TORABARA みなづき27日

数日前、とても気分の悪い本が届いてから、不機嫌がつづき、急に大きな声を出して、周りを罵るような症状。せっかく旅したけど、よりにもよって私が泊まった1519号室のドア前に、黒い大きなゴキブリが出て、生霊の怨念がこんなところまで追っかけてきたのかと、怒りで一突き潰せそうなくらい、わたしは怒っていて、まあ、潰したらよかったですが、ホテルの方が始末してくれましたとさ。

さて、問題なのは、①出来事の切り取り方と、②レッテルの貼り方にあります。

人は、大小さまざまな怪我や病気をするけど、殊更に、隠し事のように括り、形容詞として虚ろだとか徘徊だとかの、陰湿な活字を刻んだ。田舎のおおよそが文盲同然で、自分たちこそが黄色い救急車で川の向こうに運ばれるところを、わたし一人を、黄色い救急車に乗せて、川の向こうに送り、

主語は、僕ちゃん。

この僕ちゃんが、こわいものを見て、ああ怖かったー

みたいな歌だった。つまりここにキリシタンの踏み絵のような、踏んでみせる、言ってみせる角度が読み取れて、不快さは増幅している。黄色い救急車なんてとんでもない、僕ちゃんは此岸の人間ですという、申し開きを、田舎のじぶんたち一同にしているような書きっぷり。

交差点で前しか見えてないボク、急に宙に浮き、足のふくらはぎが破け、肉片の一部はちぎれて地面に落ちた。

事故を、わざわざ活字にして当人に読ませられますか?そののち、不具者になったから、自制して書かなかったのですか、その自制は、黄色い救急車の案件には充てなかったんですかね、わざわざ、覗き見を好む、あなたの読者である大勢の文盲たちの、好奇の目に晒すことが、あなたが文章を書く目的ですか?

という怒りです、伝わりましたか。

殻に引篭る、人の意見に耳を傾けない、父の利己心で書かれている。もう書いて、本にまでしてしまっているから、何とも思わないから、できたんでしょう。この父の異様な神経こそが、⭐︎君にとって二度と見たくないものにあたります。

なぜ父の文章に含まれる単語を、母は止めさせなかったか、不思議がっていました。母は認識する力が弱く、意味がわからない、とだけ言って済ませているのだと話しています。家の恥部、父の書く文章こそが家の恥部であって、身内はもっとちゃんと唾を吐いて、エスカレートするのを防ぐべきでした。今更です。

言葉とは、模倣です。自分の感覚や直感や、ことばにならない感情を、どうにか言葉に置き換えたとおもってるのかもしれないが実際は、違う。それを、ご自身が詩を書ける特権的な立場だと勘違いし、結果、お粗末な枠に出来事を閉じこめてゆくことだけで書いた気になるらしい。ひとさまの全体像を扱えるだなどと傲慢にもほどがある。生まれながらの露悪な性根を、小手先で操っているだけ。畏れ、がみてとれないところが致命的にまずい。

父が悪い奴とは限らない。鳥取に行ったとき、ポンチマン君を撫でて、なにごとかしゃべりかけていた様子だった、良いところもある。という⭐︎君の談話。

怒りがおさまるわけではないが、人に嫌われるような意見が、生まれなおさない限り改まるわけでもないことを、承知した。

以上です。

薔薇

TORABARA みなづき26日

しごと先。ひとは、えげつない。というのが基本と思ったほうがいいかも。あらー久しぶり、というしごと先が同じひとが、わざわざクッキー置き場から、ひとりひとつ取って行ってねのクッキーをわたしに取ってくれたけど、うっすら割れ目が入っていて、ここは見えなかったのかわざとなのか判別がつかなかった。その後で、そのひとの話ににじむ、わたしは大将、みたいなかんじが、

もしかしてクッキー割れそうなやつ、わざと、それを受け取らせてたりして、何考えてるんだろう、はっきりしないままだったけど、もちろん、割れそうじゃない?変えるわ、と言う斬り込みも出来たけど、うっすら、敵なかんじで、やりにくいひとなのか、

新しく加わったひとに、住んでる場所や血液型や、結婚願望もろもろ、かたっぱしから聞き出したらしく、なにを征服したいんだろこの人。年齢が近いわたしに寄り添いたいというより、うっすら敵なのか。と観察した。

この人のことを鏡みたいに見て、年とったよね、え、こんなにトシマな顔っ。とか見てた。

部活後の雑談ふうに、仕事終わってから30分くらい残って、ずるずる話してみたけど、くねくねとパッとしないままだった。

TORABARA みなづき25日

あす、出社になる。今日は早いところ休もう。

キムチ、豚肉、の入ったお好み焼きを作って食べた。

ときどきかけるCDの、ピアノの旋律で、ピアノの語らいかたがよくて、再現している。ふ、とその部分を自分の内側で流し始めたりしている。

ソ、ソ(オクターブ飛ぶ)ファミレドシレドシラソ、ソ、ソ♯(オクターブ飛ぶ)、この辺り。

TORABARA みなづき24日

午後、宅急便で、旅先からの荷物が届いた。昨日も届けてくださってたらしい。あれれ?ずっと家にいたのに気づかず。

旅先の、親切な手作りふうな梱包で、わたくしの手作りの旅行バッグの保護用、白いビニールの覆い、ところどころ、ガムテープで留めてあるやつ。こういうおココロをいただくことが嬉しい。

2泊めのお宿は、広々としていて、優雅な空洞というような、一見足りなさそうでありながら、その「空」こそが好い。という場所だった。天空につながる扉があったりするかも。お台場にもかつて、似た空気感の場所があった。陽が当たっている、ポカンとしている。

夜、美味しいスパゲッティいただく。ベーコン、きのこ。青じそ。塩胡椒。

TORABARA みなづき23日

朝、最寄りの駅に到着したひとは、コンビニでパンとヨーグルトを買ったのでした。朝食時間も、公園へ行く日課も、ふだん通り。

お部屋に戻って、植木の様子を確かめて、一鉢、むざんな枯れ方をしているシダ、水やりをおねがいした家のひとが、うまく水やりが出来なかった、この写真撮って、レンラク入れた。仕方ない。自ら、枯れたかったみたいなかんじ。

コンビニでレジのバイトしてる男のひとが、心と生活が荒んでいそうなかんじ。たまに、表に出てくるなや、おまえ、みたいな人がわざわざサービス業をやってるのは何なの、苦、しか振りまかない苦男。

暮らす土地によって、傾向があるとおもう。わたしが住む辺りは、穏やかで陽気なふんいきが主流なので、苦男への異物感。苦男は、淘汰されてほしい。

夜、氷を買いに、別のコンビニへ行く。空間全体を朗らかにするほど光な存在の女性がレジしてらした。こうでなくちゃ。

ひとと接する機会は、減っていて、わたしは自分の存在が光であることをととのえることと、それをたとえば、店番、という形でふりまく。というのがいいかもよ、ということを考えている。ヨガ用語でいうところの、アーマを減らしてサットヴァを高める。

TORABARA みなづき22日

知り合いが京都で写真展をしている。駆けつける予定。午前中は、竹生島へ渡ろう。

朝ご飯、もの凄く美味しかった。琵琶湖湖畔が歩いてすぐそば。波が押し寄せる。朝の光が、竹生島の近くをまあるく輝かせていた。

なんてすてきな朝

支度して、お迎えのバスに乗る。わたしが予約した第一往便だけ、出航するらしい。風が強いので二便以降は欠航する。必ず、最初の復便で戻ってきてください、と念をおされた。島に取り残されますよ。

船から見える、湖と、墨絵の濃淡みたいな山の景色。なんともよくて見惚れていたら島に到着した。
近づくと高揚する島。
船着き場の下の窪みに、鳥。
この灯篭かわっているね、獅子もくっ付いてる。

宝厳寺に、何年か前にお参りして、ひとつだけ願いを叶えてもらった。このお礼が言いたいんです、と寺のひとに聞いた。願いっぱなしで、どんどん叶えていただいてください、だそうです。叶ったことはそのまま、次なる願いをしました。わたしの生き方のスジにまつわるところを、短冊に書いて、小さく巻いて、人形さんの中に入れる。寺のひとに、シールを貼ってもらう。祭壇に置く。です。

黒姫さん、蛇のところ、都久夫須麻神社さん。見どころがいっぱい。

極彩色、前回来たとき、工事中でした、きれいに塗りなおされました。

美しい
美しい!
もともと豊臣秀吉所有だった船を廊下として奉納されている。ほんとうに船だった証拠が2004年にオランダ所蔵の絵画によって明らかになった。
建物を高くするときの、この方眼状の柱の組み方に、トキメク。
教科書に載っていた写真は、この、神社側面の壁彫刻だったとおもう
正面のほうかな、花や草を巨大に描く彫刻。
かわら投げは、今回、パスして、窓から左のほうを覗く。この地があまりにも好くて、旅の途中で平家のひとは琵琶を演奏したらしい。
モチの木、いきいきしてましたー

あっという間に、島を離れる時間になった。前回の訪問が鮮烈すぎて、各所、かなりくっきり覚えたままだった。宝物館へも入った。白い弁財天さんが座して、いっぱい手に宝を乗せてらした。大きな海亀が玉を背に乗せてました。

京染めだったか、売店で売られていたのを購入してそれを宿題みたいにおもいつつ今日まで何もつくらなかった。もう、物品はほぼ販売されていなかった。わたしが何も作らなかったことと世界がつながってしまう。みたいにかんじた。

美しい島
帰りは、空を見上げていた。来ることができたなんてカンゲキ。と、くり返しおもってた
京都へ移動。二条城らへんから今出川あたりまで歩く。午後4時くらいまでは、絶賛観光時間というか、せっかく国宝だって見ることができる時間帯なのに、わざわざシロウトさんの趣味で撮った写真を、見に行かなくてよくない?

町屋に上がれます、というふれこみだったけど、住んでた家が古くなっただけな場所。年寄りばかりで、靴を脱いだことによる靴下の臭さ、知り合いは口臭があるひとだったんだっけ、好ましく思えなかった。わざわざ、ここに来ることは二度とないと思う。わたしは、むし暑い道路を延々と歩いてしまい、汗がきもちわるい。演説調の話を聞かされながら、インタビュー慣れした語り口に、しらけた。

こんな場所へ行った、こんな写真を撮った、と見せ合っている対話が、LINE上であった相手が、壇上で奉られていて、わたしがその人に付く、一介のファンであるような扱いがあることへの違和感。公に向けた作品を独り占めして悪かった、のか。

お互いの旅の価値は、等価なかんじする。この先、話をシェアするならいいけど、ありがたく一方的に聞かせていただくという、恩義は感じないと思った。

鶴屋吉信のお抹茶白玉練乳パフェは、世界一のおいしさ。

さあさあ、銭湯行きましょ。むらさき、を見つけた。入った。終始笑顔のわたくし。銭湯という裸のひとの国、みたいなのに混じってるのが楽しい。

きゃー、ラブ。

気持ちよかったです、と番頭さんに言った。おいおいなに言ってるねん、なんやなんやあらたまってなんなん、こわ。くらいなことを思ってそうな間合いがあって、はい。とお返事をいただく。このかんじ。めちゃくちゃ好きなかんじ。

そして夜の拝観へ向かいました。仁和寺です。

唐門、ですっけね、鳳凰の彫刻。うるわしいです。
ライトアップされていますと、迫力が、ぐっときます
うおー!五重の塔!
本殿。細かく格子状に組まれた外装が、繊細さを湛えてもいます。瓦屋根のなだらかでありながら風格もある。美しい
本堂に、秘仏が公開された。なんてなんて、仏教美術の真骨頂がここにもあった。床はウグイス張りです。天井ちかいところに大皿があり、赤鬼が歯で齧っている。華鬘は、リボン結びが浮き彫りになっていて、垂れ下がったビーズが、ランプに照らされる加減で青色になる!見れば見るほど発見があった。堪能いたしました。

茶屋にてレモン甘酒を注文した。これがまたなんてなんて上品な、実に体によさそうな味わいで、おいしかった。

京福電鉄乗って、四条大宮まで乗って、四条河原町ほうめんの道って、繁華街でありながら殺風景な通り。京都の、川を見たかった。見に行くべきだったかも。もうひと息、あしをのばせばよかった。名残惜しいまま、駅前、治安がうっすら悪そうな中、深夜バスを待ちながら、そのまま齧れるぶどう、を齧った。ナイスなコンビニチョイス。缶入りシャンパンも、ちびちび飲んだことで気分上がる。バスに乗り込み、爆睡。

旅っって、ほんとうにいいですね。

TORABARA みなづき21日

熱田神宮に、初めてお参りする。

乗り継ぎがもどかしい。こういうときって方角違えを、しているのかも。もやがかかっているかんじに思った。摂社が多い。本宮と、別院と、清水宮、が主なところか。到着してすぐに左に在る別院さんに惹かれて、入る。すると、小銭入れを、持ってきていないことに気づく。全く、千円札すらなくて、万札のみを持っている。お賽銭は、無しにして、なにか神社のものを買って、お釣り銭ができたらお賽銭を納めることにする。

社務所を覗く。塩とか、砂とか、お香とかあるとよいのに。ダサいキーホルダーは要らないし、おふだは、いつ手放したらいいかよくわからなくて、あまり増やしたくない。あ、こういう時は、笑顔を奉納するとよかったんだった。

本宮さんへ移動して、じゃあ、おみくじ、買うか。それと不意に、こころ守り、が欲しくなって巫女さんに取っていただいた。

おみくじ。の冒頭に、たまげた。

心機一転すればよし。人に嫌われる己の意見は速に改めよ。心を開き、他人の意見に耳を傾け、誤りを正せば幸に逢う。利己心は捨てよ。

これって、私の今の状況を、よくよく知っててくださってることが明らか。おそるべし16番。ここに書かれているお言葉は、父を形容するときにおおいにお借りできそうだ。まさしく、父は人に嫌われる意見しか言えない。猛烈な利己心。改めなよ、と神さまがわたしをとおして父に伝えているか、改まるわけない父に対して、わたしを救っているおことばに思えた。

日本刀を実際に握ったり持ち上げて重さを感じる体験コーナーがあった。草薙館。日本刀という文化は、凄いよ、原材料が、これしかありえない鋼と銀、どのように導いて、生まれたのか。錬金術ならぬ(こちらはけっきょく成功しなかった)同じ奇跡は、日本にあったのだとおもえる。

一旦宿に戻り、荷物ピックアップして駅へ。各停ふた駅。みたいな新幹線に乗り、琵琶湖をくるっと北回りして、今津へ。いい町みたい。うなぎのキモ、お抹茶、健康茶、緑茶、を買う。お宿の真隣がショッピングモールになっていて宝探し。なんといっても40年以上前の、キッチンまわりの品々が現役で売られている。欲しいものが見つかる。

今日は、夏至。夕陽になる前の太陽が雲に隠れた。ばいばい。また来年ね、夏至の日。

ホテルのお部屋が広く、窓が大きく、絶景で琵琶湖が見渡せた。暮れゆくところもよかった。ワイングラスをくれ、と言ったら、かなり立派なクリスタルグラスを貸してくださった。わかってらっしゃるよ、贅沢な時間にしてゆく魔法が、ちゃんとある、とてもいいお宿だった。

TORABARA みなづき20日

ささしまドライブ。かつてここに来たのは冬で、大きな流れ星が落ちた夜。ニュースになったことで、かなりロマンティックな情景と合わせた思い出になっている。

早朝すぎてほぼ人が歩いていない時間。広いトイレがあり、顔を洗う。大きな荷物はロッカーに入れた。電車に乗る。

ななちゃん

一路、朝熊へ。初めて降りる駅。無人、ホームからそのまま階段になって、そのまま外。切符はポストへ。予感していたので、ちゃんと切符を買ってるわたし。いい感じ。

いい感じの里に来たみたい。人影が無くて、濃い紫?青?黒かも、な蝶々が飛び回っている。歓迎のしるしみたいだった。蝶は、幾種類も飛んでいた。そして大声で野鳥が鳴いていた。聞き覚えのないやつもいた。

登山口に到着。

なんて気持ちよい登山
くね曲がる五十鈴川が、キラキラ光ってる光景。

山道は、とても清々しかった。

雲海ならぬ、海そのものが眺望できる地点。鳥羽のあたりに点在する島。
木が生い茂る、山のふんいき
尾の長いトリが歩いていた。ヤマドリらしいです、地元のおじさんが山に入ってらしてちょうど通りかかったので教えてもらう。ヒナも生まれてこの間歩いてたよ。キジ、カラフルなやつもいる。とのことでした。
ウグイス。姿を見せて、堂々と鳴いていた。
トカゲのお迎え。動物たちが次々にたちあらわれた。
朝熊山 頂上からの景色
天空のポスト
木々が勢いよく生い茂っている
トラさん
ポタポタ陽が落ちてる地面。
山の中にいて、とても癒された。
向こうが見える木。と地図で紹介されていた。
場所変わって二見ヶ浦へ。
二見ヶ浦
二見ヶ浦、この角度
ちょうど明朝、夏至のお祭りがある。夜中の3時に海に入水して4時の日の出を待つ。白い装束を着る。今日は説明会が開催されていた。上気が伝わってなんとも賑わいがあった。
伊勢市。外宮へ行く。こころ池にて、かきつばた。
麗しい鳥が、ちゃんと麗しい場所に住まう
伊勢神宮さんと明治神宮さんは雰囲気が似ている。
燃ゆる夕焼け。急行に乗り、名古屋へ。

本日のお宿へ。徒歩で向かった。温泉があり、足が回復できてよかったです。

よりにもよってわたしの部屋1519号室ドア前に、黒い大きな虫があらわれた。相当弱っていて、隅まで歩いてうずくまっている。ホテルのフロントの人を呼び、退治してもらう一幕。この虫って、

父の生霊、怨みの念だったりして。こんなところまで出てきやがったか。ノロノロと、地を這っていた。ルームキーが棒状になっていて一突き潰してやろうかと思ったけど、いっぱい今日は、いいところをまわったので、わたしは手を汚さない。それにしても本当に、父の怨念の化身かもよ。