ひきつったまま、朝ヨガへ行き、ヨガ時間中も、雑念、もとい単念ですね、一点の囚われた念で、頭がいっぱいになっていた。
近所老人と会う。このときもさぞかし顔面が引っぱったみたいに、こわばってたとおもう。バスに乗り、自分をほどく薬をさがすみたいに、言語を取り出して重ねる。吐き出す。近所老人にとっては他人の話など話半分で、まあ、高齢なんだから、生きている丈で有難いって思うといい。からの、あまりにしぶとく、父の人としての非礼を訴えているのを見て、やるだけやり返したらいい、徹底的に。へ変換した。
高齢者の心臓に悪い、ではなく似たもの親子で、何クソ、仕返ししてやると蘇って、父は、また一冊本出したりして。などと話した。
頭が囚われた状態で、体験が半分になってたとおもう。ハンブンココニアラズ。こんなときは、じっくり、ひとつをみることで鎮まる。国立博物館にて、蝶々の展示コーナーが沁みる。蝶々がデザインに取り入れられた、磬(ケイ)が、特に好きだった。
浅草で蕎麦。大関の冷酒。蕎麦味噌もいただく。
朝のヨガの帰り道で花屋に寄って、淡い色のむらさきの花束、見ただけでなみだがでそう。心がどうかしている。まずいくらいに。
