しごと先、帰り道の寄り道、どこにしようかな。海が、今日は闇いかんじがするので、舟に乗るのは止めた。
わたしの気持ちが闇いんだろうとおもう。
バーゲンは最終章だよね、ほとんどいいものが残っていない、ことをわざわざ店を回って確かめてたようなもの。
スーパーマーケットで、必要な食材を、ちゃんと選ぶ。なにかを打破するまえぶれみたいな、じいっとした時間だった。
しごと先、帰り道の寄り道、どこにしようかな。海が、今日は闇いかんじがするので、舟に乗るのは止めた。
わたしの気持ちが闇いんだろうとおもう。
バーゲンは最終章だよね、ほとんどいいものが残っていない、ことをわざわざ店を回って確かめてたようなもの。
スーパーマーケットで、必要な食材を、ちゃんと選ぶ。なにかを打破するまえぶれみたいな、じいっとした時間だった。
昨日は、ヨガへ行く、を経由して、お洋服を買いに行く。お洋服モールへ到着した頃には日が暮れていた。あっという間に閉店。3時間じゃ足りないなんて。一巡してから買っていってる途中で引き上げた。
それで今日は、また一路、お洋服モールへ。地界(と名付けることにした)を棄てたつもりが断末魔の叫びみたいに、蘇ってきて、キゲンを直してゆくというか、そのヘドロな念を、だらだら過ごすことで、治療してゆくのだ。
自分を、けっこう甘やかすことが出来た。あれもこれも、幸運にも、お買い得でした。
映画館へ。文化事業へ、なるべく投票(お金を遣う先を決める。これは投票だとおもう)することにしている。映画会員を、何年もつづけていて、今月は更新月なのでした。
ついでに北欧の、ゆっくりした作品を観賞した。全く、私とは感性が違う作品で、国民性が異なるからか、寝そうなのを起きてるのがやっとだった。いったい何を見たんだろう、物事への意味の付け方で、共感が少ない。消化不良な余韻だ。このことを考えつづける、ことも、ゆくゆくなにか、わたしの感性をひろげるのかもよ、
とにかく、色々、映画見てみたい。
帰宅して、家のひとと仲直りした。
ここ一週間は、ほんとうに参ってしまいました。それで長く寝てた。
わたしの気持ちは、結婚をやめたい。それを家の人に言ってる。3月で、仕事か結婚を、やめたい。どちらもやめたりして。
家について考えるうつわ、が飽和状態になったとおもう。もう、家に関わり合うのは、止めたい。わたしは樹木葬をされたい。家にまつわる、何も、欲しいものは無いです。他人のほうが愛情をいだきやすい。血の話をしない関係性の中にだけ、居たい。
天の理、地の理、がある。わたしは地の理だけで引き摺る風習がある土地にうまれ、地の理しか知らない両親の元で育った。幼いまま、ひとりで新天地に来て、こんなに羽が伸ばせることを知る。これからも知ってゆく。
とうぜん、天の理だけがわたしの世界なのだ。わたしひとりの時、わたしはとっておきな存在である自分をあじわっているとおもう。
わたしは、旦那の選び方を間違えた。結婚生活をしてみないとわからなかった。仕方がない。旦那の生活内容は、予め、判断できたきもするけど、常に自分の親、妹の存在に触りつづけるのは、耐えられない。優先順位が、筆頭が母、なところも。わたしは、旦那の母ともけっこんしてんのか?というくらいです。
体を動かして、生活しない。椅子に座りっぱなしで、基本、口先で指示を与える性質。ここも、わたしは、指示には従う気がないことを都度、告げる。自分でやれよ、私がやってる作業の邪魔になるのはやめろ。あと、自己本位な点。溜め息と苛立ちをあけすけに撒き散らす。部屋の内で。
りこんしたい。他人とルームシェアしているほうがマシ。ルームメイトであり、恋人に近いような、愛のある相手と、住みたい。そのひとと、調和のある時間もすごせる。自分の親をふたりの暮らしに持ち込まないひとと、家族になりたい。理想が似てるひと。
わたしがかつて、一緒に暮らした男は、親に対する距離感が似ていた。男親を家に一度だけ呼んで、わたしがスパゲティをふるまった。それを、焼きうどん?と間違えた。エピソードがその一つしかないことで十分だった。親を交えないで済む、二人世界。これが世界のすべてでよくない?二人がとても好き同士で、ほかのなにものも介在していない。好き好き、で、おままごとみたいだった。好きすぎて生活にはならなかったか。
天の理。について。結び付ける、統合して拡大するエネルギー。単純、万能、公開、自由、効率、ポジティブ、安心、安定、平和、互助協力、自他同然、長所伸展、公平、自己責任、という方向です。秩序維持、生成発展、波動、必要、必然、ベスト。というルールです。
無限なる創造主の光と愛の存在。
田舎にある価値観の根底は、怖れかもしれないね、
自分に対する否定的な心を捨てるのよ、自分自身ではなく、自分をおじけづかせる原因をつくった人たちを否定するの。byココシャネル
ほら、ごらん。田舎のひとたちを否定するの。そのひとたちのことを考えてる時間は無駄よ。
しごとが終わって、美容院へ行く。
わたしは、連日、家の厭な面を見て、なんとか気分を変えようとして、まだなんだか、険しく殺伐としている。気持ちの底に闇い川が流れているかんじ。昨日のヨガの時間は、少し晴れて、今日の夜のお出かけでもまた、晴れた。
美容院の、男のコだけど、ちょっとした仕草でドキっとするようなひとだった。こっそり、お互いが好きだったりして。もう、ドキドキだよね、なんか、誰かを好きになるかんじって、こんなかんじ、のかんじ。あれ
れれれ、わたしは現役なんだろうか。鏡の中のわたしは、現役だった。出来上がりの写真を撮ってもらったけど、かなり綺麗な目線でわたしを写してくださってる。と思う。
わおー。ふわふわ、しあわせな気分で帰宅した。ごはん食べて、寝た。
しごとが終わってから、下北沢へ行く。夜店が、いい感じだった。またしてもヨガレッスンを、受ける。レッスン開始までの時間を、ちょっとぶらぶらして、それが楽しかった。
ぎゅっといい商品が集まっている場所の、波動のようなのが、好き。空気を纏う。というのは、あると思う。マニキュアを試したりした。ここと、いったいになってるの、巻。
なんなの、な渦中。集金を迷惑だと伝えて、おそらくいかられてる。せっかくこの話に関わらせてやってる、くらいに思っていたりして。親の思想のクセを、わたしは醜い、と感じている。
母親は、私を守らなかった。私よりも、自分の出自である格の高い家、からの自身の承認欲求を優先している。田舎で育ち、外に出たことがない、個人の顔と名前で、社会に出たことが無い。今も、その実家の娘、でしかない振る舞いだ。
彼女は、個人ではなく、家。なのだ。このことに、今朝気づいた。なるほど。
自己を犠牲にして、家。にしか価値を見出さない。自身の身だしなみや、自身の喜びを後回しにしていて、慢性的な摂食障害を持っている。自分がデブなことを、まるで被害者のように他人事にしている。自分が何が好きなのか、何がしたいのか、わからなくなってしまっている。
姉妹がふたりいます、その片方だけを、親戚が可愛がり、その家に呼び、お小遣いを渡している。馬が合うから付き合う状態がある。親は、可愛がられない方の娘を、その親戚から遠ざけ、その親戚の門をくぐったりしないように、娘に力を振いました。きょうだいはふたりいるんだから、ふたりかわいがりなさい、としんせきを叱りなさい。親なら。
この歪が、糸をひいています。
まあ、もうそろそろ、いいや。この話題。
レンラクが来ないと思ってた人から、能天気なLINEが入った。大切な友人。わたしの気持ちが窮していたため、救われた。わたしたちはワクワクする気持ちをそのまま行動に移している。
明るくて軽やか。自分の真実の性質と整合している状態。ポジティブなことに焦点をあてること。ネガティブにチャンネルを合わせないように、と、バシャールさんも仰っています。
感情の端の場所、その限界まで感情を使う、よれよれになって、使い切る。
という精神活動、というか精神にとっての運動、が度々ある。普段使わない感情を活性化させておくため、自虐的というか、自主トレーニングの一種として、なにか種を見つけて掴んで、徹底的に、考えあぐねるのだ。
これはわたしの癖かもしれない。感情を汲汲に使い果たした、と思える時、圧迫感から開放されて、体から古い念を手放して、すがすがしい浄化がなされた。と感じる。
この境地に至るまでの産みの苦しみたるや。この精神活動は、おおいに私の誠のこころに基づいている。
今日は、実家に、電話をかけた。顔も名前も知らない、存在を知らなかった親戚に、いきなり私たち夫婦がお金を納めることになった件。
それは祝いに類する事へ、お金を納める件、ではあるものの、ちょっと待って。わたしたちに、先ずはそのコを紹介していただけますか。面会が、先。じゃないのか、誰だよ。
どなた?知らない宛にお金を納めさせるようなしんせきつきあいは、止めさせてもらっていいですか、と父へ言ったけれど
見たことも聞いたこともない、そのコに私たちを付き合わせることの違和感が、父には言っても言っても、伝わらなかった。家同士、家の親同士の付き合いで、そこに親同士の力関係がかんでいて、家の体面の為。が率先する集金理由らしい。
またしても、昭和一桁生まれの特性である、古びた思想、に触れた。家にまつわる、ネガティブな地の理。
複雑・秘密・束縛・非効率・不安恐怖・競争・強欲・短所是正・不公平。闇の勢力に支配されています、みたいな特性を、彼ら実家の人に感じる。こんなに気持ちが塞がるのはなんだろう。しゃべっていて反省を促される居心地は、なんだろうか。
私とは付き合いが今まで無かった。先方、この話の、お金を納めるコの親。が目をかける相手では私は無かった。それすらも、私に責があるような話の運びは何だったか。金だけをあてにされることは、失礼だ。と言った。
封建制度を浴びた世代、儒教でいうところの、被支配者であると、ご自身を位置付け、さらには末っ子の私を、末端の立場だと予め決めてある発言の数々は、なんだろうか。
とてもとても不快で気分が治らない。
出社して、しごとの後に、しごと場所そばのヨガ教室に行く日。荷物が、カバンの中が、ぎゅうぎゅう詰めで、とんでもなく不自由なかんじがした。
しごとの後で、時間の決まっている用事は、拘束されていて息苦しさがあった。
もう、ここでヨガの予約入れるのは、やめよう。
しごと先で、不幸があった時の集まりで配られたお菓子が過剰にあるので、持ってきました、というお菓子を渡された。線香の匂いが付いているわけではなかったけれども、そういうの、持ち出さないで自宅で消費しろよ、と思った。