TORABARA きさらぎ8日

素晴らしすぎる朝。8時に始まるヨガクラスに参加した。直前まで、自転車で行くか電車で行くか迷って、自転車。朝の空気が爽快で、自転車が正解!

こんなに朝早いクラスに参加できたなんて、すごいよわたし、なんでもできるよ。と、上機嫌。帰り道は、花屋さんに寄る。10時3分、ちょうど店が開いてお花ならべ始めてる頃行けた。そして

新しい年を迎えるのかってくらい、家の掃除。拭く。掃く。掃除機の本体を、解体して掃除。隅々まで磨いて、なんて気持ちいい。布団を干して布団たたきで、ぺんぺん。とたたく。

昼すぎの長風呂。などを愉しみ、夕刻が近づいて、近所老人と、近所レストランへ行く。チョコデビルパフェが、美味しそうだとおもったけど、ひどく不味かった。こういう味に騙されなくなったわたくしの、味覚が鋭敏に育ったというべきか

なんでも旨い旨いと感じる味覚のほうが優れているのか、どっちだろうね。(これは昔からの問いです)帰宅して、眠った。

TORABARA きさらぎ7日

一週間前のはなしだけど、知り合いが勤める店のまん前を、遠目でチラ見しただけで通り過ぎた。その自分を、観察したかんじ。いるかいないかをカクニンしなかった。女子の人同士が出来事をなぞり合う際の、意味の振り方が、だいたい合わない。焦点の当て方や強度。おばちゃんに属しているかどおか。女子同士の駄弁りが出来ますか。

沈むような気持ちに毎度なる相手と、離れた。それを、ことあるごとに思い返すため、沈澱していたおもいがぶり返す。もうこちらに放たれてしまった、アク、灰汁。みたいなのを数えてしまう。

実家といい、旧知の輩といい、反吐ろの掃き溜めみたいに、振り返りたくもない。

しごと終わってから、ヨガ教室へ。その街は、なんて賑わいの夜店のかんじがよくて、通う店を一店舗だけにしぼる申し込みをしたところ、ここだと千円高いですって、交通費もかかるし。こういう不自然さって、やめとけってしらせみたい。

街の、寄り道の、なんて自由な空気。ずっと、このまちのことは、手の届かない憧れも孕むし、なにかある気配。いずれ、ヨガ通い先、変えていいし、また別のここに通う口実が、必要が、できてくるかも。

パソコンに付けるスピーカーを入手。白くてコロン。としていて、かわいい。音はまあまあだった。れ?まあまあでいいっけ?ちゃんと音を確かめてから買えばよかったね。

TORABARA きさらぎ6日

ヨガの、とっておきなクラスがある日。夜、出発するまで時間が余っていて、それならば1時間、家のお掃除をしましょ、とおもった。

1時間って、いろんな1時間があるナ。と数えていて、お掃除する1時間は、なかなか良かった。どこかしこ、まとまっておそうじして回ってると、家の居心地は本当に良くなるとおもう。

血のつながりがある方の家、の不愉快な気分を味わった件について、再び。血、に限らずだけど、人には種類があって、言葉の意味の、位置付け方が反る人とは、話していて不快しか残らない。こちらをなんだと思っているのか。

ヘラヘラした便利屋がヘコヘコして、本人は案外楽しそうです、という文章を、わたしの紹介文として、父は本に書きかけていた。そもそも何だとおもっているのか、という怒りもあるし、田舎では、とにかくまずは、へつらう。ということが処世術だとされていたのだったか、それが身体に染みていて、身内を低く言っておいたのか。

はしたなく揶揄う、という傾向が、父にはあり、嫌悪感をもよおす。子供の頃に、わざと家の内側の恥を晒すような文章をPTA会報に寄稿し、いい迷惑だった。なにかおもしろいのか、だれかよろこぶのか。

さだまさしの歌の歌詞は、今の時代にはそぐわないように思う。亭主関白かなんか、何かのハラスに分類されると思う。聞いていると不愉快になる。わたしは、さだまさしの、ものごとの感じ方を好まない。父は、このひとの歌が大好きで、いつしか歌の影響が思想になってるように、わたしには見受けられる。

思想の癖を、そのままひとの歪みだとして、なにかもっと初源的に、いかりをおぼえる。いかり、というか醜悪じゃね?みたいな察知をする。歩き方の癖で、大きく外から鎌みたいに足を廻して内股で歩くひとが知り合いにいたとき、この癖には即刻の嫌悪感をいだいた。性格のただならなさに直結している気がした。直せば治ることを放っておく、というのがその人のセンス。それでいいんだね、そのひとは。自由だけど、わたしは敬遠したいかんじ。

他者からの目をどう捉えるかによって、洗練されてゆくか野暮なままか、別れる。直さないまま、というそのひとの限界。

人に対して、偏狭な視界で決めつけて、どこか閉じこめてしまう、その窮屈さから身動き出来なくさせる。というのが田舎にはあって、典型的なパタンに嵌めるというか。田舎では、鬱屈に起因する事件は、ちょいちょい起こる。その片鱗が、しっかり血のつながりがある田舎にいるひとたちにも見えますねー

というのが、先日、わたくしがあじわった、家にまつわる一連の不愉快でした。

TORABARA きさらぎ5日

だらだらしたいナ、という夜に、図書館へ行ってくる用事があり、外出してみると、夜風がなんて気持ちいいの。

寒い季節の、澄んだ空気が、おいしい。

しかしながら、とっとと帰宅して、ワイン飲んで、旅先のことをネット検索しつつ、ラジオを聴いた。そして寝た。

TORABARA きさらぎ4日

しごとやめたい。というのは気分的な連続であり、絶賛辞めたいっ という日だった。もしやめたら収入1カ月じゅうまんえん。くらい下がるバイトなら転がってる。かな、ストレスを秤にかける。それだったらさ、

ガマンしてもうすこししごとをつづけるとして、じゅうまんえん。の予算で旅行しよっと。大胆な予約を、あちらこちらに入れた。

梅。咲きました。

今日、お部屋そばの電線に、ウグイスの見た目な鳥がとまりました。メジロかもしれない。小ぶりで緑色の鳥ちゃん。とっても、うれしかった。

夜、赤ワインの瓶を開ける。パーカーポイントが90点以上、これがうまいのだ。

TORABARA きさらぎ3日

節分は、昨日だったのだけど、この日付けを節分だとおぼえている。

しごと先の、私達の蚊帳、その内外が、目で見ていてあけすけだね、と感じた。辞めたい。稼げていて感謝だというよりも、別な、大事な次元で考えることがありそうだ。

この日の夜、ゆめを見た。「会社の人に、名前を呼んでもらえますように」と、「すこし痩せて見えますように」このふたつの願い。神社みたいなテラスになっている場所に、わたしは二人連れで来ていて、願い事を代理で唱えてあげます、という係のひとが、勝手にこちらの願いだとして決めつけた。このズレるかんじ。

はぁ?そんなこと願ってないんですけど。この齟齬こそが、現実での状況だ。

しょくばの人たちとお昼をご一緒したときの、会話のズレ方。どこかの土地に旅行へ行く話の時も、行く先を二つまとめて言うおばさん。そうではなくて。わたしのとっておきな旅の思い出は、その世間話には乗りようが無いかんじ。

宮島、弥山。朝からフェリーで島へ渡り、一日かけて滞在した。満潮の、水色の海をみて、山登りして、降りてきた頃、干潮だったので鳥居のそばまで歩いた。

このディテールが、世間話で薙ぎ倒されるだろうし黙ってるかんじ、が夢になったよね。

TORABARA きさらぎ2日

雪かもしれない日。雨が少し降った。あちこちで、家の食材を買い出しした。

節分なので、豆を、煎ってある大豆を食べて、食べ飽きたので外に播いた。

お赤飯を炊く。小豆を茹でるところから。はじめ、水から茹でてると湯が赤く染まる。豆を掬い上げて空気に触れさせる。さらに鮮やかに色つくコツです。この最初の茹で汁をとっておいて、炊く時に使う。うまい具合に仕上がった。

ウドの酢味噌和え。レンコンと牛肉の煮物。ごぼうサラダ。などの調理をして、ヨガ教室へ行き、図書館に寄ってから帰宅。家でロゼワイン飲んでた。

家の近所にしか行かない休日だったね。

TORABARA きさらぎ1日

読んでいる本の影響は、常時わたしに有るとおもう。天界と地界、は船井幸雄氏のコトバで、身内とか血のつながりを地界と連呼して、数日前使ってた。現在の読書は、精神科医のひとと、料理家の共著で、自分のために料理が作れない人、について病理みたいな焦点をあてて書かれた本を読んでいる。病理。のつもりは無いだろうけれど。

わたしは、子供の頃、料理を仕込まれた。ひとりで家族分のハンバーグを作りなさい。それとお節の当番、きんとん&田作り。料理を考えつづけている部屋が、あたまの中に有る気がする。今も。

わたしは家庭料理、をせっせと作ることには向いていないとおもう。むらっけ、といおうか芸術的な性格をしているから。「義務」ではない在り様を模索していて、模索こそがライフワークなのかも。完成に到達するよりは、常に、子供のほうが賢い、ということをどこか意識している。

本に出てくるひとたちの、デフォルトに、ウンザリしている。わたしの場合は、育つ過程での家の料理傾向により、つくられた体の症状が特定できたため、ここからの脱出があった。冷え性、乾燥、粘膜の弱り。

わたしは、飲食業に従事する。という生活の変化があり、食事によって、体の不調を、ダイナミックに克服できる驚きを体験した。ほぼすべての、特に女性は、飢餓の状態です。食べると太る呪縛。

壱。食べて太るのは、体が餓鬼な状態だと気付いて下さい。弍。食べものに対して、禁忌をつくってはいけません。罪悪感を持つことが、あなたに病理をつくる呪いになっています。食べ物が神さま。感謝しかありません。ひとが食べて食べて、初めて生きる。が、デフォルト。

時間が遅い早い、脂が多い少ない、ことに対して罪悪感をかんじる、その脳の理屈で食べるのではなく、体の声を聞く。体がどうかんじているか。にんじんを食べてあなたは軽やかに感じるか、いまのあなたとたべものと相性はどうか。食べ物へは、感謝。おいしい、おいしい。

惣菜の付け足しでほうれん草の胡麻和えを食べる勿れ。どんぶり一杯、食べる。そこから、減らす。ここまでなら食べて美味しい、を知る。

わたしは、ふんだんなオリーブオイル、セロリ、トマト、キャベツ、じゃがいも、鶏肉、のスープを飲み、いったん体がぱんぱんになる症状があり、その時期に栄養が行き渡ったと思われる。栄養満点なスープを薬みたいに飲みつづけていると、ある時、適度なわたしの体の大きさに、しゅっ。と調いました。そして、栄養が体の隅にまで届く。がつづいています。今も。

体質改善のメカニズムを、じっさい自分の体で体験したので、この智慧が伝わるとよい。

今日は、ホテルにて素晴らしい昼食をいただく。上野で美術鑑賞して浅草へ。いつもの天せいろと、笹の川を熱燗でね。蕎麦味噌も。近所の老人と上野で待ち合わせて、だべりつづけていた。

わたしの望みは、収入源を変えたい。意味があまりわからない、私の作業の匿名性が高い、事務に従事していることに、ブルブルっと異和感をかんじる。わたしが素ですごしているときに、へんなかんじ、を自覚する。