TORABARA しわす1日

今年のふり返り。父の異常な神経と直面した。年初から、うっすらと兆候があり、年の半ばで決定的になる。忌まわしい虫と区別がつかないような生命力、忌まわしい虫への嫌悪感と似た、潰しておけ。という処置が相応しい。まさか、ここまで、手がつけられない倒錯だとは思わなかった。

小鳥は歌を忘れ。

インパクトが強い出来事へ、何通か手紙をやりとりしましたが、今は、けっこう忘れてきている。吐き棄てるくだらないことどもにつきあっていたら人生が暮れていきました。父が敷いたレールは何か。なにをしにこの世に生命を受けてきたひとか、父を見て母を見て、このひとたちを肯定、出来なかったりして。わたしと対峙する、かれらの存在は、わたしの苦行、業?を敷く。わたしは罰を得たくて、かれらのもとに生まれたか。

その学びが終わった。とっくに、終えていたから、他人にしかおもえない。存在は薄まり、交わりようがない。低波動と周波数が合わない。情って、消えるんですね

虐待とか犯罪。親族が、出すところに出したら、法を冒してるだろ、という異常さ。これを、

物理的に隔絶する。血がどうのこうのいって、関係をとりもどそうとしなくていいとおもう。

なんともおもわなかったから、公に、身内の病気を描写して、その容態を形容して、あんなみにくさはじぶんのこどもに「非ず」という文字をつかった。それが最後で、わたしは父を遮断した。そのように書くことを、なんともおもわなかった、というマヒ。

ゆるされる日は、こない。わらいかたをわすれた。物事を見てあじわう基盤を、剥がされたような、父のペンによる暴力だった。