TORABARA かんなづき15日

仕事終わってから、買い出しの日。欲しいモノがあればカゴに入れるんだよ、と声をかけてくる家の人。

なかなか平和である。と、今日のわたしは思った。とりたてて遠方へは行かないけれども、家の人の日常は、なんでもなさすぎることを積み重ねる凄み。

帰宅して、ワイン飲み過ぎて、早々に眠る。

YouTubeの、音の垂れ流し。騒音でしかない、ずっと微熱が出るような不快さだったことに、慣れたというか、その堕落に同調してしまったため、なんというていたらく。このまま色に染まるにまかせるか。

かなり浸透してるっけ。ということに、はっとする。

TORABARA かんなづき14日

出社。リーダーのひとが、二人いて、わたしと三人でお昼ご飯へ行った。今日のメンツを、先週末知ったときから、なんかユウウツだったのだが、じっさいは、全く、気にならなかった。

ユッケ丼おいしかった

船通勤、今日で五回券が終了しました。船に、乗って、日本橋へ渡る意味をさがす。窓が小さくて、時間が短くて、海に漂っていることを、今までは、あんまし実感出来なかった。本日は貸し切りの船内で、船が案外、海にとっぷり浸かったまま進んでいるのを、窓に乗り出してみた。

抜群な夜景
青い橋
最上階の回廊を、ぐるり歩いたことがある建物。仕事先に恵まれて、こんにちまできました。

コレドに、ちょっと寄り道して帰宅いたしました。

TORABARA かんなづき13日

公園へ行き、帰宅して、お昼ごはんを、神社さん境内へ頂きに行く。かき揚げそばと、生ビール。休みの日を、毎回祝う。

麗しい。
御神木。

休みの日。お花とケーキを買う。映画観る。というのを、なんとなくねんとうにおいていて、たっせいしなかったばあいは、平日にもちこそう。だいたい、こういうかんじ。

4時間以内に、帰宅して、2時間くらい、バッグの型紙のポケットについて、考えて、夕方から、近所老人と、コーヒー屋で、景気の話した。

わたしは、夜の美術館ツアーへ行ったこととか、なんて幸運だろうかとおもう出来事を、頭の中に並べて、それを話したい。鏡のように、幸運な話が出来る相手は、相手が幸運かどおかにかかっているのだな。

老人は、前から狭い世界に篭っていて、即、金に照らして、損得ってだけで、囚われたままだった。からだが、伸びやかになることと、心は、並走する。なにか、じゅうなんたいそう的なことをつづけてゆこう、かたまってしまったらおしまい。みたいなことを老人を見ながら察知している。

誰かと会っているよりも、わたしは、ひとり時間が、果てしなく伸びやかに感じている。

神社さんの木。地面から浮いてる。
木に抱かれる。いつも見てる木が視界に入る安心感。

TORABARA かんなづき12日

午前中に、ヨガへ行く。帰宅して、電車に乗り、アウトレットモールへ行き、ずっと服を見てた日。

冬支度で、暖まるアイテムを、たっぷりと選ぶ。派手な装いの、下に着る服。縁の下で活躍する、重要なアイテムも、厳選した。楽しい。

かなりはらぺこで、コーヒー屋さんでピザをいただいたのだけど、食べ足りないよお、グーグーグー。みたいに飢えてて、服を選んでまわるのは狩というか、わたしはハンター。なので、飢え具合を相応しい。と思った。

服を、あれこれ選ぶときは、手放しで喜んでる時間だね。

帰りに、ショッピングビルの本屋の文房具コーナーを隅々まで見て回る。辺鄙で、品物が回転していない程、萌える品物に会える。その、忘れられた数々が取り払われ、売れ筋だから置くって丈の味け無い一角になっていて、とても残念。

場所の魅力って、無駄があるからこそ輝く。仕入れ担当の人の、人間の幅が、ふくよかになりますように、位の、大きな問題。

TORABARA かんなづき11日

美術イベントに参加する日。ナイトミュージアムですって素敵。

昼前から、淡々と掃除をしていた。お台所の、流し近辺。オーブンを徹底的に、磨いた。その間、考え事が出口に向かうのを感じる。多分、外出なんてしないで、お掃除をつづけることこそが、外出に求める十全感だ。いま、わたし、ここ。という存在度合いが、十ってかんじ。

ミュージアムの写真撮った。

メキシコの、オブジェコレクション
こんなのも居た
ワニさん
拓本
こちら、大作の、世界の木。が中心になっている。宇宙絵、といわれている一枚。

午後1時に準備始めて、美術館に午後4時到着。え?もうよじなの?雨で湿ってた日。ゆるく過ごせたことが、よかったね。

TORABARA かんなづき10日

仕事して終わったとたん、酒。鹿児島の天文館にある酒屋で、青バナナの香り、という芋焼酎を入手したのが今、家にある。コップに注いでぐびぐび飲んでべろべろ。ふつうは、たっぷりと水で割る。と教えられる。へえ。そうか。と、水もぐびぐび飲んだ。

酔っ払ってるだろ、おまえ。

その酔いをさますみたいに、結局、酔っ払ったまま、もう寝ろよ、と家の人に、寝室に追いやられた。

手繰る話は、わたしが経た、それじゃあわたしのたましいは七分だろ、という体験。何をするために生まれてきたか、才能が明らかなひとが、下拵えをしつづけるひとを求めて、その枠に居た。もっと昔に、わたしのバイト先の、板前がいる料理屋は、序列があけすけでカウンターの最奥が板前。順番通りで一番水場に近い見習いは、延々と、人参を、丸くくり抜く道具で丸くくり抜き続けていた。

その序の口。みたいな分際を、延々と続けかけていたわたくし。はた、と気づいて、離れた。七年かかった。いったい、どういうお役目でここに呼ばれているのか。延々と、あんたは虫が七分のたましいって程度なのだと決められる、みたいな扱いだった。

なぜそれを味わったのか。わたしの生い立ちに、その鍵はある。おまえなんて。底辺な身分である、経済貧民な父が、わたしに分際を刻んだ。その貧相を、わたしが演じた。と、現在の私は解釈する。

わたしは、果たしてわたしは、父が閉じ込めようとした、その底辺が相応しいか、ごめんなさい、父よ。底辺なのは、あなた、父。です。

卑しさを克服するためにこの世に生かされ、その課題が終わらないから、いきながらえている。そのあがきの飛沫が、詩集になって発刊された。死臭、と同じ音の、それ。

年初からの異和感を、何度も取り出して考える。

わたしが、下拵え役にだけ、埋没させられ、わたしの時間をわがものに操られつづけていたら、悔いしかうまれなかったであろう。決別したからこそ、やっと、血を吹きかえし、

命が輝くというもの。それを存分に享受する。できることは、ぜんぶやる。やれるだけやる。

TORABARA かんなづき9日

昨日の朝、公園トイレのタイル落書きを、家からベンジン持って行って消した。というか、ベンジンと同じ成分だと推測した、マニキュア除光液。当たり。油性マジックで、掃除する仕事してるひとが壁に、掃除される行動している、のを、消してさしあげた。スルリと落ちた。

応援している野球の試合で、点を取られたピッチャーが、冷静にインタビューに答えていた。いい球が、いくつも決まった。という手応えを、ちゃんと自分自身に刻むのだ。自分にどのように言葉を投げかけるか。このひとに学ぶことは多い気がする。普段の様子が、ドキュメントになっていて、その茶の間は、わたしがすぐに溶け込めそうな雰囲気だった。勝手にいだく親しみ。よっしー、がんばれ。現地に応援に行きたい気持ち。

連絡を取り合っている知人に、不用意に雪道を歩いたことを叱られた。しっかりと、山と向き合ったから、この方は百名山すべて踏破された。助言は、ありがたい。山は、楽しむもの。

ところで蝶がわたしを怖がらない。こんなに近い写真撮れちゃったわ

TORABARA かんなづき8日

相撲を見に行く日の朝焼けの色

ずいぶんとピンぼけだわね、色がキレイ。

本日の、ドラマチックな夕焼け
左下に、地平線みたいに、都市が広がってるみたいな幻影が見えてる。

いっぱい仕事してた。仕事に注ぐ、正確であろうとする集中力が、どこかスポーツのプレーをしている風である。限りなく、さわやか。

夜、お風呂に入る。掃除が足りていない。家の中は、常に拭きつづけていても、追いつかないほど、ホコリとか水垢とか、たまってゆくよね、元々の、問題。その箇所に相応しい素材が建具として使われているわけではない。プロピレン的な、合成加工した材質を、茶番みたいにやわな、ソフトスポンジでこすって気を済ませているかんじ。

お部屋の場合は床に、何も置かない。箒で板の上を掃き、硬く絞った雑巾でひとしきり拭き、さらに乾拭きして仕上げる。こっちのほうが清潔が保てるからいいはずなのに、未練で廃棄できていない、たいして必要が無い物に囲まれています。

ところで夜は、栗渋皮煮を仕上げ、栗を使ったパウンドケーキを焼いた。じっくり目の前の仕事と取り組んでまいりましょう。