朝早い時間に公園に到着して、ふと、電車に乗ってみることにする。今日は、PASMOを持ってないけど切符を買えばよくて、普段着のさっぱりした格好なのも、なんかよかった。
神社さんにて、参拝するお賽銭の代わりに百円、おみくじを買う。なんだかピントの合わないおことばだった。和歌。おみくじではなく、お賽銭入れて。というメッセージかしらね。それからお目当ての、コンビニ店頭にあるお花売り場へ行く。ここにはいつも、とてもいい植物が届いている。蕾の房が、7こくらいも付いた百合の花。
朝のホーム、只いそいそと職場に向かう殺風景な人の間を、百合の花を持ってよこぎるわたくし。心の余裕を、この空間にふりまいたような、そんなお役目があったようにおもう。
最寄りの駅で、駅の人と会話。切符の向きをまちがえるとヨミトリされないらしいよ、コーヒーのレジの人、コーヒーマシンがこわれちゃってるかもって会話。若いお兄さんとふむふむと言葉を交わしてて、街って楽しいところだわって思った。
家族のひとから伝染した夏風邪がしつこく、そんなに重くはないけど抜けきらない。まあなんとか、しごとじかんをのりきる。
リスタート。というタイミングだから、わたしは預言カフェに足が向かったか。預言で言われたことばの断片が、不味い意味もある。中途半端、だの挫折だの、客観的に可哀想なじょうたいに付く単語も、あった。惰性デハナク、取リ返ストイウカ。など語られてたけど、ぱっとしていないじょうたい、ならではの言い回し。
検索したことのないページを手繰った。割のいい稼ぎをしなければお家賃が支払えないかもしれない、という現実の読み方が、妥協の始まり。もともとの翼を、とっくに忘れてすごしていたっけ。業界の話?俗ぽくて下品。そこにまかりとおる力関係に辟易としたのであり、戻る。は無い。
改まって何か。