついた。嫌われるかどおか、そこに公平な基準などが存在しない。美醜、への好みに尽きる。くらい、わけのわからない判断をくだされる。かなちゃんに類するふうにってことと思われるけど、ゆくゆく、のちのち、二度と呼ばれなくなるぶんざいにわたしがなった。

そういう場所があるということ。説明はつかない。そして、器をはかられた末、顔も合わせないまま、集金出来る頭数に入れられて、その家のむすこさんが何か成される祝いで、わたしから集金することになったレンラクが、(私の親から)昨日の16時に入る。むすこさんの顔も知らない。むすこさんが存在するってことは伝え聞いていたけど、歳も名前も覚えていないし、という状況。

可愛がられる場合は、何度も家に上げて、都度、お金を包まれ、相談に乗り、ひつようならばおふだまで用意して渡す、らしい実態を近年知った。容赦ない差異は、闇をうむよね、

そういういなかにあるはなし。

TORABARA むつき18日

朝、ヨガへ。始まりの時間ギリギリでスタジオに入った。来る時、道に迷って、この時間になる。

自然にまかせる という過ごし心地 ままよ、でこうなった。

帰宅してから、明治神宮さんへ行く。お茶やさんがいらっしゃってたので、当選のお礼を言えた。あら、それ一等じゃない?と言われて、飛び跳ねるほど嬉しい気持ちになった。聞けて良かったわ、とお茶屋さんがおっしゃってた。心根がよいひとの、咄嗟のひとことに、いやされる。とても。

プリンアラモード

中央線に乗るのは久しぶり。路線によって乗ってるひとの顔つきに特徴があるような気がする。中央線顔ってあるよな、というのを、車内に見つけてた。美術館へ行って、わたしにはいい絵に見えない展示を、早歩きで廻る。隣駅

へ向かう筈が、逆方向の電車に乗ってた。かつて通った駅で、めったに来なくなった、みちがえるほど新しくなってる、そしてここにわたしは、未消化な念をいっぱい落としたままな気もする。ホームに立って電車を待つ時に、いたたまれないようなここち、が多かった場所。その磁場のような気配が、同じ場所に、そのままの空気の粒子が今もあって、おどろいた。装飾が変わっても、ここはここのままだ。そして

懐かしいかんじ、と思った。しばしの、哀愁が漂った。

さてと。吉祥寺へ。お茶屋さん、どこに入ろうかな、と徘徊してレトロな喫茶店にする。プリンアラモードを注文した。

不毛の禿げ山、だという通い心地があった土地、只の真っ直ぐなアスファルトを、人工的に敷いて、取ってつけたような商店が、ダサい品物を並べていた。粗い、空気感。浮ついた、頭の軽そうな、ノリだけの反応を繰り返す、言語活動。反射的に、なんでも済ませる。深みとか拘りが、抱え(hold)られないから、浅瀬にだけいる生き物。親の金を握り、買ったばかりのものをしょっちゅう着ている。しかし独自なセンスは、ゼロ。みんなと同じような、が合言葉なのか、群れないと生きられない、種。弱さ。脆さ。

わたしの過去に見ていた光景、そこで逃げ場がなくなっている、八方塞がりな状況は、今おもいかえしても、厄そのものだ。そこは離れなさい、という信号を、ちゃんと感じる練習だったのか。

今は、どうだろう、意に介さないひと、はゴマンといて、わたしは、真空状態のような箱に入っているまま、やりすごしている。結界を引いて、こちらに入りようが無い、という策。

周りには、自分を鏡で見るようなかんきょうが、用意される説。煮え切らないようなあれこれが勃発して、並行して、過去を振り返るなかにヒントを探したいのかも。今今の環境の、生簀かなさも、じっくりコトバにしてゆく。じぶんじしんの執念と、取り組む。

TORABARA むつき17日

本日をもちまして週末。

夜、ヨガへ行く。その前に、家のひとが美味しいミートスパゲティ作ってくれた。

昼間、大量に食べたことによる満腹。それでダラニスケを飲む。夜のヨガは、髪の色が、漂白された金髪みたいな先生だった。愛想がよくないため、なんかこのひと、好き嫌いが態度に出すぎるタイプ?などと観察した。

夜風が、冷たいほど空気が澄んでいて、空気がおいしい。ひとときの自転車は、なんといっても気分転換だ。

ヨガから帰り、ゆっくりお風呂に入り、お料理の下拵えと、掃除をした。そして寝た。

TORABARA むつき16日

朝の電車がヒドイ。ぎゅーぎゅー詰めで、一台乗るのを見送り、次の電車に乗ったものの、たったの3駅進んで止まってしまう。混み合っていて、ジーッと身動きしない状態で、停車したまま。車内の空気が薄くなり、つまりは二酸化炭素が充満した。いったい、何十分経ったの?わたしは携帯を忘れていて、向かう先へ、遅れる連絡が入れられない。

とにかく車外に出て、引き返す方の電車に乗る。あと一つ進んでくれたら乗り換えができたのだけど、それはいつだったの、たったの、これだけ、行き来した丈で、(改札通過時間調べ)1時間経ってた。

満員電車なまま、体を固めたまま閉じこめられた、気持ちへも圧迫があったし、たしかに直後は動悸のような症状もあった。しかし、一時的な不調不快を云々言ってるつもりはなく、電話を忘れて、会社開始時間になってしまってる、ユクエフメイナジカンヲフヤシテシマウことへの懸念で、電話を取りに自宅に引き返した。

それを、殊更に、体調不良があった部分だけを繰り返す、会社のひと。弱みを掴む、みたいに、体調無理せず、かなんか言ってて、ズレてた。

ズレる。ということを、まざまざと見た。位相が、各個人、違ったままなのだ。何故か物理的に、その人がいることになってるけど、事実のなぞり方に於いて、相手にならない異星っぷり。何度か言葉が通うか試みたけど、徒労だった。

午前中バタバタしたのでお腹が空いてピザを丸ごと一枚たいらげた。それと夜、海を眺めた。夜景のランプが落ちている水面を。それと、海路で日本橋へ行けるらしい。次回、乗ってみる。それと

家のひとに長めのチョッキのおつかいをたのまれていて、毛足のある白いのを買った。お尻がかくれるくらい長いやつ、と聞いてたけど、綿の入ったダウン限定で所望だったらしい。

わっはっは。白い毛皮のチョッキ、かわいいのが、私の服になった。