わたしがちょうど通りかかった時の、目の前で起きたこと、偶然見たことって、わたしに見せられたことなのかな。なにかしら、私への警鐘を鳴らしていたりして。起こってしまったこと、それに対処するひとたちがいるかどおかは確かめた。それで足早にその場を去る。
しかし気になって、現場に戻りはじめた。そのころ、救急車のサイレンが鳴る。直ぐに来てもらえたみたいだ、ひとまずできる限りの処置は打てたみたいだ。その場所が放置とかされるならば赤の他人でも、わたしがなにがしかを連絡をする。天から試されていたりして。わたしには、何がどこまでできるかな。
ここで、ナーバスになって、この後、飛び回る行動を控えた。人が生きて味わえる時間を、大切にしなさい。というメッセージ。美術館へ向かうはずだったけれど、途中下車した駅の、ビルの高い階にある、カフェでしばらく過ごす。
頼みたいメニューを素直にオーダーした。そののち、帰宅する方向のターミナル駅へ。お化粧カウンターでフルメイクをしてもらった。ぐずぐずしていて、かんがえても仕方がないか。本人は大変だけど周囲迷惑。島原大変肥後迷惑。
夜、部屋でずっとお化粧品を選んでいた。ネットの画面で。ズルズルゆるまる、ただただねじがゆるまってゆくみたいに。
何日か前の夢の話。
ふたりの男女が、あのひとたち付き合ってるの?とウワサされて、それは同じ夢の前回までのストーリーで、夢の中のわたしは、そうそう、と記憶がちゃんと手繰れた。夢から醒めているときに、この夢世界を全く忘れているのに、本当にどこかに実在する、もうひとりのわたしみたいだ。この、「記憶を手繰る」インパクトが強く、起きてからも思い出せる。
とにかくその、デキテル男の方に、直球で、デキテタノ?と夢の中のわたしは質問した。そして返ってきたこたえが、その語らいかたが、とても素敵だった。男のひとは、知ってる人の見た目で、しかし現実ではおよそ凡百みたいな、つまらないことしかしゃべらない奴。それが、本質がこんなに素晴らしいなんて、と夢の中での像に引っ張られてる。
わたしが憂える、教育の害。というのが、つまり後天的に学校教育を浴びてしまったことで、ツマラナイヤツニシカナレナイ害が、どうやら有るのではないか。と思っていて。
夢に登場するひとびとの、珠玉なかがやき。もともと持って生まれた質が、それぞれ、咲くべき大輪の花。みたいになることが、夢の世界での「大人」だった。行動の動機とか機微とか、人々の様子が素敵すぎて再現できない。
人間に託されたイデアを、神さまに見せられたかんじの夢だった。