TORABARA むつき31日

冬晴れの空の陽気。

お化粧をしている時、薄い肌にシミがういたところが太陽の加減で浮かびあがり、それが店頭だとかの人前に晒されて、年令を気の毒がられるのよね、肌色のクリーム塗っても、なんにも隠せない。とか思ってて、影は、なんて簡単に、さっきまでの化粧のゆううつが、無かったことになって、このギャップは、感激だった。

神社さんへ行くと、今日も、明けましておめでとう、とアナウンスが流れている。混んでる道ではない、木々を仰ぎ見ながら歩く道を、歩き初めをして、原宿駅にてアーモンドキャラメルを買う。

飛行機に乗る時に使う駅。の改札外を、歩いてみよっと。再開発が進み、ベイエリアの、海風が爽やかな一帯になっていて驚いた。広々とした道。

自習スペースみたいな、秘密基地みたいなビルが建っていてすでにすっかり馴染んでいた。ちょうどよい量のお食事ができるのは嬉しい。けんちん汁と、おにぎりをランチにした。

美術館の時間予約していて、ゆりかもめに乗る。ひと駅。そしてさ迷う。ビルが林立していて、ややこしい地帯だった。地階なのか地上なのか。2階みたいな高さが地面だよね、汐留、わけわからん。民藝展は、ちょっとよかった。

上野博物館へ移動。アジアの仏像さんを見学した。

お美しい。頭の螺髪は、でっぱりをなくす方向へ進み、衣服の造形は、がっちりした旧様式を残す。美術的に過渡期にあるお姿らしい。
この方の、向かって右目が、開眼されて目が合うよね。

近所老人と浅草で蕎麦。わたしは熱燗。コーヒー屋さんで銘々がケーキを注文。なんとか未来へつながるように。

外国や、店開店へ、向かいましょう。

TORABARA むつき30日

10日も前に指していた株が、ほんとうにその高値が叶い、昼過ぎに決算された。能力すごくない?わたしの、透視するチカラというか、欲を世間にすりあわせて、まかり通ったってこと。

万歳。夜、ピザを注文して振る舞う。というのならよかったのだが家のひとが品目指定して、夕ご飯を決めてきたため、びみょうだった。

家のひとは、もう6年間も投資画面ばかり見て、利益をなんじゅうまんもうしなっていて、しんじられない。自分が高度なことと向き合っている、みたいな自負で、ご自身を支えているらしいけれども、どうかしているとおもう。

パートナーになるときに、一年のうち、何ヶ月か、海外で暮らす生活を思い描いたはずだが、劣悪な職場環境の、自分に目をかけてくれる上司コバヤシサンに囚われているというか、その人が自分を庇ってくれている(その前に庇われるような行動をするなって話。急にシゴト飛ぶなや。)その、お返しで忠誠を尽くすらしい。結局、長時間居る職場での承認が有る無し、が生活全体を覆う。みたいな生態をしているパートナー。

こんな阿呆だと思わなかった。

最寄りのスーパーへしか行かない。ひきこもりかとおもいきや、せっせとバスに乗り、自分の母親の元に通う。以上。

常に普通かどおか、に照らしている。この人の生い立ちで、一体、何があって、この人の脳は硬化したやら。わたしは、他人に、なればいい、早いとこ、おさらばしたい。という気持ちが、日に日に、強い。

TORABARA むつき29にち

しごと終わってから、外出をする。一番近くのスーパーマーケットへ、ペットボトルのカラと、プラスチックを回収ボックスへ入れなければ、という用事。いちごと、スパゲティ、オリーブオイルも買って、

家帰って、料理開始。大葉、ニンニク、唐辛子、をからめるやつ。旨い。

風呂のお湯入れてたら溢れて、久しぶりに、ザブーンっと洪水になりながら入った。大名気分。風呂フタの上で毛糸編むのは、やめとく。

今日は、からだの具合が良いとは呼べないというか、時間ごとに、血行の働き方が違うことを、感じられた。活動する、静養する、というのに、相応しい時間帯というのがある。という説を思い出している。

養老孟司先生は、人の脳の構造は自分自身を感じるようには出来ていない。と著書の中でおっしゃっていて、ここでいう、自分の身体を感じられない、云々は、他者を観察することと比較して。という意味なのだが、

日記などというのは常に自分自身の、からだ、私がどう感じてどのような意味付けをしているかの吐露であるため、へ?じぶんのからだが感じられていないのか、わたくしの脳は?というクエスチョンが、読後からつきまとっている。

他者に照らす自分、の階層が上位な学者さんの戯言、と、養老さんを断定する。自分を自分が感じる、という自分軸で、生き直して以来、現にわたくしは、みちがえるほどの健康を手に入れた。だるさの根元を、かんじてみることは、それこそ「知」だと位置付ける。

からだは、時間とともに変化してゆく。体の各所がまんべんなく、運転してゆくその軸が、うつろってゆく。その、察知する機能が、体の各所を巡る。というカンカク。それで、その矛先が、時に異和感をおぼえる。膝、とか、歯とか。顔の肌、ほうれい線、かかと。どこかしこ、運転軸移行をやり過ごせば、その柔らいだ調子で、体はコンディションを保つ。

そういう印象です。

TORABARA むつき28日

出社して、その帰り道に、日本橋。で、映画を観た。うっとりする。

こんなすてきな時間があることに、早く気が付けばよかった。これから、寄り道は、ここに来よう。

観た演目が、良かった。泣いて笑った。泣いたとき、白いレースのハンカチが、ぐしゃぐしゃになった。

人生は夢のようなもの。老いてしまったから、目だけで外界を見ている。それでもいっか、踊ろう。みたいな感想。

うさぎときつねの絵が付いてるグッズを、買いかけて佇む。熱狂が、つづくか、明日考えましょ。地下鉄に乗るのに、美しいライトが黄色く灯る、街の中を歩きたくなってた。人がまばら。メリーゴーランドもあったっけ、わたしは、しごとで、何度も近辺を歩いてるエリア。懐かしくもある。

姫。

みたいに、おもえてきている。ここにも、ごえんでつながっていられた。どうやったら、さずかれるかわからないことと、めぐりあわせていただくことは、きせき。

TORABARA むつき27日

家のひとが、負けるとわかっていて、画面にはりついて、取引をしている。その取引額があまりにもささやかで、なぜ、300円に、何時間も囚われて振り回されているやら、私には判らない。それを、そのまま、口にしていた。

「私は文章が書けない」とタイプライターで打ち続ける、雪に閉じ込められたロッジ、なんとしても書かねばならない、という強迫を自分に課して狂う男。家のひとの状態は、ほとんど、スタンリーキューブリックの映画だ。

キャアアアー。と叫ぶ奥さんみたいな心境が、わたしにある。なにかしなければ、なんとかしなければ。

と、厚紙を切り始めた。この厚紙工作は、暮らしの筋を整えるための、ぱっ。と料理するときのレシピを、書いておくとか、手作りカレンダーにするのもいい。四角い厚紙の束ができて、これはこれで、なにげにホラーな感じもした。

布団入って寝ました。

TORABARA むつき26日

今日は、しごと終わった後に、電車に乗り出かけること。と、唱えていたとおもうけど、いざ、その時間になると、まったり。家にいて、このまま過ごすことにした。

半身浴のとき、いつもより多めに毛糸編みをした。

昔、片想いしていたひとのことを、ここのところ、毎日ありありと思い出していて、どのようにおもわせぶりだったか。けっこう大人数でバスに乗る機会があったときに、わたしの目の前にいて、ちょっと持ってて。と、ポーチ丸ごと、しばらく預けてきた。こっちは心臓が飛び出しそうなくらい、どきどきしているのに。

なんだったの、その束の間を、何度もなぞって、わたしをどうおもっているの。というおもいに、覆われていて、果てしなく、茫漠の海に放りだされている。音楽が沁みるかんじ。ああいうのは、恋なのか、ね。

現在の姿を、見たいのか、言葉を交わすのだろうか。町を歩いて、偶然会ったりしたいか。そのひとと、なにもみのらなかったのだ、生活には合わない。わたしの脳内にだけあるのか。今もどこかにそのままいる気がしてならない。

TORABARA むつき25日

片想いっていうのは、けっきょく、なんにも知らないまま、相手がわたしを思い出すことはない。わたしへの関心がないから、付き合わない。髪型を変えたことも、靴を新調した日にも気づいて、声をかけてきたひと。そのたびにドキっとした。

今日は、遅い朝。公園へ行ったとき、梅の香りは、まだらに漂う。木星の表面の、マーブル模様みたいに香ってるよな、と思った。

神社さんへ参拝して、西門を引き返して、オペラビルまで歩く。上等なモンブランケーキと、サイフォンコーヒーを嗜む。美術を見る。

美術展覧会は、見るべくして、見ることができて、よかった。作品を観賞する人へ向けて、問いを発してある。その美的な空間に、参加してきた。という感想。

美術とは何かというテーゼを、美術家も、美術愛好家も、持つ。あまりにも論理が先行して、教育用教本みたいな理屈に収束してしまう、小手先の細工などは行き詰まってるとおもうし、天性の感覚で自由に表現をしましたといって、排泄物かと見紛う醜悪を晒されても困る。

美術は、なんといっても美しくなければならない。この鉄則がふまえてある、圧倒的美術だった。本物。

めちゃめちゃかっこいい。

「見る」を扱う。アイデアを沸かせて、一瞬で伝わる、強い訴求力が形になっていた。人々が考え始めることができるように。この誘いのメッセージに、生命が宿っていた。表現が昇華して美に至ると、人を超えた精霊からの声みたいだとかんじる。世の中を知る、とはどういうことか。作品を、ひとつひとつ辿り、会場を歩きまわった後も、ここにあった思惑を纏いつづけていたとおもう。

駅移動。最寄りの映画館で、1年に1度の会員更新。本屋で目が合った、綺麗な写真がついた本も買う。帰宅。充実したわ。

TORABARA むつき24日

土曜日。プラネタリウムを見に行く。乗り継ぎでバス。そのバスは、横断歩道までも列が伸びている。具合悪そうな人が手で空間を切りながらこちらへ向かって来た。てっきりバス停のきわにあるベンチに座るかとおもい、どうぞお通りくださいと手招いたところ、単に列に割り込まれた。りゃりゃ、わたしより後ろに並んでた方に申し訳なかった。

バスの中で、その割り込んできた図体デカい男が、すぐ前の座席にいて、巨人みたいなデカい手を席の背もたれに置くも、完全にわたしのスペース側に手が押し迫り、ぎょっとしていた。

プラネタリウムは、とにかく上段に座るように促され、詰めて座らされていて、一段低い席に、髪の頭頂部が薄くなっている若い娘が座っていて、えっ、こんなにうすいのだいじょうぶなの?という意識が向かってしまっていたとおもう。それで、コートを脱ぐときに、ぱさーっとその人の頭にかかってしまい、ありゃりゃ、本当に御免なさい。と詫びた。わたしの粗相です。髪薄くね?という関心が向いて、コート当ててたかも。

そして、プラネタリウムは、始まってしばらくしたら寝てた。前回は、もっと即、寝た。本日の月の真下に、木星が光っていますよ、

これは、帰りの公園からお空見上げて、見つけました。なんか、きゅうくつな席に座り、バタバタ帰宅時間になったという日。東京の外れの駅ビルは、ツッコミどころが満載だったけれどもここには書かない。

原宿で下車して、服のバーゲンに寄る。ワンピースつかんでお会計した。渋谷まで歩きがてら、好きなビルへ寄り道。屋上でスケボーしてる様子とかを見る。ガラス越しにジャズダンス踊ってる。文房具やさんで、ノートを買う。

ノート、なんで買ってるっけ、ノート見た時に、高校の時に好きだったひとを急に思い出す。そのひとを、好きっておもいながら揃えた文房具と同じ匂いのノート。鮮やかに「好きだ」という感情が蘇える。そのひとを想うことで、自分の内にある秩序が、ときめきながらととのう、あの、カンカク。まっさらなノートの存在感は、そのおとこのひとから漂う父性と重なる。

わたしは、好きなひとが選びそうな物、かどおかという基準で、文房具を選んでいたっけ。このことも思い出した。

なんだっけ。と、ぼーっとしながら帰宅した。けっこうよく歩きました。