TORABARA やよい7日

冒険のひとの、トークショーへ行った。10年前くらいから、何度も行っているけれど、サイン会のじかんに、全く、わたしの顔を覚えているわけではなかった。わたしの前の人に、よく来てくれるね、とかと声をかけてるのが聞こえた。

わたしは、としをとったかお。になってることを、自覚するというか、のこのこ、出かけてもあまり歓迎されていない体感だった。数えると、いろいろなイベントへ行っていて、この間に知り合いにもなっていないことが、人魚姫

人魚姫は、海から王子さまを見る。声が出なくてしゃべれない、王子さまに気づいてもらえない、王子さまをナイフで刺せない。そして泡になりましたとさ。

みたいな童話みたいな、時間だった。

TORABARA やよい6日

ふふふふ。オレンジとにんじんのケーキ。アイシングをかけてる。

めちゃくちゃに、わたくしの焼いたケーキが旨い。庭に成っている柚子の実をもいで、絞って、粉砂糖と混ぜた。少ーし、お酢も入れた。

仕事先の、妊婦が今日までで退職した。そのひとって、さぼってることが多く、そこに罪悪感もなさそうだった。化粧して、特にマスカラに力を入れてるひと。仕事に、労力を注いでいつのまにか、しかめ面になり、くたびれた風貌になることの方が、悪なのかも。凝り固まったり、仕事先のやわなコを批判的にながめたりすることも、からだに悪そう。

仕事ってことへの関心をうすめて、わたしは綺麗。おとこはわたしにちゅうもくするわ。みたいなことを普段、ふまえていそうな妊婦だった。どのように成り立つのだろう、タメ口だとか周囲のひとたちとの会話。こういうひとを観察した末に、

どうやら世渡りがわたしは、すごく下手だ。ということがうきぼりになるかんじ。こんなにふざけてひとりよがりな娘が、案外、安全な言葉をかけてもらってショクバを退くことも含めて、反発したい気持ち。

十牛図、という禅の図について。自分の牛を、探し始めてもいないままなひともいて、わたしは、牛についてピンときているか。今、どれくらい進んでいるか。牛がいる、足跡がある、尻尾が見えた。捕まえたら暴れた。てなづけて、連れ帰る。

こちらに害をおよぼす存在にもなりえてるかもしれない、しごと先の人の性質。心根が威張っているタイプとか。社会に出てからの経験の浅いアホは、口のキキカタヲシラナイ。ここを、わたしが去りたいきもちがあって、去るときの、ひとびとの応酬を、なにも受け取らないで去りたい。だれがどんな反応をするか、それをカタログみたいに見てた日。

TORABARA やよい4日

朝は、あわただしく、仕事はじめて、もうとにかく、夜になり、

実家に電話した。何回も着歴があったので。先々月、いやなかんじでけつれつしたわだい、には一切触れないで、楽しくおしゃべりした。

わたしの先日の旅について、しばらく語った。船の中での話とかをした。

TORABARA やよい3日

出社の日。へしゃげた声を出すおばはんと、一緒の日。このおばはんは、出社の曜日を変えてるけど、こそこそ、じりじりと、アノヒトトオナジヨウビハイヤ、とか申告してたりして。女しかいないチームの、なにこそ言い出すか知れたものではない。対応が、あけすけにざつじゃね?

などと観察した。しごとが終わってばんざい。さてと。なにか美味しそうなのを買い出しして帰ろう。チーズとかサンドイッチとか、

帰宅して。ゆっくりお食事を嗜んで、寝た。

TORABARA やよい2日

朝、梅祭りにて、ヨーグルトと、ピンクの花を買う。家に戻り、ただ家の中に居た日。

家のひとは、びょうき。ノイローゼか、うつ。そのえいきょうがわたしに、及んでいるといえばいえる。家に居て、掃除機をかけたり、換気扇をキレイにしたりもした。

ニュースに、首を突っ込んで、なにをしている時も、ニュースの音声を真横で掻き鳴らしたまま、な、家の人。不穏でありながら、わたしはわたしの真空状態に入るとかして、撥ね避けてゆかねば、というサバイバルが、ここで繰り広がっている。

人生が、成功していると言われているひとの、決まりきった暮らし、物の考え方、朝食に摂取する、テッパンな栄養素、を知っている。おおよそのじけんとむえん。である事を知っている。それでいて、それって硬直じゃね?と冷ややかに判じていた。おもしろくはない。只の平凡を、わたしは愛することは、ついに、無かった。

わたくしの、日進月歩。と、平凡さは、足並みがそろわないってこと。

TORABARA やよい1日

朝、ヨガへ行き、花屋に寄り、帰宅した。

家のひとは、びょうきでねていて、近所の老人と、昼まえから上野へ出かけた。まともに美味しい、和食膳をいただく。国立博物館にて、美術品を鑑賞し、浅草へ。コーヒー屋さんにて、ホットラテをいただく。

家のひとが、スーパーくらいは買い出しが出来そうとのことで、

帰宅して、スーパーへ行った。

人生は短いようでいて、あんがい長いから、しっかりと、腰を据えるというか、ひとつのことに打ち込むように。と、老人からアドバイスがあった。秀でたところを発表することで、人とか世の中とつながることができればいい。

青写真、をおもいえがく。なにをもって、わたしは世の中とつながってゆくのだろうか、世の中とのつながりは休止したような年月が長い。

長い。というか、わたしにとって、まさに自分が操縦している時間は、旅している時間だとおもう。向くこと。を探して、居場所にするとして、わたしの居場所は、旅の中な気がする。いまのところ、あっとうてきに。