TORABARA ふみづき7日

七夕。夜、ヨガへ行く。山登りした翌日なのに、筋肉が、いいかんじに伸びやか。変な痛みが無い。

スーパーに寄ったとき、日本一だと思うスーパー、そのレジ係のメンズが、レジ打ちアスリートな凄技で、とにかく、マッハだった。徹底したプロフェッショナルって、気持ちいい。レジ、打ってもらうアトラクションみたいな楽しさ。帰り道、わらいがとまらなくなるほど。

七夕の短冊を書いたりした。空高く、ロマンチックな気配がある夜だった。

TORABARA ふみづき6日

朝から、わくわくした気分が高まり、今日は登ろう。大山阿夫利さんへ、出発した。

ケーブルカーの券売コーナーで、わたしの前の人で締め切られた。え?にじゅっぷん待つなら、歩くか。女坂、入り口あたり。
七不思議の、三つめ、一晩で爪で彫ったお地蔵さん。一心に集中すればなんでもできる喩え。
羊さんも登った。
大山寺。ひとけの無い参道です。
とかげさんが迎えてくださる。
もうおひとかた、この銅色に輝く虫さんにも遭遇。こちらは下宮から奥の宮へ行く途中にいらした。

下宮まで辿り着いて、参拝をして、霊水を汲みました。奥の宮への参道入口でお祓いして、100円のお守りをいただき、登り始めます。いきなり急な階段がつづきます。

登山道。石の階段を造ってくださった先人があるからこそ、歩かせていただける。

夫婦杉。大木。
すくすくと伸びゆく木
枝を真横に伸ばす木
ゴロゴロしてる道がつづく
夏の日差しが、なんてなんて好い日。
あの山の向こうに富士山がある、富士見。前回はもっと手前で霧。今回は青い色の山が少し見えた。
登山道
紋白蝶が、道案内するみたいに、わたしの周りをパタパタと、しばらく飛んでいたのだった。画面、左の上のほうに、光ってる白、写った!
山からの景色
白樺が生えてます。
到着。銅の鳥居
やっほー
霞みながら、雲の囲みと下界が見渡せた。
やっほーー
光がまるで太刀のよう。
阿夫利のご神木
麗しい。
大山さん。とにかく前回が全く体力によゆうがなくて、今回初めて、こんな木がある!とか驚いた。足がつらないために、塩が効く、と聞いたので梅干し、強烈に酸っぱいやつを食べてたら、猛烈にのどが渇いて、水が足りなくなるところだった。
頂上の、なにか建物を建てるための寄付を募るポストがあって、ちょうど集金の係のひとがポストを開けていて、かなり時間をかけてネジを巻くような仕掛け、なんだかわたしも納めようという気持ちになった。なにゆえに500円玉を入れたのだか、気前が良すぎて、じぶんでどうようした。

前回登ったときとは、また別の表情があった。
下山中。わたしの影は、じぶんで、わたし。っておもう。

頂上にいるときに、ギラリと、太陽が雲間から出て、直な光を放ったときの、白く抜けるほどの強さが、よかった。

温泉に寄って、足をよくよくマッサージした。靴を洗えるようになってるブラシの付いた水道で、靴を元通りにする。

いろいろ、良かった。大山阿夫利さんへは、また行くといいよ、太刀を授かったので、一年、神棚に置きましょう。ほんとうは、多分?先ず太刀を授かり、一緒に頂上へ登山して、自分の部屋に納める。なのかも。いろいろ、やってみるといい。今日、ここに来たことも、好きご縁だった。

TORABARA ふみづき5日

出かけなさい、という指令みたいなのが、昨日の変な朝礼で宿ってしまったせいで、わたしがわたしに戻れない。朝、大山阿夫利へ登山する気まんまんだった、ような気がしていたけど、からげんきというか、登山を「してみせる」行動動機が、わたしのものではない。それでやめた。

換気扇を洗う。2週、スキップした。すごく汚れてしまってるかもと、自分の怠惰を責めてたけど、なんのなんの、さらり。と新品同然に磨きあがる。これからもお気楽にね。

わたしは大好きなカフェテリアでかき揚げ蕎麦を食べたいのだ、生ビールも飲もう。そして、お洋服を買いましょう。じゅうにぶんにじぶんをあまやかすことが、今、ひつようなこと。

お洋服モールに到着。気に入って通っていたお店が今月で閉店するって。今日、来て良かった。知ってよかった。前から憧れて、まだ買えていなかった一着を、手に入れた。冬用のダウンも、わたしの未来の服。と思って買う。赤い格子柄ワンピース、色違いで少し形が違うやつ、黄色茶色の格子。を持ってるから、買わなくていいや、と思ったけれど記念なので、いつも接客をくださる知り合いのひとへのご祝儀みたいに買う。嬉しいのかな、服がいっぱい売れること。おまえなんでそんなにいっぱい買ってんだよ、キィ。なのかな、わからん。

そのひとに、バイバイな日。

こちら、一昨日のランポー玉の花。おためしで開花したり閉じたりしている。ランポー玉の、性格が垣間見えますね。

お洋服を買いに来てるひとたちに漂う、幸せでお洒落な雰囲気が好き。綺麗なお洋服選んでる時間は好き。今日も、夢心地でございました。

TORABARAふみづき4日

父はいったいあの本の中で何を言ったか、嫌な念が付き纏ってくる。実の子に対して、「子に非ず」と言ってあった。非。この字をあててきましたか。こちらへの打撃が、爆弾級。父の思念に触れていることが、ケガレに手を浸しつづけるようなかんじ。ということは、既に体験して知っていたのに。まんまとまにうけた。

非、という文字のつかいかたで、これはトラウマになりそうなやつ。字を見るだけでヒリっとするようになってる。この気分を変えるために、と、なにがなんでも打ち消すべき、被り事。と、だんなは位置付けた。いえいえ、その前に、父よ、自明なことだろ。最初から、言わなきゃいい。

書かなきゃいいのだ。

シゴト先のはなし。雑談をしている時間があって、苦手なんだったっけ、あたりさわりなく喋ることが、なんか、出来なかった。わたしと向き合う出来事が濃いと短く終わるし、薄いと長引く気がする。つまりここは、薄いって丈で長い。

週末になったのだけれど、ワイン飲んだら、変に体がむし暑くなってた。旅行のことを考えよう。ネットの質問コーナーで、旅行先を組み立てるやりとりを読んだら、やたら能天気で楽しい気持ちになった。国内旅行、観光。7日くらいかけるって、羨ましい。

TORABARA ふみづき3日

夜中に目がさめて、夜風が心地よく涼めます、ツーっと吹く風が、気持ちよかった。2時間くらい、起きてた。それで今朝は、遅い朝ごはん。朝ごはんを食べながらシゴト開始時間になってる。

昨日、旅をセットして、唸るほどの絶妙な、泊まる場所、バスも新幹線も、うまく組み立ててたりして。充実した計画を立ててみよう。

ところで、ぐるっとパスは昨日までで期限切れになってる。このたび、なんだか素通りするような使い方になった。行ってみたらその日は無料開放日だったり、せっかく行ったのにカード持ってくるのを忘れていて料金を払ったりした。それと、ぐるぐるしてることに飽きた。しょせんがおぎょうぎがよい客。の分際で、展示をされているという、制限の内側の枠、枠にはまっているところを、「いいわねぇー」と言って廻ることが、なんだかな、もう退屈、というか。

ほんとうに行きたいなら、その料金を払えばいい。

老人の時間には弾力がなくなる。無料だというだけでズルズル、1時間30分長くかかるルート、はぎれよく20分で行けるのに、ただただ、電車運賃の200円に支配されていることにあまんじていられるらしい。安売りを買う、についても、崩れやすい、冷蔵されてるほうがいい、お豆腐を、遠路はるばるその一丁を買ったという。

夜の時間に、久しぶりにキリトリさんをした。

月曜日のことで言い残していること。わたしが暗い気持ちにならないための偶然が次々と起こる。寝室で、ケイタイをノートパソコンの上に置いた拍子で、これがいったい何に作動したのかはわからないけど、とびきり光輝くニュースがいきなり、始まる。画面が点灯して、いかに大谷が奇跡かというYouTubeが流れだしたのだ。なんかわらっちゃう。

陽気な現象は怪奇現象の真逆、なんと呼ぶのかしら。

TORABARA ふみづき2日

土曜日に行った、銀座展覧会

ホセ・パルラ

近所の老人は、彼の友人で、昔、絵をプレゼントされた。誰にも描けないから、絵の値打ちが高い。どのように描くかわからないから、価値がある。という話だった。

横尾忠則さんの絵

近所の老人は、関係者なのでレセプションへ行き、画集もいただく。ここのファミリーの一員。会場の敷居が高かった。銀座GUCCI、門衛さんがいらっしゃるところ。エレベーター上がり、絵画会場で、入場するさいにLINE登録を必ずする決まり。BOYさんが2メートルくらいの背丈で、こういうひとは、モデルになるために生まれてくるのかしら、そうかしら。という関心をひく。

1970年代の万博で、すでに赤い足場の工事現場を展示したらしい。時代感覚が、未来であることが、才能を物語る。あたらしすぎる。

今日は平日で、久しぶりに料理の下拵えを、いくつかした。梅とビネガーと氷砂糖を漬けるのを、2瓶目を、開始。

赤ワインはMont-peratを開けた。

TORABARA ふみづき1日

手紙は、昨日の朝ポストに投函した。ときおり、ぶり返しがあり、家の人にわめきちらしている。

ネガティブな事に頭から突っ込む、というのも、わたしの実家の特徴な気がする。ネガティブな詮索が好物。ああ、そうだった、忘れていた。或いは、せっかく忘れていたのに、実害が及んだから、向き合っていて、むしろ。絶縁したほうが、わたしは健やかでいられる気がする。

家のひと(だんな)も、けっこう鈍い重い性質で、なにしろ、心に鉛吊り下げたような考え方をしていて、全く、旅が出来ないひと。自分のママに会うためだけにバスに乗る。自分のママの家にだけ泊まる。それ以外は自室に引きこもる。まさかこんなひとだとは知らず、けっこんした。みうちだからといっても、かんがえかたは別別ですね。

家にがんじがらめになってるしか、術がないのだろうか、何の?親に対して承認欲求が強いまま、至近距離で壁しか見ていないひと。手鏡に自分を拡大して映してだけいるひと。プラトンのイデア論における、洞窟に座るひと。壁に映し出される影だけを見て、それは虚構なのに、ほんろうされる。本当には生きない。みたいなかんじか

旅は、バロメーターな気がする。かろやかなひとは楽しく旅をしてゆく。楽しい旅こそを体に刻め。