家のひとに、やっと、陽気が戻りはじめた。夜、スーパーに買い物に行く。家のひとは、自転車が錆びて捨てたので歩いた。わたしはチャリ。スーパーの帰りは、別々で家に向かったのだが、夜道で、わたしは家のひとを追い越してるのだが、考え事していて、全く、家のひとに気がつかないまま、あれれ?家のひとのことをいつ追い越したのかな。
何個も同時に次元があって、全くまじわらないひとが消える。というげんしょうくらい、家のひとは、消えてた。
カキフライ。ぶりのお刺身。美味しかった。
家のひとに、やっと、陽気が戻りはじめた。夜、スーパーに買い物に行く。家のひとは、自転車が錆びて捨てたので歩いた。わたしはチャリ。スーパーの帰りは、別々で家に向かったのだが、夜道で、わたしは家のひとを追い越してるのだが、考え事していて、全く、家のひとに気がつかないまま、あれれ?家のひとのことをいつ追い越したのかな。
何個も同時に次元があって、全くまじわらないひとが消える。というげんしょうくらい、家のひとは、消えてた。
カキフライ。ぶりのお刺身。美味しかった。
冬至は、今日なのかな、夜までパラパラしていて調べられず。本日でした。お庭の柚子の木から柚子をもいでお風呂に浮かべましょうと、直前までおもっていたのに、忘れた。皿洗い。花瓶の水替え。洗濯。を、かろうじてする。早々に寝た。
温泉に行きたい。お洋服ほしい。
休日は、願いを叶えるためにある日。まず、お洋服の物色をした。大名気分で、いったいいつ、本当に着る機会があるやらな派手な服を、入手した。あんがい、服が先で、気合い入れた服が、出来事をおびきよせる。
経験則。
温泉に入る時間は、少なかった。黒ビールとかおつまみセットのお膳を注文して、おいしくいただきました。
裸は、自分の生活の成果である。美意識がある、かどおか、肉体は借り物で、いかに最善に生かしてゆくか、どのような習慣を、とりいれるか。情報を知恵に変える。自分の体で実験して観察して地道に知識を得る。
1年間ヨガ教室に通ったけど、そこにいたインストラクターさんの、体型変化がいちじるしくて、考えさせられた。自分の身体付きを、常に意識することで、神経に触りすぎることが障りになっているのではないか。仮説。
こうすればいい、という言葉は、人を縛り、いつしかその言葉の飽和状態を招く。さらなる言葉に縛られはじめると、自己暗示で自分を呪ってしまうのかも。
神経が崩れ、身体付きの変化の勢いが増す。デブになってはいけない、醜くなってはいけない、という縛りが逆方向に働くのだ。知性が充分ではない状態、つまり脳が短絡に、ひとつだけに囚われていると、顕著に、内面の、「核爆発を繰り返してるような欲」が、そのひと全体を支配してしまうとおもう。
鏡見るしか能が無いような女子学生の、からだつきがコントロール出来ない現象。焦点の当て方に、知恵が足りていない。学生に限らず、コントロール不能なのは、おんなのあたまのわるさがろていしているといえる。つまりは、その人のあたまはそのまま見た目である。
からだとじょうずにつきあいましょう。ヒントとは、
さわらないこと。
これが功を奏する。言葉過多が害。人は繊細なのだ。もっと。とても。
土曜日。近所老人に、お土産をわたした。
上野へ行き、西洋美術館の常設展を観た。上野の、すてきな蕎麦屋さんへ行く。ぜったいてきにすてきな店、必ずまた行く。と思っていて、二年半も経ってやっと行った。
浅草へ移動。コーヒーを飲む。ケーキ食べた。いつものお店のテーブル、テーブルの、どこに座るかだけが少し違う。
沸き立つ話、今年、株を始めて、うまくいっている。含み損があったのだが、第三の矢を、何回か飛ばして、回復してみせた。それを、ふりかえっている。
今日は、しごと先の人達は、忘年会で集まる。わたしは不参加。それを、観察していた。自分が、本当は行きたかったりして。という推測。しかしさっぱり、他人事にしか思えていない。
本当は、ここを離れたいと思っているか、離れたさが70%いてもいい気持ちは60%。はなれるかとどまるか、を足して100パーセントではなく、なにか独立した気持ちの配置をしている。
離婚も、そのようなかんじ。離婚したいきもちは60%いっしょに暮らしてていいきもちは70%。それぞれの気持ちが育っているイメージ。
残業して、スパゲティ食べて、おやつは、旅の土産をいろいろ食べていて嬉しい時間になっていた。日曜市で買ってたやつの、買った時の光景も楽しかったから。
わたしの田舎は、村社会で息苦しさがあった。その村を離れたから、そこが合わなかったことを知ることができた。村人のまま、そういうものだと諦めなくてよかった。
わたしは振り返ると、外敵から自分をひとりで護るしかない。という処世術でやりすごしてきた。初めて高知県へ行って、ただの素なわたしが溶けこめそうな体感があった。わたしのふる里がここなら、子供を産み落として育てる、ことをイメージできるかんじ。まわりといったいかんができてまもられるかんじ。
それはもう幻だけど、ここで生まれていたら、ここをはなれないまま生活していたのかも。
キンキン声を張り上げてわめく。女のヒステリーが、とにかくダメで、子供がキライというよりは、主婦という生態に、混じれる筈が無かった。忌み嫌っていた的は、主婦だ。子供を産んで、女の仕事すべて果たしたわなどとのさばる、その主婦め。おまえに似たガキ作ってることはクズだろ、人類の平均値下げるなや。おまえに育てられるしかないガキの不幸。
いったい、わたしはなにに腹を立てていたやら、憑き物が落ちるみたいに、スッと、
高知県で生きてたら、しあわせだったんじゃないかしら。みたいなないものねだりな、憧れの念が、わきおこっていて、もうこどもをうむねんれいではなくなっていて、この念を郷愁って名付ける。
残業が長引く。パソコンの、設定をしていた。
その後、炊き込みご飯を作った。とり肉、牛蒡、ぎんなん。旅先の日曜市で手に入れたぎんなんが、わたしを料理に導いた。というと大袈裟ですが、実際、今年は、さっぱり何か料理することがなくなっていた。
晩御飯が、うまいうまい。な、日。
出社するとき、外を見たいってこだわってしまって、それよりも、とっとと到着すればよかった。
昼、高級めの寿司やさんへ行く。人がまばら。
夜、パンとチーズ買って帰った。
家のひとは、病的な性質をしている。わたしは医療に詳しくないので、どのように治せるか、不明。けっこんしてそうそうに、わたしのおもうけっこんではまったくないことを悟った。けっこんしてなくていいし、いつ解散してもいい。
けっこんは、神社さんで挙げた。それで、もうこのけっこんをやめていいか、神社さんのおみくじを引いたとき、あなたには2つの道があり、どちらを選んでもいい。と書かれていた。りこん許可のように受け止めている。
家のひとがいつ家を出てもいい。どうぞご自由に。家にいて、家のひとは暗くて、病のけはいがむんむんしていた。
旅から帰って、
しごと再開になってるけれど、間違えているのはそこじゃないだろ、という摘み上げがあり責めてあった。ゆるさじ。でもないけど、いちにちかけて、何がまちがっているか簡潔な言葉になるまで、あたまがぐるぐる考えていた。整頓の結果。みたいに、書いて伝えた。
しごと先のひとへ、お土産を買ってきてあったけど、明日渡すのは止めることにする。旅の延長ではなく、ここにある世知辛さ、それを、ひきつづき遮らねば。今週末の飲み会も、断る。むしろ、断りやすい流れが用意されて、よかったね。
旅が、わたしの本道みたいに、圧倒的な体験になった。どこをどのように記憶にとどめたらいいか、膨大な体験があったとおもう。
土地から語りかけられる、もう少しここにいて。まだ見たことがない、その商店街も歩いて。手元のバス時刻表を見て、駅から乗ることにしてたのを、たまたまわたしが聞く、最小限な発言をたぐって、夕陽に包まれつつある街を、はりまや橋の方へ歩いた。
空港へ、早く到着するバスが、すぐに来て、空港にて、ゆっくり郷土料理が堪能できた。バスの窓の外に、赤く染まる建物と、空が見えた。夕焼けをずっと見たくて、やっと赤いのを見て、こちらに語られてくるかんじがあった。

わたしは、まだ帰りたくなかったのかも。帰りの飛行機は、ふてくされていた。あーあ、旅、終わっちゃう。
