TORABARA みなづき11日

父が自費出版をして、本日、届いた。あとがき、から読む。彫刻家、立体で三次元を扱う作家さんの、絵画、二次元作品、のような、二次元は完全に見えているから三次元の作品に取り組む、みたいな出来映えの散文だと思った。何故、本を出版したかったか。不器用でぶざまだといういきざまを、そのままガツンと書いてある文章に面喰らう。

ここまではよかったのだが

いざ短歌は、どうなのか、助詞がどうの、の前に意味が釈然としないまま、薄らぼやけたまま、どうやら、こちらがいい気分になることが書かれていない。目次項目で、わたしは次女、という対象の、本人である筈なのだが、わたくしとなにをきょうゆうしたくてかかれているか、呪いか。一方的に、公に晒し辱しめを与えるような、発表がしてあった。精神を病む、過去の私。を切り取り、彼のレッテルに貶められていた。特に酷い三首。ぜんぶで七首。

わたしは、その二ページ、一枚、をいきなり本から破いた。なにがしたいんだろう、彼、父は。

わたしは、表紙絵を担当した。絵が表現なので説明文は不要だと考えるわたしに、何度も不愉快極まる内容のプロフィール文章を付けようとしていて、それはかろうじて阻止できた。それにしても、安価で便利屋の仕事をヘコヘコやってよろこんでる像、をわたしにぶつけてきていたけれど、底辺の身分。おまえなんて。という、こちらを所有物だと傲ったうえさらに、下衆な扱い。をなにゆえに書こうとするやら、誰か、これを読んで、益になるのか。

精神を病んでるすがた。裁判沙汰になって争ってるすがた。失業している時期がくり返しあった。親から見えるわたし像は、だいたい、このあたりに焦点があるだろう予想は、当たっている。いつまでも、ここに留まり、この事物をなぞり続けるらしい。闇くて、三面記事にコーフンする、田舎のアマチュアの、自称歌人。の手に負えなさ。思想の癖を垂れ流す丈、やりっぱなし、こちらを傷つけることに無頓着、ときている。

こやつになぞらせるのを止めさせろ。わたしの夢に出てきたとき、わたしは冷凍になった物体としての父を横たえて、寮の両脇にベッドがある、真ん中の通路を、軽々と運んで、ベランダから外に棄てた。軽かった。

こんな埃まみれの寮にぶち込みやがって。わたしをネタにして、さげすむような文章を次々と書きやがる。夢上等。ゆめとつりあうくらいの、ありえない短歌、よまれるとはおもわなかった。

TORABARA みなづき10日

しごと終わって、ドラマを延々と見た。ケイヤクしているネット配信を、ほぼ見ないの勿体ないって発端で探した、日本のTVでやっていたやつ。TVに限らず、邦画にありがちなわざとらしい演技の全てを、受け付けなかったのに、ずるずる見て、深夜になってた。

今まで、邦画の、なにが不味かったのか、なぜ今、不味くないのか。わたし、俗に染まったのか、そしてそれは、家のひとのせい。家のひとは俗の極み、な感性をしている。言い換えるけど、大量に消費されるもの、と同調できる。

なにか、失ってしまっているここち。

TORABARA みなづき9日

出社したけど、朝、地下鉄駅改札出たら、課長さんらしきひとが前を歩いていらして、昼休憩の時、コンビニにまたしても課長さんらしきひとがおやつを選んでらした。よく会うねぇ。

お昼は、カウンターでピザをいただく。横の二人組でおしゃべりしている女性で、真横のひとの身振りが大きすぎるのと、ひっきりなしで、水を掻くような仕草、弧を何度も描いてたり、その手が、わたしの右の肩に当たりそうで、結果あたらなかったけど、あたりそうだたったばしょがいつまでもむずむずするかんじ。無作法じゃね?食事してるんで、ピザをさ、いただいてるんですけど。

昨日考えてたことを少し。失敗を数えてしまって、なかなか始めようとしない。失敗するのはいいけど、何度も、うまくいくまでくり返し、浚わなくてはいけない。それなのに次々と、やりっ放しにしている。なんどでも壊して、よりよい作品を生み出すようにしよう。

それと、この日記で言葉にすることで、ダメにしてしまう、言葉の強さがダメなときがある。活字としての文章ではなくて、ノートに、落書きしてゆく記録のほうが、わたしをととのえるのかもしれない。どうする?日記つづける?

綺麗なひと、と言われて、高級な食事に連れ回されていた。だから、どうした。わたしが欲しいのは、そういうことじゃない。この時間があったことが、なんにもならない。綺麗だなんて、わたしに対して言うひとがいたか。的外れな形容詞でしかない。まったく上辺をツルツル滑る、釣りの言葉。

TORABARA みなづき8日

だる。朝からヨガクラス。簡単にシャワーして、帰宅して、たっぷり半身浴した。そしてだるっと過ごす。部屋にいた。

夕方、酒屋へチャリで行って、店の前にチャリを駐めたとき、息合わせてもう一台チャリが駐まった。日曜日の、お酒買い出す時間は今だよねー、と気が合ったかんじした。

昨日新調した、籠に、赤ワイン。ミニフランスパン。を入れて、ご機嫌だった。

TORABARA みなづき7日

写経した。

写経大会参加。

なんか。というカンカクで、参加することを決めた。寺に呼ばれてるカンカク。今日、来なさい。朝、家を出発するところからすいすい。時計見なくても、ちょうどよく進む。墨で刻印することを通して、ゼロに戻るカンカクを味わえた。

田園風景、美しいね。
空の雲、登り龍に見えるね。

境内をまわり、アイスコーヒーいただき、門前町でお買い物して、一路、上野へ。お抹茶を買うため、アメ横へ行く。そして、安いよ千円、の鮪を山積みされて、買う羽目になってるっていうか、よっ社長!と呼ばれて、そうそう、わたし社長。みたいな気になった。高揚したまま、美術館へいき、ゆっくり徘徊して、帰宅。

この絵は、フェルメール筆で、習作したものかも。袖口の白が、フェルメールの絵の具っぽい。

鮪は、近所老人にも一柵、差し上げた。鮪、なかなか品物が良いやつだったみたい。オマケで付けてもらったイカの刺身が、旨いっ。富山県で食べたイカの次くらいに。

TORABARA みなづき6日

ソウウツの患者さんのようであり、創造主みたいな闊達な芸術活動があるひと。エンターテナーだと思ってうっかり近づくと、ヒリヒリしたものを感じる。アンタッチャブルな領域があって無闇に踏み入れるなよ、というサインを察知する。

わたしは、冒険家のトークショーで、対談相手である、このひとを知る。トークショーと前後して著書を借りまくって読んでいった。東京での拠点が近所らしく、COOKの本、になる前に毎日ブログに料理写真をアップされてた頃に、ちょうど図書館で、この作者の本を4冊くらい受け取った足で、スーパー2階に寄ったときに

この、当本人が、スーパーの2階に!!出現したのだ。東京でのパートナーらしき女性を伴って、調味料売り場で、しゃがんでみりん?を選ぶ姿。ぎえぇぇ。話しかけて、カバンの中から借りたての、その作者の本を当本人に。見せればよかったじゃん、この偶然のご縁に、一方的に、驚いている。一時間後に、スパゲティナポリタンの写真がアップされた。その材料を買い足した、とかだったのかな

黒いワゴン車で、ふたりは帰って行った。わたしはチャリで、すっぴんで、素足のひざが丸見えな、部屋着姿で、とにかくスカイブルー色の、その時着てた自分の服を覚えている。パートナーの女性が履いてた靴下の丈が、わたしは選ばない半端丈で、なんか、とてもわたしと違うかんじ。が残った。こういう女、選ぶんだっていう観察。

トークショーにて、サインをいただいた。達筆。見事だった。本人に、ざっくばらんなおしゃべりができるといいのにね。あ、パートナーのことはざっくばらんとはいかないか。

手紙の対話が本になってるやつ。学校とか会社が苦手で、と書いてあるけれど、掲げる学校名を本人が持っていて、初めて、学校苦手って言えてる世間様って気がした。学校に全くはぐれてしまっているひとが学校クソっていっても声が大きくならないというか、そういうところも圧というか。

人間の力が高いから人とのつながりが築ける、自分だけは特別な待遇を得る、などとなぞってるときに、わたしのコンプレックスにもろに障る。ひととの接触で、近寄るな、危険。を何度も察知できなかったわたし。いつまでも、苦々しい居心地の場所に停滞したわたし。が、きゅうによみがえり、うっとなる。

TORABARA みなづき5日

doing、haveing、ばかりを評価して、beingを解さないひと。これこそが、時代によって、うつろう価値のように思った。21世紀からはbeing、ただそのままで、あるだけでいい、を受け入れるひとから、高次元なしあわせの状態に成れるいんしょう。beingって丈。にフォーカスすると、マインドフルネスな状態ってことか。

読んだ本の作者、ゼロトレで有名になったって人の、今回の、健康について書かれた本の、余韻。

夜は、ヨガスペシャルプログラムへ。ずっと、体の右が痛い、肩が。腰のあたりも。それが不思議と、治る姿勢。固いレンガに似たブロックを背に当てて、力を抜く。これが効く。

帰宅して、焼きそばとスープの夜ごはんをいただき、寝た。

TORABARA みなづき4日

昼、八百屋へ買い出しに行く。初ものの、さくらんぼ。スーパーへも行く。初ものの、青梅。夕方、ビネガーを入手。氷砂糖といっしょに梅を漬けるのだ。

芍薬、ことしさんどめのしょうじき。つまり、二度、丸い固い蕾のまま茶けて枯らしてしまった。水を張った中で、祈りの儀式みたいに、パチンと、斜めに茎を切る。咲いてくれ、こんどこそ。

夕方のお出かけで、図書館へも行った。予約していた本。専門的すぎるかな、キノコについて。文字が多い。写真が多いのから入門したい。

人の真似をするのが上手いひとがいて、ようするにそのひとじたいが空疎で(空っぽのバケツ)そのままをがぶ飲みできるというか、そっくり教科書通りに成れます、という上辺(ウワベダケトリツクロウ)ちゃん。これを見抜けなくて、嫉妬の気持ちがあったとおもう。はた、と、違うわ、モノマネって浅いわ、みたいな気付きがあった。節操無く盗めてしまえることや、やれてしまえる厚顔なところを、わたしは受け付けなくていいと思った。

なんの役に立つかわからないまま、周りの圧で入部した、(一つ年上の不良だらけのクラブに、なにがなんでも入るように勧誘されて、不良がコワくて入った)棒を投げて掴む、だからどうした。みたいな稽古を連綿とやっていたとおもう。

学校外行事の催しに出るという、スポーツ万能の女子、同級生が、片手間に、その棒を投げて掴む的なのを、演ったらしく、簡単にできたらしく、ますます、わたしは日々何をやっているやらむなしくなったのだが、

今になって、落下する棒状の物、に限らず、落下するものをキャッチする反射神経が、ものすごくあって、パッと、落下させない能力。Mr.&Mrs.Smith、だったっけ、映画でテーブルから落下する赤ワインの瓶を、しゅぱっ。とキャッチするシーン、わたし、あれ、出来るわってこと。

表面的になぞれることは、その場しのぎである。骨の随で、なにができるようになっているか。ここに、とても地味な鍛錬が、ちゃんと構築されたことが、残ってるはなし。