TORABARA やよい19日

寒い、氷を砕いたようなひんやりした空気。

昨日の夜、派手にワイングラスを割った。電気消してる台所の流しに、置いたつもりが、湾曲な鍋蓋にトツっと置いてたらしいままの勢いで、木っ端微塵とはこのこと。お陰で床に飛び散ったガラスの始末を、念入りにしたことで、かなりな床磨きになりました。

女のひと、という括りではないかも知れないけど、残酷なところがあって、普段から食器洗っていて、グラスにこびり付いたワインの跡を、ハイターした方がいいよなこれ、というのをジリジリいしきしていて、それをいきなり、割り捨てる。ほうがスッキリする感じ。ぜんぜん惜しくなくて、さっぱりした。

昨日から今日にかけての夢、山の頂上の尾根みたいな道だけど視界に開ける下界は、湖や街の広がり。あなたのお役割は。下っ端を味わうことばかりが現世では多いけど、なにかの頂点に居て、白馬の尻尾が付いているバチを8の字に振ってる。みなみなの衆。これにならうがよい。みたいなシーンを、見ましたとさ。

TORABARA やよい18日

風が強すぎる。ビル風が吹くところで、横殴りなの、すさまじかった。私の視界に、点々、5人くらいの人が、ビルに向かって歩いてたけど、一斉に、ズズッと地面を風に圧されて、1メートル以上、動いた!制御不能のこわさ。かろうじて転ばなかったけど、自身も、街路樹で細い木の幹に、しがみついた。それでビルに向かう地上ではなく、地下通路入り口に引き返した。こういう異常をあじわったことでナーバスである。

新しい観光スポットへ行くのは改めよう。海べりを伝って行くのは、突風な日はダメ。いそいそ帰るのもつまらないから、本屋さんに寄った。印象に残ったのは、自分の誕生日占いに書かれていたこと。わたしはちょいちょい、宇宙とつながるらしい。それでインスピレーションが啓示に満ちたところがある。とにかく運がいいから、人生でとても多くの機会にであえるってさ。

願い事が実現するから、夢をえがきなさい。だそうです。

TORABARA やよい17日

マルキドシャスは、瓶を開けて、グラスに注いで、ひと口、口に含むやいなや、本物だわぶどう、赤ワインの味とはこれだわ。と直に判じた。それで、ネットでも探したりしていたやつ、それが最寄りの酒屋さんでワゴンに入って、SALEになっている。朝から行って、3本確保。

MARQUIS DE CHASSE

午後からお出かけする。出不精のひとは、今日になって初詣ってことだった。神社さんは、三年前の昨日は、桜が咲いていた。わたしたちのために、桜が咲いたのかも、神さまが祝ってくれたかもね、奇跡だった。全くの枯れたような枝が、これが咲いたなんて、と眺めた。お守りを授かり、新宿へ移動。

天ぷら。楽しみにしていた。ここは三年以上ぶりになってる。ここの冷酒はガラスのコップを枡が受けて、たっぷり注がれることを気に入っている。

そして、デパートへ。出不精のひとは、10年以上ぶりに、好きなブランドの売り場へ行った。変わらず、とても好きなのがハンガーにかかっていて、良きままだったことにご満悦だった。

お化粧品を買ってもらった。

ハレな祝いの日になった。良かった。

TORABARA やよい16日

昨日植えた、ヒヤシンスの様子を見に行っておどろく。掘り返されているではないか!

水栽培をしていて、花は咲き終わっている。根が茂り、葉ばかりが伸びるため、土の方へ植えた矢先だった。大量の根がひっくり返るほどに掘られたとは。人間にはこの臭覚は無いだろ、獣か。猫?ハシビロコウが来た?カラス?謎だ。

ヒヤシンスは、場所を変えて植えなおした。明日、また様子を見よう。

気持ちがジタバタしていて、出かけた。美術館を二つ回る。大正時代に、装飾的屏風を描いた画家さん。円山派とか先代の絵師のノウハウを継いでいる。技術的な集約が完成したことによって、なにか一面しかない工芸師としての成就があった。鋭利なまなざし、高い技術を備えた、けれども、人間味が見えてこない感じ。

無量寺は、長沢蘆雪が逗留して、寺の本堂に襖を立てかけて、襖絵を製作したらしい。ここに来ていた。という気配のようなリアル。襖絵を描く、切なる気持ちのようなのを感じられたとおもう。わたしの心は、こちらに置く。

都心の美術館を二つ巡る日。

もう一つの美術館、春らしい展示は、お金持ちと画家、について考えさせられる。パトロンありきで美術家が機会を得る。美術家としての成長は、機会ありきで促される。ここに、お金持ちは、自ら、加筆している。絵は、土台にされる、この力関係、にピリッと気分が刺激された。まあ、自宅にお遊びを飾る分には害はなくて、拙書もごあいきょうか。

せっかくいい絵が集められている美術館で、宗教のお布施だかなんだかの金で集めた美術品、にいつまでも嫌悪感が伴い、行けていない。美術を見ていて、その某美術館から出展されているのを見た途端、蝶々が口から出す透明な液体にでも覆われたような、へんなツバが付いたかんじを否めない。

審美眼に長けた、美術に対して偏執狂みたいな人のコレクションは、とても面白い。美術品に対する崇めたきもちがあることがとても大事だということ。

TORABARA やよい15日

こういう朝に、名前があったはず。天の微笑みが地上に届いたようだ。先日、鹿島さんにいただいた砂を、家の四つの方角に撒いた。からだがなにかを知っているかんじ。

今日って、天赦日って言うらしかった。天の生気が万物をいつくしむ日。わたしがかんじたそっくりなことが書かれている。

ベビーティース(映画)の感想です、未知の世界に足を踏み入れる時の、キラキラがそのまま、主人公の視線で描かれている。夜の溜り場にある音楽、ダンスをする。ドラッグを少し。ティーンから一歩、女になる、陽だまりな時間とか、緩やかさが、とてもいい。感覚的だからです。

TORABARA やよい14日

香りが先で、この香りは、沈丁花か。と思ったら花の姿が見えた。道路を走っているときに。

関心の有る無しを顕にされること、に神経が過敏だった。人からの承認ありきで自分というのは「在る」、人からのお引き立てありきでこその自分、だとすると、自分を「無」にされたようなかんじ。だったと思う。

あなたに関心がありません。と、保護者が言ってしまうことは、虫の群れの中では暴力であろう。田舎というのは、虫の群れ、と同義だとおもう。目は無い為に、右往左往しているしかない。

誰々さんが目をかけている、からこそ初めて、なにかの話が始まる。人の体はキョーミないと動かない。それで、関心を向けラレナイ、ことは、なんにもない、なんにもしない、なにものでもない、価値の無いことに自動的になる仕掛けだったとおもう。村社会。

都会では、村社会ではないありようがある。村社会とは決別したことに因っているひとは、都会でしか暮らせない。

家との一体感、にしか基づかない行動、を何故にせっせとしているか、家にだけ帰ることに生活の焦点がある田舎者がいるけど、どうかわたしを巻き込まないでほしい。これをダンナに向けて言っている。わたしにとって逆戻り、がつづくようならば、けっこんをかいしょうしたいほどの、逆鱗。

随分と記憶が遡るが、大学の入学式に、上京したわたしは、保護者代わりに姉に付き添ってもらうことになった。これは親が決めた、というのを口実にして、姉は親のお金で、服を買った。それが花柄の短いワンピースで、当日は、大学のメインストリートに机を出して、サークルが勧誘していたとおもうけど、せっせと、姉にチラシを渡し、呼び込む様子ばかりを、わたしは他人事のようにながめた。

入学式が、この姉に付き添い、姉を引き立てた、という行事になった。誰が、大学に通うのか、誰の、大学か。意識が、この光景を体験したことで遠くへ離れてしまったまま、まるで焦点はズレたまま、結局は、私は大学を辞めてるけど、初っ端からろくでもなかった。

おまえが今、出しゃばるなや。という怒りが、何十年も経って、再燃していた。調子に乗っているじょうたいを、更に加速させていた私の親は、姉だけが偉い、おまえは姉の邪魔にならないようにしなさい、お金の負担もおまえには出来ない。というスタンスだった。わたしのことを古いボロい県人寮にぶち込み、姉にだけは、一人暮らしをさせていたし。ひずみ。

のこのこ、ひとさまの式に出て、我が物顔をすることが、ありありと思い出され、花柄のワンピースは調布パルコで買っていたことから、調布パルコを忌み嫌い、何十年も、封印するほどに、自分の新生活を踏み出そうとするひとにとって、酷な光景だったのだとおもう。

少女のきもちに戻って泣きじゃくるような日。

家。に一体感を持ってるひとへの嫌悪感。なにが引き金になったやらで、また、あの、花柄ワンピースにまつわる嫌な気持ちが蘇えっていた。

TORABARA やよい13日

夜、西の空に下弦の細い月が出ていた。カッコいい。

ささやかすぎる、暮らしのはんい。ほんの鼻先みたいな、つき合いがあるけどそれは、入れ替わる。結婚しているひととはご縁があってのことだったとして、過ぎ去ってゆく、シゴトサキ、毎日関わっていたこともあったのに、わたしが去ることは多く、わたしのしょざいはゆくえしれずってこととおもう。いろんな名前も忘却の果て。

想像力のうすい、中年の女たちとは、離れた。かのじょたちの了見に収まるような、こちらを何だとおもっているか、に沿う、落とされ方は、なんだったか。かのじょらに起こり得ることと、そもそもの器が異次元にちがうのだ。いったい何がおこっているか、幻想に近いようなこと。これを言いふらす訳じゃなし、平板に画一化された、ありきたりな角度での事実のキリトリに委ねるつもりがない。わたしはだあれ、わたしの実態が知れることは無い。これを、ロマンと呼ぶ。

旅先は、自分自身への居心地があってこそ、楽しくてしょうがないのであり、外の要因が、清涼剤あるいは、ポエム。知らない場所をどこまでも歩いてみたい。その土地でしかいただけない珍しい出会いは、いいですね、和菓子とか日本酒とか、真珠。砂。お土産品のられつよ、ボケないお茶、松ぼっくり。滝も湖も、海岸線の岩たちも、観覧をしたそのことが思い出という名の宝。

TORABARA やよい12日

昨日の旅の帰り道でメールを見たら、昼過ぎにネットに出品してる本が売れた!ことを知る。なんとしても今日(昨日)の内に発送までしておきたくて、無理をした。へとへとだったのに。

それで今日は、まるで体力と気力が奪われているかんじ。なんとか昼になって昼休憩の1時間寝た。夕方4時ころ、早退したほうがいいくらい怠かったけど、がんばった。そして5時30分から寝た。

ポテトチップスの味が甘い砂糖と、塩が、分離して感じられて不味い。ボロい塩を使ってある昆布茶の塩味がキンキンしていて飲めたもんじゃない。自分の体が弱っていて、それらの食物が消化出来ないから、味覚が鋭くなってる。どっちなんだろう、身体が健康で、食物消化出来るから食べ物を美味しくかんじる。ポテトチップスを完ぺきに消化出来るほどに、身体が健康だから美味しい。なのか、毒まじりなのに美味しいとおもうことがマヒなのか。

毒。は言い過ぎね、あまりよろしくないといわれている食べ物、ジャンク。というジャンルの嗜好品。

少し休んだ後、夜風が気持ちいい時間に、自転車でおでかけした。果物だらけをいただきました。いちご。青リンゴ。甘夏。グレープフルーツ。