TORABARA しわす26日

仕事納め。走り抜いた。しごとを得ていて感謝しつつも、パソコン閉じたしゅんかんに、消す。「いやな念をもらわないまま」ってことに、近年、成功している。

今日の来訪者は、ふたり。

ネットで、宅配野菜のセールスを受けることを申し込んでいて、醤油とホットケーキミックスを持って、やってきたひと。始終、すっぴんでしかめ面なわたし。家のひとが、野菜売ってるなら詐欺じゃなさそうで、いいひと。という意見で、それならば、毎週、パン。届けてもらうコース、申し込みましょ。と、ケイヤクした。

もうひとり、ネット工事人。この頃、家の人は隣の部屋で睡眠していたため、わたしひとりが接客した。

家に上がってきてほしくない、部類として、道理に偏りを持っている。この、なんなのあんた。という観察をしていた。こちらを振り回しそうなことを、ぶしつけに発言してきて、それを、「整理して差し上げられなかった」という残滓が、交流後に漂う。

バタバタと、いきなり家の壁にビス開けていいっすか、と聞かれた。いや、ここ借りてますので、不動産と大家さんへ先ず相談がいります。なんか誰がどこに住んでるか、知らせてしまってるところとか、不快。この先、工事人が空き巣するための情報にもなり得る、という点で、もやもやする。

とにかく、工事が終わり、帰っていった。

対人する場面がある日に、すっぴんで済ませる、というのは、わたしに遠慮が生じる気がした。化粧が、武装になる。ことを、ぽかん、と忘れてて、だいたい、

昨日まではクリスマスなのに、飾りを取り出すこともないまま、今年は、ぼやっ。としているわたくし。

仕事納めののちに、赤ワイン飲んでほろ酔い。夜は、鍋。

TORABARA しわす25日

しごとして、その後、換気扇を洗った。

年末は、掃除して暮れてゆく。やらねば、とおもっているのは何故か。テレワークしていて、横の窓を、拭きたくなっていて、そのとき拭かないで、年末にまわそう、と、やり過ごしたから。気になったことは、すぐにやるようにしよう。

やっと明日、仕事納め。息切れしているのだろうか、そぞろ。

TORABARA しわす23日

家のひとに、やっと、陽気が戻りはじめた。夜、スーパーに買い物に行く。家のひとは、自転車が錆びて捨てたので歩いた。わたしはチャリ。スーパーの帰りは、別々で家に向かったのだが、夜道で、わたしは家のひとを追い越してるのだが、考え事していて、全く、家のひとに気がつかないまま、あれれ?家のひとのことをいつ追い越したのかな。

何個も同時に次元があって、全くまじわらないひとが消える。というげんしょうくらい、家のひとは、消えてた。

カキフライ。ぶりのお刺身。美味しかった。

TORABARA しわす22日

冬至は、今日なのかな、夜までパラパラしていて調べられず。本日でした。お庭の柚子の木から柚子をもいでお風呂に浮かべましょうと、直前までおもっていたのに、忘れた。皿洗い。花瓶の水替え。洗濯。を、かろうじてする。早々に寝た。

TORABARA しわす21日

温泉に行きたい。お洋服ほしい。

休日は、願いを叶えるためにある日。まず、お洋服の物色をした。大名気分で、いったいいつ、本当に着る機会があるやらな派手な服を、入手した。あんがい、服が先で、気合い入れた服が、出来事をおびきよせる。

経験則。

温泉に入る時間は、少なかった。黒ビールとかおつまみセットのお膳を注文して、おいしくいただきました。

裸は、自分の生活の成果である。美意識がある、かどおか、肉体は借り物で、いかに最善に生かしてゆくか、どのような習慣を、とりいれるか。情報を知恵に変える。自分の体で実験して観察して地道に知識を得る。

1年間ヨガ教室に通ったけど、そこにいたインストラクターさんの、体型変化がいちじるしくて、考えさせられた。自分の身体付きを、常に意識することで、神経に触りすぎることが障りになっているのではないか。仮説。

こうすればいい、という言葉は、人を縛り、いつしかその言葉の飽和状態を招く。さらなる言葉に縛られはじめると、自己暗示で自分を呪ってしまうのかも。

神経が崩れ、身体付きの変化の勢いが増す。デブになってはいけない、醜くなってはいけない、という縛りが逆方向に働くのだ。知性が充分ではない状態、つまり脳が短絡に、ひとつだけに囚われていると、顕著に、内面の、「核爆発を繰り返してるような欲」が、そのひと全体を支配してしまうとおもう。

鏡見るしか能が無いような女子学生の、からだつきがコントロール出来ない現象。焦点の当て方に、知恵が足りていない。学生に限らず、コントロール不能なのは、おんなのあたまのわるさがろていしているといえる。つまりは、その人のあたまはそのまま見た目である。

からだとじょうずにつきあいましょう。ヒントとは、

さわらないこと。

これが功を奏する。言葉過多が害。人は繊細なのだ。もっと。とても。

TORABARA しわす20日

土曜日。近所老人に、お土産をわたした。

上野へ行き、西洋美術館の常設展を観た。上野の、すてきな蕎麦屋さんへ行く。ぜったいてきにすてきな店、必ずまた行く。と思っていて、二年半も経ってやっと行った。

浅草へ移動。コーヒーを飲む。ケーキ食べた。いつものお店のテーブル、テーブルの、どこに座るかだけが少し違う。

沸き立つ話、今年、株を始めて、うまくいっている。含み損があったのだが、第三の矢を、何回か飛ばして、回復してみせた。それを、ふりかえっている。

TORABARA しわす19日

今日は、しごと先の人達は、忘年会で集まる。わたしは不参加。それを、観察していた。自分が、本当は行きたかったりして。という推測。しかしさっぱり、他人事にしか思えていない。

本当は、ここを離れたいと思っているか、離れたさが70%いてもいい気持ちは60%。はなれるかとどまるか、を足して100パーセントではなく、なにか独立した気持ちの配置をしている。

離婚も、そのようなかんじ。離婚したいきもちは60%いっしょに暮らしてていいきもちは70%。それぞれの気持ちが育っているイメージ。

残業して、スパゲティ食べて、おやつは、旅の土産をいろいろ食べていて嬉しい時間になっていた。日曜市で買ってたやつの、買った時の光景も楽しかったから。

わたしの田舎は、村社会で息苦しさがあった。その村を離れたから、そこが合わなかったことを知ることができた。村人のまま、そういうものだと諦めなくてよかった。

わたしは振り返ると、外敵から自分をひとりで護るしかない。という処世術でやりすごしてきた。初めて高知県へ行って、ただの素なわたしが溶けこめそうな体感があった。わたしのふる里がここなら、子供を産み落として育てる、ことをイメージできるかんじ。まわりといったいかんができてまもられるかんじ。

それはもう幻だけど、ここで生まれていたら、ここをはなれないまま生活していたのかも。

キンキン声を張り上げてわめく。女のヒステリーが、とにかくダメで、子供がキライというよりは、主婦という生態に、混じれる筈が無かった。忌み嫌っていた的は、主婦だ。子供を産んで、女の仕事すべて果たしたわなどとのさばる、その主婦め。おまえに似たガキ作ってることはクズだろ、人類の平均値下げるなや。おまえに育てられるしかないガキの不幸。

いったい、わたしはなにに腹を立てていたやら、憑き物が落ちるみたいに、スッと、

高知県で生きてたら、しあわせだったんじゃないかしら。みたいなないものねだりな、憧れの念が、わきおこっていて、もうこどもをうむねんれいではなくなっていて、この念を郷愁って名付ける。