TORABARA やよい16日

昨日選んだ雑誌が、目が合うかんじ。そこに書かれている記事も、ぐびぐび呑めるかんじ。メリーゴーランドみたいな一巡をしているのかも、時を経て、かつて挑もうとしたことと、再びめぐりあった。

今日は、ずっと家にいる。午後に、図書館へ歩いて行き、図書館から一番近くのスーパーへ入る。何年か前に来たことあるスーパー。本はたっぷり借りて、さらに、ざくろジュースとか買ってて、けっこう重たくなってしまってる。せっせと持ち帰る。

家の掃除を、2カ所したことで気が済む。夕方から、ずっとおあずけにしていたミシン仕事を始めた。どのように工夫できるかを探す。

今日は、自分史上、最高な美味しいサラダを作って食べた。わたくし好みとは。アボカド、完全な食べ頃。ゆで卵、カンペキな茹で具合。アスパラガス。リコッタチーズ。すべて同じくらいの大きさの、乱切りにする。塩胡椒。マヨネーズ、なるべくすくなめ。以上。

たあいないけれど、総て、最高級な食材で揃えた。めちゃくちゃ満足した。

TORABARA やよい15日

充実した時間の日。やるべき事で満たされている。

昼まえの時間に、ワインの買い出しをした。そのまえに、なんのために開けてるか不明な文具屋さんの、店へ入る。なんにもしゃべらないで、店の商品を見回る。店にはわたしの他に客はいなくて、店主は接客が下手なのか、気まずい。趣味だといえども、誰が何を買うのか、品揃えが、帯に長すぎるというか、文具愛に溢れているのだけど、いざ何か必要って時にさがせないかんじ。これが商売だなんて、ここを見てると、自信が湧く。すきなものを棚にならべましょう。ならばわたしに出来るよ感。

スーパーで焼き芋を買う。八百屋さんで、いちごを箱ごと買う。別のスーパーで、特価な肉、他を買う。家に戻る。肉は小分けして冷凍庫へ入れなければ。この作業するためにエプロンを装着。

ヨガへも、行く日。マットを、肩にぶら下げて、なかなか大荷物で、電車に乗る、というのを試した。いかにも、このひとは、ヨガするんだね、ヨガヨガオーラ、みたいなのは、ちょっと躊躇ってたけれど、だれもなにも気にしないだろ、という気の向き。

ヨガは、回数を減らしたことで、じっくりと味わえるようになった。そののち、シャワー浴びて、お化粧して、映画を観た。同じ界隈で、いろいろ楽しめた。

アキカウリスマキが、特別な映画館をオープンしているらしい。ヘルシンキから、車で1時間の、もともと炭鉱の町に。村への、溢れる愛情、そのひとのままで、なにをやっても、それが作品になってゆくような境地。車を運転する速度すらが、完全なタイミングに乗っているかんじ。

すこし古い時代に、人としての鼓動が健全だったおぼえがある。ああ、ここにはそれがあるなー。という、時間を味わえる映画だった。

帰宅して、赤ワイン。パセリのスパゲティに、ミートソースをかけた。サーモンと玉ねぎとケーパーのサラダ。モツァレラチーズとプチトマトを和える。ナッツをつまむ。

TORABARA やよい14日

秀逸な本を、読んでいる。必要なことが、ちょうど書いてある、呼ばれるように借りてきた本、2冊。

(旅のつばくろ、沢木耕太郎さん、の御本のことは、数日前に書いた)

6カ国転校生 ナージャの発見、キリーロバナージャ。読みながら、感嘆した。教育、という領域は各国にあり、それぞれ、教育になにを含ませるかが異なっていることに、グッとくる。

わたしは10代のときに、アメリカの大学で、お遊戯みたいなクラスを履修した経験があるのだ。日本のろくりゅうだいがくが、日本人だけの移動クラス、先生はアメリカ人。というカリキュラムを用意して、これを、その冴えない私学に呼び寄せるウリにして、私はまんまと参加したってこととおもうけど

経験は、生きる。とても頭も体も柔軟な10代、に、アメリカのカルチャーが注がれたことの意義は、あったんだな、と、本を読んでいておもった。

日本の基準どおりの枠から、外の世界を見たことで、物差しの窮屈な当て合い、から逸して、羽根は生やしている。授かりこととしての、外国体験。そして、太く確信をする。

自分にとって、ふつう。な自分でいること。ふつう、こそが実は個性なんだという、真理。ややこしくはない。苦手を克服しようとする勿れ。いくら少し克服できたからといって、そんなには満たされない。むしろ絶望するぜ、と書いてある。

縦に横に、わたしたちの囚われを、じゃくじゃくと裂いてゆく、非常によい本でした。

TORABARAやよい 13日

しごと先の女のひとがひとり、辞めるらしい。今日、知った。このことは、もっと前に、話合われていたのかも。家業を手伝うんです、は嘘。しょくばの人間関係を、葬りたい。が本音だろうよ、だいたい。

口の利き方を知らない、若い娘がいて、やめてくれないかなって考えてたところ、別な女のひとが辞めちゃうってことか。ちぇっ。と思った。わたしからは、揉め事は見えなくて、口の利き方をあいかわらず知らない娘、に注目してしまったせいで、ますます、こいつなんのつもりなのか。と、なにかにつけて思ってしまう。

こいつって方も絡んだトラブルなのかな。

ところで。わたしの見たドラマは、一世を風靡したような女優さんのやつだった。一級の芸事ってこと。名前を知っていて、見たことなかった。じぇじぇじぇって言葉は、流行ったよね。こんな顔してるひとだったんだね、世間に疎い、テレビの無い家に住むわたくし。

10代だったひとが30代になって、やっと知るって遅すぎだね。

TORABARA やよい12日

昨日につづいて、動物のはなし。象のランディが天国へ旅立ったことを知る。二週間前だそうです。思い出が作れたことを、感謝している。長いお鼻に、腕をまわして、ランディは、握り返すみたいに、ぎゅうーっと、懐いてきて、それを励まし合ったみたいに感じた。感動を忘れない。去年の夏。会えて、ゾウの国へ行けて、良かった。

左が、ランディ
ありがとうランディ。安らかにお眠りください。
ランディに腕をまわしているわたくし。

今日の昼休憩、自転車で、いろいろな用事を済ませるために出かけた。そのひとときだけ、空に晴れ間があり、それ以外の時間は冷たい雨が降っていた。

ランディには、もう会えないなんて。遠い国。に行ってしまったなんて。このニュースを、たまたま知ることになったことが、ランディからの報せにおもえる。写真の中には存在の実体がありありとある。合掌。

TORABARA やよい11日

朝、すこし外出して、公園へ行って、昼に、買い出しがあるのだけど、家にいた。

だいたい家にいて、なるべく何にもしない日。と、かたくなに決めてるような日。

家のひとが面白そうに見てたドラマ、3話分を、わたしも見た。陽気なこころもちにつられる、エンターテーメントってすごい力。

飼っていた金魚ちゃんが天国へ逝って、四年以上経つ。食べすぎにしたのは飼っていた側で、それをちゃんと治してやれなかった。自戒の念もある。ただただ、金魚のららちゃんが健気でかわいかった。最期にちかくなって、生きる力、泳いでみせる姿。わたしと目を合わせて、ららちゃんの気持ちが伝わってきた。

形見みたいに、ずっと、世話をする一式を、天袋から片づけられなかったのだけど、えいや、と可燃ごみに出した。収納空間が多くはない家の、貴重な空間、ここにららちゃんの物をしまっていたおかげで、家のストックはしまえていなくてふべんだった、この不便さを弔いの気持ちのようにおもってきた。

ららちゃん、ありがとう。ららちゃんの存在は、わたしのこころの中で、なくならないままなのだ。水槽用の、酸素浄化する道具を捨ててしまうのは、ヘンなかんじがした。てっきり、もう捨ててすっきりすると思ったのに、何層かになっている、無意識がまだ、せっとくできていない。

低いきもち。わたしには冷たいところがあるのだけど、ららちゃんの命には寄り添うように過ごした。人に対してすぐに毒を吐くわたしにとって、ららちゃんは、学びである。ことにオドロク。大好きなららちゃん。自分の内面にいるららちゃんを見つめた。

TORABARA やよい10日

昨日、図書館で借りた本が、面白い。沢木耕太郎著、旅のつばくろ

わたしが、おととしから、日本の各地へ旅している、温度感ととても重なる。山形県、遊佐へ行って、全く同じお宿に泊まってるし、食堂からの夕陽、海に落ちてゆくところ

翌日に、ローカルの鉄道に乗り、車窓から鳥海山を眺めた。ローカル線は、ワンマン運転で、一両めしかドアが開かない、それを知らなかったのであわや、乗りそびれるかとおもった。運転手さんが窓から顔を出して、ドア外の開くボタンを押すことを教えてくださったんだったか。

おんなじ旅程。そして、温泉がきもちよくなる肌質に変わったかもよ、年を重ねて。というのも、ちょっと同意した。

今日は、出社して、おいしーいハンバーグをお昼にいただく。前菜は、キッシュ。いつか、わたしがお店をする。そのときのメニューは、キッシュも、いいね。

帰り道に、お得だというカードを申し込むために、渋谷へ行く。申し込んだその場で、お買い物チケットを貰う。なんか、申し込んでよかったじゃん、と、賑やかな気持ちになった。

TORABARA やよい9日

日曜日の朝に、ヨガ教室へ行き、帰宅した。腹ペコになっていて、豚肉を焼いて食べた。

おやつに、餡まんを食べたくなり、図書館をまわりつつ、鹿港さんへ寄る、一巡をする。

家にいた。だいたい、家にいた。夜、ミシンをかけ始めたけど、はかどらなかった。

ヨガをしているせいか、食べ物がとてもおいしくなっている。内臓を鍛えると、消化吸収が良くなるという効用かも。

ずっと、どこかしら追い立てられるってふうで、なにかどこか、別天地へゆける準備をしてるってふうだった。