TORABARA ふみづき23日

旅翌日から、シゴト。落ち着いて、眠たくもならないで、遂げた。陽気なきもちが、実は、陰気を強力に晴らしつづけているかも。職場にまきおこる、底意地の悪い空気感、を瞬間で乾かして、パッと、意味を明るくしてゆく、という営み。が、わたしに課せられている?からここにいるのかなわたし。

TORABARA ふみづき22日

朝、4時25分、日の出。露天風呂の温泉から、海と向こうの山が見える。その山の角に、太陽の光がダイアモンドみたいに乗っかる瞬間を、見た。

日が昇る
ホテルの大きなガラス窓からの風景

朝ごはん食べて、ホテルを出発して、気仙沼へ到着。乗り継ぎまで2時間ちかく、空く。観光案内所で聞いたら、南、という港町へ行ってみるといい。とのこと。日差しが痛いほど強いので、日傘を買う。可憐なピンクのレースのやつ。

港の一帯が、洗い流された。と、バス停にて、ご婦人がおっしゃってた。再生してゆく途上ではなく、四角い白い建物が完成したカタチなのかも。町の姿は、どのように成りたいのか。生々しい記憶は、この湾にとどまり続ける。波をかぶるかもしれない、に限らずだけど、火山地帯とか、地球の変容と共にある土地の姿は、どうあればよいのか。種族、人間は、地球から土地をお借りして住まわせてもらっている。

港を眺めながらカフェで一服。
クロワッサンと黒糖タピオカのドリンク

港にて、ホキ貝のおにぎり、厚いかまぼこを入手。特別な、名産品。道中のおやつにした。

猊鼻渓へ行くのだ。乗り継いだ電車、小1時間で到着した。

この川を、下る。明治時代から、観光地だった。今年、100年になる。
舟の、すぐ真横をカモが泳いで追いてくる。足元が駆け足になって、必死だったのが可笑しかった。

漕ぎ出す前の舟に、物売りが乗ってきて、きゅうり串とかジュース、ビールを売ってた。ビールでもよかったかな、きゅうり串をいただいたっ

たゆたゆとした川面
いい日に乗りましたネ
晴れたときの夏の色
らららの舟

岩の景色が美しい

青空とコントラスト
舟路、突き当たりの陸地で休憩。岩の窪みに石を投げるゲームあり。石に漢字が一文字ある。入れば財も運も手に入る。という願掛けになってた。
船頭さん。
光が筋になってる
船頭さんが、岩手の牛追い歌、民謡を唄ってくださった。この舟の時間はかけがえのないものになった。居合わせた舟上の人たちが一同に、拍子を打つ。和気藹々とした雰囲気だった。
幽玄洞へ移動。
陸橋を越えて進む
わー!電車通過に遭遇したっ
洞窟の中は、年間13度に保たれている。天然のクーラーですね、こんな場所があるのだもの、地球は健全だと確かめるような気持ち。
主に、調査研究のための場所。観光として見せるつもりがあまり無いかんじ。柵で覆われていたりして、肝心な眺めが、あまり堪能出来ないというか、古い。形象を仏に結びつけて眺めることにしてあるアプローチが、旧世代の発想だと私は思った。客が誰もいなかった。洞窟を通り抜ける間、視界に誰もいない貸し切りだった。

空気感が独特だったところが印象的で、行けてよかった。観光地化されていないからこその、好さはあった。古いから悪い、というつもりはない。心に残った。

電車で一ノ関へ。新幹線予約時間まで、お土産を買う。という計画だったのだが、なんにもない駅で、コンビニが一店舗入ってるだけで、え、新幹線とまるえきなのにー、と、一直線に磐井川まで歩いた。川辺を一瞥してまた駅に戻り、帰りの切符を繰り上げた時間に変更して、

この変更手続きが、ぎりぎりでスリルだった。ホームに上って、1分後に乗った。とおもう。乗り換え無しで上野に到着して、帰宅しました。

この旅も、極上のタイミングによって運ばれた、祝福そのものな時間になりました。天に、感謝。

TORABARA ふみづき21日

ホテル朝食をいただきに階下へ行くと長蛇の列で、一旦お部屋に戻って、今日の旅程を確かめることにする。宮古。

と思って経路を調べておいてたのだけれど、今晩の宿からのメール、地図、を見てガクゼンとする。や、や、や。宮古じゃなかった。大船渡。違う路線でしか向かえない、1日昼まえに1本しかないJR快速に乗って、やっと3時半に到着するみたい。

観光のゴールデンタイム、昼。はまるまる列車の中の時間か。窓からの景色楽しんで行こう。パニクりながら、この後、朝食を済ませて、とにかく、11時27分発快速はまゆう。を、駅へ行き、紙の切符にして出してもらう。駅の土産コーナーの、岩手県と印字されている袋がかわいくてしょーがない、みたいに目に映る。旅先の高揚感。持って帰っても、もう使わないでしょ、と、なんとか宥めた。

朝食美味しかった

はまゆう。広々とした座席で快適。すこぶるよい眺め。とくに、遠野の辺り。こんどの旅で降りてみたいな。釜石。から盛へ。私鉄三陸トラムに乗り換えた。

窓の外の景色たのしみましょ
旅のポーズが決まる
車窓風景
派手な車輌でした
釜石!

愛と平和を祈る場所

山のそば
電車は廃線で、バスになった路線
太平洋セメントさんの煙突。セメント会社さんが大きな役割を果たした。瓦礫の撤去が早々と出来たのは、砕いてセメントの材料に再利用したからだそうです。愛と、知恵。こういう話を中心に報道するといいのに。
美しい空。日暮れてゆく。
山並み、綺麗な畝です。この山?なのかな裏面が山火事で大きな被害を受けた。

温泉宿に到着して、夕食券を握りしめて、大船渡駅そばの、美味しい料理やさんへ入った。船も持っていて漁をした魚が並ぶ。

見よ、この鮮度。艶。なんちゅう美味しさ。マグロ、カンパチ、ヒラメ。です
あん肝のジュレ、山芋と鰹酒匂の和えたやつ、あら汁。

〆に、胡麻団子をいただきました。飲み物は、大葉ジンソーダ、柘榴酢カクテル。このお食事、生まれてから今までの中で、5本の指に入る。

TORABARA ふみづき20日

今日、どこへ行って何しようか。神社巡りしよう。

朝の光と朝ごはん

暑。

歩いて行けるところに諏訪神社さん。

ととのった空間が在りました。
ご立派な兜と馬
この方がすてきでした
せみの抜け殻
とても美しい土地です
駐車場に、木の上に木。という不思議な植生なのを見つけた

村崎野ムラサキノって駅が、各停しかとまらない無人駅で、北上からふたつめ。

じゃん。二社め。通称って書いてある、その通称が名前に含まれている、神社さん
屋根の上の剣を見ていると、ご神気をかんじる。
虹色の光が注いでいるよ、不思議
なんて美しい神社さん
空に並ぶ雲
駅。ここで正午になった。ブルーベリーマフィンをいただく。
岩を割って生える桜の木
櫻山神社さん
狛犬さん
狛犬さーん
岩手銀行
八幡神社さんに来た
立派な灯籠です
空に物語がありそう。
岩手八幡宮さんを囲む、緑。左のほうに賑わいがある。あ、ビアガーデン!行こっと。

うおー、美味しかった。黒ビール、ピクルス、こんにゃく。肉。

肴商店街にて。お囃子が聞こえてきたので駆け寄って、ずっと側を歩いてついて行った。ここの土地の伝統が、このリズムが、連綿と命を継いでここに続いてゆくことに、涙が出てきて止まらなくなってた。最終地点で、ジュースが配られる。商店街のボスのおじさんが、ジュース選り好みしないで配られたものを飲みなさい、と話してるところも、なんかこころがあたたまるかんじ。

商店街を曲がって、次から次から涙がこぼれる。なんか、よかった。独特な拍子は、ゆくゆくここ特有の祭りに繋がっている。

商店街へ。靴やさん見つけた。黄金色のサンダル、わたしにぴったりなサイズだけ、セールになってる。シンデレラ、さあおはきなさい。

盛岡城址

大きな驚き。ホテルチェックインしたら、シングルのはずが、コーナーツインを御用意くださってた。広いー!ステキ!歓声があがります

コインランドリーのコース回して、ぴょんぴょん舎に予約入れて、日焼け治療をお部屋のビッグバスタブでいたす。昨日は、一機しかないコインランドリーに洗濯物を入れっぱにして寝落ちしてしまった。大事なハンドタオルがなくなったのは盗られたんだとおもう。

今日の、ぐるり盛岡をまわって、ちゃんと、きゅうり。ペティナイフ。まな板。を準備できた。日焼け用パックを作るのは、ベトナムでトースターで焼くのかってくらい焼いて以来。

ぴょんぴょん舎の冷麺。

ひろびろしたホテルのお部屋で寛ぎ時間。らららーらららー

TORABARA ふみづき19日

朝、盛岡。移動しちゃいましょう、花巻へ。駅脇に、おトイレがあったので身支度した。バスを待つ。

バスに乗り、小田越登山口へ。バスの中に、70歳、男仲間4人のグループがいて、隣合う2人の会話がそのまま聞こえていた。なんなら遡って何十年分も、一緒に会話してきたかったくらい、ステキなころがりかたをする会話だった。多分だけど、学生時代か若い頃からの同志。その2人で会話するときはいつまでも、少年の要素が入ったままの着眼点で、人って中身は、そのまま。なんだな

山は、招かれなきゃ、ここに来ることができない。と感じた。まず、晴れた。本当に、今日、登れるなんて。感涙。数日前に天気予報が晴れになった時点で、うるうるしていた。

登山の時間は、煌めきそのもの。

登山道の始まり
わおー、岩の道になってきた
雲のあそぶ空
山脈が連なる景色
登山してる人。なんか服におぼえがあるひと。
雲が湧き上がるのが見えた
山が似合うわね、らいちょうちゃんのぬいぐるみちゃん
岩岩の地帯
かわいい山の花
こんな階段登った
ハヤチネウスユキソウ
頂上が近い
夏の光
夏陽の光
なんてなまえの花?
頂上に到着
頂上世界
沸き立つガス
早池峰山の剣
トンボだらけ
見えてた風景は、過ぎてゆくのであり、わたしがおぼえたから写真にはとらないとおもったのに、もうその風景は消えた。また行かないと会えない。
山並みに雲の影が映った
登山、よかったね
記念写真

この日は、北上に泊まった

TORABARA ふみづき18日

夜、旅立つ日。ぎりぎり間に合う電車、の一本前の電車でバス停に向かう。バス停は、待合室がほとんどないというか、野外で電光掲示板を見るかんじ。若者が中心的客層で、声高めな熱気で犇めく。ほんの10分いただけなのに、早く、バスに乗っちゃいたいよと思う。

来たー。盛岡行き。席は申し込み順で決まるのか、3列の真ん中。そしてカーテンが無い。そして冷房の風が直撃して寒い。席が互い違いで、意外と広いのがよかった。なんか、戦い。斜め後ろのコが、いつまでも荷物整理していて、ビニール音、シャラシャラしている。夜中になって、咳をしだす、後ろの方のひと。これもしつこくて、わたしはマスク装着。予防な。夜中に、いよいよ冷房が肌にさわるので、リュックから雨具のマントを取り出して、ブランケットみたいにかけてた。

サバイバルな、バス。休憩SA、2こめの、多分福島県で降りて、美味しいヨーグルト買えたわ。朝ごはんになった。

なんとか目的地に到着いたしましまし

TORABARA ふみづき17日

夜、映画を見た。これが、よかった。ラストシーンがあったことで、それまでの光景を思い出すだけで泣けてくる。まるでわたしが経験してきたみたいに、光り輝く思い出、もう失われてしまった。見終わってから、何回も泣きそうになる。

お友だちが恋愛感情になることがあっても、それで付き合うのは奇跡的だとおもった。だから、付き合ってたことが奇跡。恋愛と結婚は別。とくに女が、世知辛い世の中を知ってしまっていて、普段、殻をつけたまま、自分をガードしているコにとっての、伸びやかな蜜みたいな男。は、好きすぎるでしょ。というのが伝わるのであり、泣ける。

自分が失ってきたものと重なるから泣ける、というより、わたしが失ったと思える映画のリアルなかんじ。

四次元に真空になって保存される、その映像は、くり返し再生される。恋することの讃美歌のようでもあるし、恋を経た人の、諦めた草臥れ感、これを大人になったって言うのかもしれないけど

戻らない時間が煌めきすぎることに、泣けた。

TORABARA ふみづき16日

近所老人と、月初にレンラクして以来音沙汰が無いことに、はたと気がついて、毎日レンラクを入れるひとがいないひとの所在は、知られないまま、なにかあったのだろうか。家の電話から電話して、LINE入れて、携帯電話もかけてみた。つながらない。

つながらないってなんなのか、と、トイレ入ったら、10年きれたことがない電灯が、点かなくなった。なにかこれは不吉なのかと、ますますそわそわした。わたしの第六感をかんじようとして、へんなかんじするか、しかし、わからん。それでシャワーを浴び始める。

そこに電話のベルが鳴ったので、髪も濡れたまま、裸なまま、受話器をとる。相手は、近所老人だった。普段と変わらず、むしろ元気だからこそ知らせが無い、というかんじ。

トイレルームの電灯は、厄の身代わりできれたのかも、起こる現象は、しゅんかんで、すり替わるのだったりして。わたしが見ているショーが、見る可能性が幾通りもあって、紙芝居がすり替わるかんじで、近所老人が消滅するストーリーが、パッと、元気バージョンになったようなかんじ。

この日の、ちゃんとなにかを羽織らないで、髪ぬらしっぱなしな時間があったことによる、身体の冷え。が生じた。気をつけて過ごそう。