重陽の節句。菊の花を買った。高いとか安いとか。金額が、わたしを振り回す。
先週の半ばから、休日も返上して取り組んだ作業24時間分に査定額を言い渡されたけど、わたしからの価値評価額に対して4分の1以下だった。
この分野が、わたしにとって出来る事であるのだが、毎度ながら、買い叩かれることをケネンして、こんなひどいの聞いたことない、という結果をいただく。低賃金単純作業。まんまと。
時代によってもてはやされるものは移ろう。書道だとか、字が綺麗。短冊に切った半紙で、指で撚るこよりが、とても上手い。笹巻きの本巻きをするさいの笹の巻き姿が、なんてかんて絶妙だ。など、憧憬の最上位だった、手のしごと。
上手い。というのは珍しさであって、換金価値とは結びつきようがなくなっているのか。いかに巧みな縫われ方がしてあるか、無知。みたいな演者が着るって。舞台運営は経済効率を追うものになってしまえば、もののありがたみは、隠れてゆく。ほろびるよ、であり、ほろびないでね、わたしが幡を織るから、みたいなきもち。
その、細部に宿る、慈しむべき、神。
なんなんだっけ、茫然と茫漠として過ごした日。