ヨガの、セールスし過ぎな運営方針が、耐えられる限度を超えた。ウルサイ。そもそもヨガの精神に反いているとおもう。しずけさを破る、店の人のエゴが露出した。
それを感想に書いたのだけど、直截的に書きすぎている。これに直にものを申されたりしたら、応戦。したりして。肩がりきむ。ちゃんと、からだを伸ばすことを楽しみましょう。
ヨガの、セールスし過ぎな運営方針が、耐えられる限度を超えた。ウルサイ。そもそもヨガの精神に反いているとおもう。しずけさを破る、店の人のエゴが露出した。
それを感想に書いたのだけど、直截的に書きすぎている。これに直にものを申されたりしたら、応戦。したりして。肩がりきむ。ちゃんと、からだを伸ばすことを楽しみましょう。
お試しで、ヨガの教室へ行き、そのまま入会するのまき。まんめんのえみ。で語られると、弱いのかも、人って。この日は、この先やってみようとコーフンしてあまり眠れなかった。
電話で話す。いま、自費出版で本を作っているひと。この表紙絵を担当したのだが、その絵が表現なので文字を加えなくてよい。と私は考えるのだが、プロフィールを書かなければいけない、と当の出版者が言っていて
はじめ、捏造したような私のプロフィールを勝手に書いて私に見せてきたのだけど、了承出来かねると申し上げた。酷いストーリー、安い賃金でヘコヘコ服の仕事を請けるひと、みたいに書かれていた。
今回は、色々な布を使ってカラフルなポーチを作っていることを伝えていたのだが、この話はおもしろくないのでのせない。らしい。おもしろさ?
以前ならば怒りが噴き出すような事を冷ややかに聞いていたとおもう。昭和初期に生まれているひとの「活動」と括る事のみを有ることと扱う、この感じを手放せるようになった。と感じた。
この人、と呼んでるひとに、かつてはこちらに関心が無いと、ばっさりと言われたのだけど、その地下脈絡が、ようするに昭和初期生まれならではだと確認したかんじ。何かをする(Do)から良いのではなく、いる、(Be)というだけの境地にいて、それをわたしは楽しめるようになった。ということ。
執着が上空を素通りする、というかんじな受け応えをした。ただ、時間に身を委ねていて、そこに同時に祝福をみいだしている。
銀座のオシャレなビルが、お買い物のチケットを発行してくださってるから、行かなきゃ。ハンズでさんぜんえんぶん、が二千円になるって。お買い物たのしいい。どれにしようかな。
ポップアップで毎月いろんな絵が飛び出すカレンダー。来年の干支の置き物。さんじゅうえんたりません!それではもっとえらびますね!
旅に行く時に持ち運ぶ、軽ーいノートにいたしました。なんてご機嫌でしょう。
それと、来年の口紅も、入手いたしました。こちらは、仕事先の最寄りのビルにて。いくつも試したけれど、なかなか顔色が良く映えないきがした。そしてその1本を塗ったとたん、パッとなった。メイクを新調するのは華やぎますな。スティックのところが鏡にもなりますよというのも決め手。
らんらんと、帰宅いたしました。
美しすぎる季節。
いい空気の公園か山へ行きたい。山へも行きたかった。
蕎麦屋に入る。天ぷらそばの温かいやつ。何度か入ったことある店だけど、室内はカビ臭かった。においはひとによってかんじかたがちがうとして。私はもうここには入らないようにしよう。
吉祥寺に移動して、毛糸を買う。買うやつ決めてたのに、いちじかんちかく、毛糸売り場をうろつく。光って見える毛糸はコレだわ、とメモした。そののち、温泉へ。環八の真横で壁一枚で真っ裸。車の音を聴きながら入る露天風呂を、気に入っている。今日は、高い木の落葉した枝の向こうに月が見えた。
休日ですとプールで泳げるけどだるいからやめる。食事を楽しむことにする。ウーロンハイとカキフライにする。カウンター席の足元が板が冷たくて、椅子にあぐらをかいて座った。あぐら!お料理が出来上がったブザーが鳴ると、タイツで滑るように走って取りに行くわたくし。寛ぎすぎじゃね?
カウンター席の灯りがいい感じで、次の旅先の本を、しばらく読んだ。
なんだか良く休めた日。
美しく晴れた日がつづいています。
今日は、一年に2度ある大祓えのひとつであり、報恩感謝、と銘打たれた式がある日。どんなものか行ってみることにする。何年も通っている境内の、まだ足を踏み入れたことのない、会館内のお部屋などへ入れた。
はい、この用紙にご記入ください、と言われたとおり、お納めください、と書かれているままを、納めさせていただく。大金持ちのように振る舞うことで、もう、それは大金持ち。なのかも。厳かで特別な式でした。
上野へ移動。雲に覆われた空が幕を下ろしていくみたいに夕陽がだんだんと見えなくなってゆく。壮大な空劇場みたいな空。ハイカロリーフェスをやっていて佐世保バーガーを立ち食いした。旨そー。というままをいただくしあわせ。
今日明日ではにわ展が終わるから、長蛇の列。1時間くらい、東洋館地下1階を見てまわってから、いざ、はにわ会場へ。人混みがすごすぎて、ガラスショーケースに何が展示してあるか見えない。人々は見入るせいか、身動きしないんですけど。隙間からぱっと見える。イアリングみたいよ、腕輪みたいなやつ。ベルトかな。など、チラ見でやっと見えて、そんな調子で、展示会場をすすむ。
挂甲武人が、勢ぞろいしました。展示の目玉!!
かーわいい。
人で混み混みな日に人がほぼ写らないように撮るゲーム。を楽しむ。
しぜんと顔がほころぶ、よい展示でした。帰宅した。
今日は、ご神気を浴びさせて頂いたせいか、日本酒飲みたくなってる。マグロ3種の乗っかる寿司といっしょに、旨い旨いと、いただきました。
左脳か右脳。左脳を駆使することが求められている学校で、左脳に偏って、問題解決をしました。というひとの、右脳のガラン洞なかんじ。物足りなさを本人も自覚しているのだが、結局、数値化する能しかなく、空疎さによる、不完全な心理状態がつづく、症例。
左脳が発達したならではの発展が、世の中にあるけれども、その不自然さがもたらした問題も大きくなっている。
わたしは、元々、左脳の使い方がよくわかっていなかった。多分。小学6年の、国語の授業で、起承転結。について学ぶ というのがあった時、まさしく真っ白に、わからない。という状態だった。そういえば子供の頃に見たアニメも、なにしろストーリーを掴みながら見ていたわけではないので、印象しかおぼえていない。
これを誇らしくおもう。外付けの教育がもしも無かった場合の、わたしの野生を、覚えておきたい。むしろ、戻りたい。
芸術の領分に触れていることを養分のように欲することとか、メンタルがどーのこーの、という本をやたら読むことだとかは、自分自身の野生を思い出しそうになる ことに通じているのだったりして。
超高学歴な夫妻が、旦那さんの大病をきっかけに、メンタル世界へ没入されて、メンタルの本翻訳が始まりになり、世に名前を馳せてもいて、夫妻での著書もあるとのことで一読いたしました。
「神さまに愛される最高の生き方!」
その奥さまの一言が、長けているというか。わたしへの波紋になっている。あ、そっか。右脳だよな鍵は。というのを教えていただいた。
ピンク色の毛糸でチョッキを編んでたのが編み上がった。
足のカカトがひび割れたので薬を探しに薬局へ行き、セメダインみたいにくっつける薬。が、どうしても買えなかった。ご婦人の御御足に、セメダインを流し込むですって?それで大きなテープを貼って、それとクリームをよく塗って、マッサージしてたところ、ひび割れが治りました。
進んでいる道が貴方らしくないとき、その道が茨になる話。人は成長してゆく。成長に必要なことが起こる。茨は合図です、もうそこを離れなさい。
たしかに蜜月はあったのであり、執着が生まれていたのであっても、あ、もうここは違うか。というグラデーションが濃くなっていって、そのコミューンを巣立つ。
タイミングが、合いすぎる。という時間の流れは、実に、わたしが世界のまんなかにいる。という体験である。わたしが片隅なお役割で、そこへ通っているときに、ここにいるべきなあなた。それはわたし。という出来事が、ひんぱんに起こる。これも合図で、まだここに居てね。
かもね。