雨が降っている朝。家の内にこもる。朝食を終えて、読書して、編み物しながら、クラシックを聞いて半身浴をする。いつのまにか昼の時間。シャケを焼いた。ブロッコリーサラダ。
その後、台所の掃除、毎週のルーティンで、換気扇を新品同様に戻す。冷蔵庫の棚を洗う。風呂場を、カビっぽいところのすべてに、強い液体をかけた。液体中毒なのか気持ち悪くなる。風がまだ強く吹くけど雨は止んでる。外へ。図書館に予約してた本が届いている。それと本屋へ。
今朝の読書で、上下巻の大作を読み終えた。さらり、と読めた。この作者の本は、全部かな、読んでいて慣れているというか。熱量が穏やかになっているのは作者の年齢が高くなったことをそのまま顕している。作者が70歳を越えていて30歳半ばの女性を、酸いを知ってると描いていた。歳。をとって変わらない核が、ひとりにひとつあって、その人の、その核に属した物語だった。批評に晒されるため、こういう部分をなんて言われるんだろ、というガヤガヤした読み心地がある作者。わたしの肩を囲んで語ってくるというよりも、その他大勢の為の、私自身の読書にならない感じ。
夕方、近所老人と、スターバックスで待ち合わせた。なんだか焦ったような、アンテナが狂ってるような日。本当に欲しい物、本当は行きたい場所、と合っていたか。本当にやりたかったこと、よりも、やるべきことを手繰って、からまわりなのだ。
世の中について。先週旅先で、点けたTVで、知ってる先生がしゃべってらした。わたしが事務で仕事してた時に、わたしと知り合いとして接してくださったヴァイオリニスト。出演されてるゲストさんは、声楽家の、教授会長つとめた先生の、娘さん?苗字が同じ。わたしにとっての狭いはずの世間が拡散されている見心地。
わたしに、多肉植物を教えてくれたお兄さんが、日本を代表するような多肉植物の専門家になってらして、何千人も、フォロワーのいる生活開示みたいな状態。最初の本筋からぶれないなんて、おそれおおい。ふらり。会いに行ってみたい気持ち。
わたしがする「べき」と位置付けたことが必ずしもではないのだと思う。そのひとの本来の筋にそのひとが合ったときに、何千とか何万とか、そのひとのノリにノルみたいな状況が生まれる。人に受け入れられて、ノリノリになる場合もあるけれど、わたしみたいに
タイミングが合いまくる、奇跡みたいな時間が連なることで、わたしはわたしに合ったことを刻々と為していたりして。天からの印みたいにすいすい進む。
すいすい進むことが、あなたへの知らせ。