TORABARA きさらぎ12日

出社の日。昼は鯖焼き定食をいただく。店に向かうとき、さばやきさばやき、と、唱えていて、注文したけれど、まわりでカキフライ定食ばかり、オーダーが入ってゆく。わあぁ、旬は、カキフライじゃね?カキフライにすれば良かった。ぜー

と思った。帰り道は、いつものぷちぷちの入ったドリンクをいただき、駅を移動して電気量販店へ寄る。写真の現像をする。一枚の中を、四分割する画面、で現像できた。この仕上がりがちょうどいいよね、ケイタイに入ってる写真を、記録として取り出して、ノートに貼ったりする。おぉ。

大葉をまとめて買ってたのをスパゲティにして食べた。細めのスパゲティを茹でる。グレープオイルでニンニク輪切りと赤唐辛子を温める。ボールに切り刻んだ大葉を入れ、茹で上がりの麺、塩胡椒をまぶして、混ぜる。ここに熱した先の、オイルを回しかけて、粉チーズもたっぷり入れて混ぜて、出来上がり。

わたしの時間を意識して、過ごせた日だった。

TORABARA きさらぎ11日

わたしがちょうど通りかかった時の、目の前で起きたこと、偶然見たことって、わたしに見せられたことなのかな。なにかしら、私への警鐘を鳴らしていたりして。起こってしまったこと、それに対処するひとたちがいるかどおかは確かめた。それで足早にその場を去る。

しかし気になって、現場に戻りはじめた。そのころ、救急車のサイレンが鳴る。直ぐに来てもらえたみたいだ、ひとまずできる限りの処置は打てたみたいだ。その場所が放置とかされるならば赤の他人でも、わたしがなにがしかを連絡をする。天から試されていたりして。わたしには、何がどこまでできるかな。

ここで、ナーバスになって、この後、飛び回る行動を控えた。人が生きて味わえる時間を、大切にしなさい。というメッセージ。美術館へ向かうはずだったけれど、途中下車した駅の、ビルの高い階にある、カフェでしばらく過ごす。

頼みたいメニューを素直にオーダーした。そののち、帰宅する方向のターミナル駅へ。お化粧カウンターでフルメイクをしてもらった。ぐずぐずしていて、かんがえても仕方がないか。本人は大変だけど周囲迷惑。島原大変肥後迷惑。

夜、部屋でずっとお化粧品を選んでいた。ネットの画面で。ズルズルゆるまる、ただただねじがゆるまってゆくみたいに。

何日か前の夢の話。

ふたりの男女が、あのひとたち付き合ってるの?とウワサされて、それは同じ夢の前回までのストーリーで、夢の中のわたしは、そうそう、と記憶がちゃんと手繰れた。夢から醒めているときに、この夢世界を全く忘れているのに、本当にどこかに実在する、もうひとりのわたしみたいだ。この、「記憶を手繰る」インパクトが強く、起きてからも思い出せる。

とにかくその、デキテル男の方に、直球で、デキテタノ?と夢の中のわたしは質問した。そして返ってきたこたえが、その語らいかたが、とても素敵だった。男のひとは、知ってる人の見た目で、しかし現実ではおよそ凡百みたいな、つまらないことしかしゃべらない奴。それが、本質がこんなに素晴らしいなんて、と夢の中での像に引っ張られてる。

わたしが憂える、教育の害。というのが、つまり後天的に学校教育を浴びてしまったことで、ツマラナイヤツニシカナレナイ害が、どうやら有るのではないか。と思っていて。

夢に登場するひとびとの、珠玉なかがやき。もともと持って生まれた質が、それぞれ、咲くべき大輪の花。みたいになることが、夢の世界での「大人」だった。行動の動機とか機微とか、人々の様子が素敵すぎて再現できない。

人間に託されたイデアを、神さまに見せられたかんじの夢だった。

TORABARA きさらぎ10日

毎日ヨガ也。夜の時間に、チャリで向かう先、かつて住んでた街。住んでた土地そばの小道を曲がりくねりながら走った。街に親しみがある。限られた時間で、ショッピングを楽しむ。

この街も、たまには来ようとおもう。都会のなかの庶民的な、その加減がちょうどいい。

通っているヨガは、自力のエステ。というかんじ。とにかく来月からは月4回、通う。何度もお得だから通うというのは、お得が動機になるのは、NO。しっくりと、その時間の中に佇む。かどおか。得だ得だと、自分を振り回すのがだめ。

ヨガが終わって、シャワー浴びてるばあいじゃないよ、美味しいパンが売ってるお店が近いから駆け込みたいよ、などとよぎっていたけれど、まあ、ごゆっくりと、体洗って、夜風の中を帰りました。

TORABARA きさらぎ9日

朝8時のヨガに行けたー!嬉しい。ちゃんと行けたわっわっわっ。

ヨガ終わって、シャワー浴びてメイクして、街へ繰り出す。ひとつ展覧会、花器展を見て、

池袋のランチへ行けたー!ずっと来たかった。春巻き3種類が旨い。ビールは、ハノイにした。ラルーにするか迷った。缶にトラの絵柄がイカすのよ。

熊谷守一美術館へ行く。おととしの夏ぶり。壁に掛かっている一枚一枚に見応えがある。どの絵がどこに掛けてあるか、壁ごと記憶になる。室内の誂えもよくて、心に残る時間になる。ここには野町和嘉さんのチベット写真集が置いてあり、なんと直筆サイン入りのご本だった。流石。

池袋に引き返して、大型本屋さんで観光先の本を選ぶ。本屋がいとおしい。レジ前の長蛇の列。本への熱望が、空間に漂うかんじ。ここは呼吸できるーと感じる場所。

しんじゅくへ移動。電化製品の店、服飾材料屋、で必要なものを購入。材料屋さん、しばらくぶりに見たら値上げがすさまじい。服の裏に施すテープは、ごひゃくえんしないくらいだったのに、3倍くらいになってた。高級な、華道とかお琴とかにならぶ、お裁縫の道になってたりして。

朝が早いと充実します。いちにちが長かったです。

TORABARA きさらぎ8日

素晴らしすぎる朝。8時に始まるヨガクラスに参加した。直前まで、自転車で行くか電車で行くか迷って、自転車。朝の空気が爽快で、自転車が正解!

こんなに朝早いクラスに参加できたなんて、すごいよわたし、なんでもできるよ。と、上機嫌。帰り道は、花屋さんに寄る。10時3分、ちょうど店が開いてお花ならべ始めてる頃行けた。そして

新しい年を迎えるのかってくらい、家の掃除。拭く。掃く。掃除機の本体を、解体して掃除。隅々まで磨いて、なんて気持ちいい。布団を干して布団たたきで、ぺんぺん。とたたく。

昼すぎの長風呂。などを愉しみ、夕刻が近づいて、近所老人と、近所レストランへ行く。チョコデビルパフェが、美味しそうだとおもったけど、ひどく不味かった。こういう味に騙されなくなったわたくしの、味覚が鋭敏に育ったというべきか

なんでも旨い旨いと感じる味覚のほうが優れているのか、どっちだろうね。(これは昔からの問いです)帰宅して、眠った。

TORABARA きさらぎ7日

一週間前のはなしだけど、知り合いが勤める店のまん前を、遠目でチラ見しただけで通り過ぎた。その自分を、観察したかんじ。いるかいないかをカクニンしなかった。女子の人同士が出来事をなぞり合う際の、意味の振り方が、だいたい合わない。焦点の当て方や強度。おばちゃんに属しているかどおか。女子同士の駄弁りが出来ますか。

沈むような気持ちに毎度なる相手と、離れた。それを、ことあるごとに思い返すため、沈澱していたおもいがぶり返す。もうこちらに放たれてしまった、苦言みたいなのを数えてしまう。

実家といい、旧知の輩といい、反吐ろの掃き溜めみたいに、振り返りたくもない。

しごと終わってから、ヨガ教室へ。その街は、なんて賑わいの夜店のかんじがよくて、通う店を一店舗だけにしぼる申し込みをしたところ、ここだと千円高いですって、交通費もかかるし。こういう不自然さって、やめとけってしらせみたい。

街の、寄り道の、なんて自由な空気。ずっと、このまちのことは、手の届かない憧れも孕むし、なにかある気配。いずれ、ヨガ通い先、変えていいし、また別のここに通う口実が、必要が、できてくるかも。

パソコンに付けるスピーカーを入手。白くてコロン。としていて、かわいい。音はまあまあだった。れ?まあまあでいいっけ?ちゃんと音を確かめてから買えばよかったね。

TORABARA きさらぎ6日

ヨガの、とっておきなクラスがある日。夜、出発するまで時間が余っていて、それならば1時間、家のお掃除をしましょ、とおもった。

1時間って、いろんな1時間があるナ。と数えていて、お掃除する1時間は、なかなか良かった。どこかしこ、まとまっておそうじして回ってると、家の居心地は本当に良くなるとおもう。

血のつながりがある方の家、の不愉快な気分を味わった件について、再び。血、に限らずだけど、人には種類があって、言葉の意味の、位置付け方が反る人とは、話していて不快しか残らない。こちらをなんだと思っているのか。

ヘラヘラした便利屋がヘコヘコして、本人は案外楽しそうです、という文章を、わたしの紹介文として、父は本に書きかけていた。そもそも何だとおもっているのか、という怒りもあるし、田舎では、とにかくまずは、へつらう。ということが処世術だとされていたのだったか、それが身体に染みていて、身内を低く言っておいたのか。

はしたなく揶揄う、という傾向が、父にはあり、嫌悪感をもよおす。子供の頃に、わざと家の内側の恥を晒すような文章をPTA会報に寄稿し、いい迷惑だった。なにかおもしろいのか、だれかよろこぶのか。

さだまさしの歌の歌詞は、今の時代にはそぐわないように思う。亭主関白かなんか、何かのハラスに分類されると思う。聞いていると不愉快になる。わたしは、さだまさしの、ものごとの感じ方を好まない。父は、このひとの歌が大好きで、いつしか歌の影響が思想になってるように、わたしには見受けられる。

思想の癖を、そのままひとの歪みだとして、なにかもっと初源的に、いかりをおぼえる。いかり、というか醜悪じゃね?みたいな察知をする。歩き方の癖で、大きく外から鎌みたいに足を廻して内股で歩くひとが知り合いにいたとき、この癖には即刻の嫌悪感をいだいた。性格のただならなさに直結している気がした。直せば治ることを放っておく、というのがその人のセンス。それでいいんだね、そのひとは。自由だけど、わたしは敬遠したいかんじ。

他者からの目をどう捉えるかによって、洗練されてゆくか野暮なままか、別れる。直さないまま、というそのひとの限界。

人に対して、偏狭な視界で決めつけて、どこか閉じこめてしまう、その窮屈さから身動き出来なくさせる。というのが田舎にはあって、典型的なパタンに嵌めるというか。田舎では、鬱屈に起因する事件は、ちょいちょい起こる。その片鱗が、しっかり血のつながりがある田舎にいるひとたちにも見えますねー

というのが、先日、わたくしがあじわった、家にまつわる一連の不愉快でした。

TORABARA きさらぎ5日

だらだらしたいナ、という夜に、図書館へ行ってくる用事があり、外出してみると、夜風がなんて気持ちいいの。

寒い季節の、澄んだ空気が、おいしい。

しかしながら、とっとと帰宅して、ワイン飲んで、旅先のことをネット検索しつつ、ラジオを聴いた。そして寝た。