TORABARA むつき21日

感情の端の場所、その限界まで感情を使う、よれよれになって、使い切る。

という精神活動、というか精神にとっての運動、が度々ある。普段使わない感情を活性化させておくため、自虐的というか、自主トレーニングの一種として、なにか種を見つけて掴んで、徹底的に、考えあぐねるのだ。

これはわたしの癖かもしれない。感情を汲汲に使い果たした、と思える時、圧迫感から開放されて、体から古い念を手放して、すがすがしい浄化がなされた。と感じる。

この境地に至るまでの産みの苦しみたるや。この精神活動は、おおいに私の誠のこころに基づいている。

今日は、実家に、電話をかけた。顔も名前も知らない、存在を知らなかった親戚に、いきなり私たち夫婦がお金を納めることになった件。

それは祝いに類する事へ、お金を納める件、ではあるものの、ちょっと待って。わたしたちに、先ずはそのコを紹介していただけますか。面会が、先。じゃないのか、誰だよ。

どなた?知らない宛にお金を納めさせるようなしんせきつきあいは、止めさせてもらっていいですか、と父へ言ったけれど

見たことも聞いたこともない、そのコに私たちを付き合わせることの違和感が、父には言っても言っても、伝わらなかった。家同士、家の親同士の付き合いで、そこに親同士の力関係がかんでいて、家の体面の為。が率先する集金理由らしい。

またしても、昭和一桁生まれの特性である、古びた思想、に触れた。家にまつわる、ネガティブな地の理。

複雑・秘密・束縛・非効率・不安恐怖・競争・強欲・短所是正・不公平。闇の勢力に支配されています、みたいな特性を、彼ら実家の人に感じる。こんなに気持ちが塞がるのはなんだろう。しゃべっていて反省を促される居心地は、なんだろうか。

私とは付き合いが今まで無かった。先方、この話の、お金を納めるコの親。が目をかける相手では私は無かった。それすらも、私に責があるような話の運びは何だったか。金だけをあてにされることは、失礼だ。と言った。

封建制度を浴びた世代、儒教でいうところの、被支配者であると、ご自身を位置付け、さらには末っ子の私を、末端の立場だと予め決めてある発言の数々は、なんだろうか。

とてもとても不快で気分が治らない。