八王子に美術見に行って、帰り道に和菓子屋さんと目が合う。あたたかな日になりましたね、と、桜餅をいただいた。また歩き出したら、黒牛ランチの看板。ふらふらと店に入った。まるで昔から店の前を通りかかるわたしを見ていて、やっと入ってきてくれたね、と迎えてくれたみたいな、ふかみのあるほほ笑みをするお店のひと。サービスが、ほんとうにいいお店、がこのエリア、点在している気がする。牛丼、めちゃくちゃ美味しかった。
立川に寄るのが定番なのだが、国分寺に下車した。前に住んでいたまちのそばとはいえ、ほぼ外食をしなかったので、店の思い出は無い。彷徨い歩いた、という記憶が、いくつか、断片としてある。駅前は、ずっと工事してたっけ、このように完成したのね。と見学。国分寺の史跡とか湧き水とかを観光した。マルイの売り場。ここは数え切れないくらい、歩いてる。昔の、わたしが吐いた息が、そのまま残ってそうな年季。
祝いを誰かに言う、というのを受け入れたらよいものを、わたしはLINEに届いているそのメッセージを、トークルームごと消した。わたしにとって、誰かと世間話をするという基本的な態度が無い、というか。たぶん世の中で、主婦つながりだとかで、共通項をたぐりよせ、同調するなどの、友だちになることをよしとするかんじすら、わからない。わたしは誰とでも友だちになれる、得意。みたいな振りかざしも、わからない。
というか、苦手だ。女子が群れようとする、その共通だと簡単にかんがえるそのことすら、嫌なのだ。何の用事でいつまでもわたしにコンタクト取ろうとするやら、主婦は、学生を経て即、主婦になっているため、しごとのけいれきやしごとのおもいでがないため、学校時代を、専攻がどーのこーのを、昨日のことみたいに話す、という特徴があった。
彼女にとっての学校序列があって、常に自分の旦那の優位性を鼻にかけるのだったか、研究職だったか、国の助成金の枠内で活動してるってだけな野望無しな男、という視点は、彼女からは無さそう。
何かを受け付けないと、何もかもが論外になる。整形手術して顎に糸入れて吊りました、など断じて、わたくしの感性の、外にある。