TORABARA うづき17日

昨晩、夜中過ぎまで起きていたので、昼過ぎと夕刻に、眠くて寝た。

夜、ヨガ教室に行くことにしていたけど外の風も強いし、出かけるのは止そう、としたらキャンセル出来る時間を過ぎてた。それならば行くか、10分で支度して家を飛び出し、19分後にはヨガスタジオに到着した。

行けて良かったみたい。体をほぐす、というクラスだった。緩やかな音楽の中で、自分の体のコンディションと向き合いましょう。ほどなくして体がほどけて軽やかになってる。

後の、シャワー。取り揃えている、シャワー用の諸々が、香りが格別に、ふわっとして気持ちよかった。ラベンダーヘッドスパ。ミント洗顔。グリンローズのボディソープ。ふふふ。楽しいね。という時間になった。

TORABARA うづき16日

親子ほども歳の離れたコの、ほんのちょっとした生意気さが気に入らない。わたし親にならなくてよかった。こういった生意気さに太刀打ちするためのおばさん力も、付けなくて済んでる。

親になると子供を叱るための「警告音」が出せるようになるらしい。お気の毒だけど親になった人の声が聞き苦しいシロモノになる、のは経験上、公の場で叱り倒している親の姿を見て知ってる。近辺にある、ヒステリーにわめく声音が、虫の出す特殊能力級に、警告って種類だったとはね。

親。というと一般論で敬うもの、とだけされる。ここに異議があってもやすやす、表立っては言わないお約束になっていた。毒親。というコトバがやっと近年出回ったりして、おっ。と思ってる。わたしにとって、身内という領域こそが不公平の温床で、とくに古い世代の封建的な考えが根強く残るひとたちなので、

考え、というよりも封建制度で洗脳された状態のひと。その当人にとってのあたりまえを疑ったことが無いひと。田舎の内に篭って丈いることで、自分たちの流儀でまかり通ってしまった。生きた社会、ではなく冥界にでもいるひとのような難解な偏りを帯びている。

わたしが社会に出ているときの方が、訳の分からなさが少ない。とくに資本主義の、合理的な落とし込みどころは、会社を横断しても、共有できたりする。良い悪いは、ちょっと別にしてるけど

今までは、この合点が面白く、やり甲斐あるねー。なんて思っていたわけだけれど、どの会社にも言えてるけど、物の考え方に偏りがあって、その「偏り」具合が似たひとがあつまってきている。その会社が集めるわけだから、そりゃ似るか。弱点、というか角度によって、やばっ。とか思う。

自分にとっての、ホームを探す。と、最近読んだ本にでてきていた事と、目の前の事象を照らし合わせて、

わたしにとってのホームに行かなくちゃ。ってなんの話だったっけ、

そうそう、生意気な若いコ、自分の家にしか馴染んでいないコが社会に出ていく、成長過程で、謙虚さが欠けてる場合には、会社横断可能な普遍的な存在にはなり得ないだろうなー。と冷ややかに思いましたとさ。

それでアウェイの話になるけれど、なんか、ここでの体験は、欲しいものとは違うな。って話。というのと、

警告音を出すのは違うけれど、自分の言葉で、ありったけは発してゆくかどおか、今日いちにちをとおして考えていたような日。ここでの私の役割とは、そこに歪があれば正す、なのかどおか、どんなものかね。頁をめくるかも。どうするか。

TORABARA うづき15日

今日は、給料日だから。と家の人と一緒に、夜スーパーマーケットへ行き、わたしは高級アイスクリームの入っている冷凍庫、プールみたいなたっぷりとしたところにぎっしり入った、アイスクリームさんをジッと見ていて、

そしたら家の人は、いいよ、好きなだけ買いな。と言ったので、三カップを、いそいそお買い物カゴに入れた。

帰宅して、真っ先に、家の冷凍庫に仕舞ったのは家の人で、わたしがアイスアイス、仕舞わなくっちゃ、と言ったら、すでに、ちゃーんと冷凍庫の特等席に並べられていましたとさ。

ハーゲンダッツ!!!

TORABARA うづき14日

出社。一週間前は、へしゃげた声のおばちゃんと、お昼ごはんへ一緒に行ったけど、この種類のひとというか、

只、ひととつるんで人生をやり過ごす人たち、というのは一定数いらっしゃって、おおよその人たちが、この俗な、浅い薄いひとたちなのかも。とにかく、濃ゆい会話をするべきじゃない相手に、口がすべりまくってたけど

わたしは先週は躁な状態だったのか。へしゃげた声のおばちゃんの素性など好きな訳ないのに、(なにかしらがいつも、ひっかかる)平気だったのはなんだっけ。

今日は、海辺で、お弁当をいただいた。高級なスーパーで売っている、小さくて長方形の、和食のやつ。これがガッカリするほど不味くて、まずい想念が次々と連鎖するほど、パワーダウンした。食べることを慎重に、見た目でちゃんと、食べ物のカオを確かめて、さらには目に見えない気配というか美味しいオーラを察知して購入すること。

仕事終わりに、近所老人から電話が入る。もっぱら、株のはなし。テクニックに関するアイデアを、すきかってなことをしゃべくる。

お昼の、海景色。

夜、美味しそうなチーズと目が合う。100gの値段が大きく貼ってあって、お値ごろだわ、と掴み、レジに持って行って、250g分の値段表示されててハッとなるやつ。小さーく、パッケージにグラム数、かいてあったのか、まぎらわしい販売。同じ店。で同じだまされかた。まさしく、騙し。があった話を、以前聞いたことがあったことを事後に思い出した。

お花は、造花でした。

出現していた、お花だらけのかまくら。ゆうらくちょうすてき。

TORABARA うづき13日

朝、8時からのヨガ教室に申し込んでいた日。

雨。

ぐずぐずしているうちに、電車乗って優雅に向かうはずだったのを変更。ポンチョ着てチャリを飛ばした。途中でお水も買う。間に合った。

シャワー浴びて、またしっかりポンチョ被って、帰宅。今日は、お出かけをすることにしていて、わたしは一体どこに行きたいか。

神社さんに問い合わせることがあり、向かったけれども日曜日は、閉まっていた。ふうん、閉まっているかどおか、行ってみて知るとは、長閑だこと。

池袋へ行き、大好きで通っているベトナム料理屋さんへ一目散に向かう。並んでる。さすが人気店。3人連れの客とぎゅうぎゅうの待合スペースの椅子に座る。4人目、みたいに会話を共有するみたいに近い。ドバイに住むとかなんとか会話してる人たちだった。

絶品。春巻の前菜。

旨いー旨かったー。余韻が午後いっぱいつづきました。生きててしあわせ。みたいな満足感。

すぐそばの大型家電量販店へ入る。めったに見かけなくなっているけれど、なんか好きなモノ、実は好きってモノを、見直してゆく。たとえばそれは、少し重たい大判の写真アルバム。こちらに、山行きの写真を収めたところ、しっくりきた。それで、カメラコーナーの、写真周辺の、たのしそうな品を物色して、カラフルなペン買っちゃいましょ、お写真に描きこめるらしいやつ。らんらん。

アルバムにおさめることでしっくりくる。長野県の山行き↑

4時55分に間に合うように、映画館へ移動した。「ゴンドラ」を観た。ジョージア国に、つい先ごろまであった、ゴンドラが、なんともほのぼのとした形で、ゴンドラかわいいね、という眺めがずっとある映画だった。

自分が何を見たくて何に焦点を当ててゆくのか、ちゃんと、引き寄せたいことの傍に行くようにすること。

TORABARA うづき12日

こんなによいお天気の日が、家の日になるなんて。

今年は、紫色のチューリップを育てた。

昨日仕入れた布で、レースのカーテンを仕立てなければ。5時間近くかかっていた。前のカーテン。タバコヤニで茶っけて、破れかぶれに裂け、垂れ下がってきたため、早急に新調せねば。これをクリア出来たから、有意義であった。

灯油ストーブを仕舞う。ここも難問だった。なにしろ、ストーブに残った燃料を空にしたくて、新聞紙に吸わせる、では間に合わなくて、雑巾に吸わせて悪戦苦闘になった。やれやれ。

それと、洗濯。それと、半身浴。これらの所業で時間が夜になる。家のことができたからよかった。やってみようとしている技に、やっと、入る。

羽衣色。と、わたしが呼んでいる色で、自分の肌の色とは別に、本性を色にするならこれ。わたしに近しい。なんの衒いもない。この色で、ドレスのこと、いろいろやってみる。

TORABARA うづき11日

おやすみをとった日。もともと仕事なんかしていない、ように過ごした日。日常として過ごしたってこと。

手続きがある、それを調べること。コピー機で住民票をとった。あと一歩。けっこう親切な案内を受けた。

神社さんへ行き、くるっと山手線で日暮里へ行った。レースのカーテンの材料と、ドレスになりそうな布を探し回る。

それから新宿へ戻り、プリンとキングコーヒー。

去年の年末からずっと来たかったOSLO

電気量販店の写真コーナーで、アルバム台紙を買う。わたしが高校生の頃、同じアルバム台紙を使っていたとおもう。ナカバヤシって会社の。

布の問屋街へ、また行けて良かった。年初に、あんまし問屋まわりをしなくなったことを、残念におもい、それをちゃんと、行動を、寄せてゆけてる。

店のほうに引力があって、買うつもりがないものを何故か買ってしまう、というながれを、変える。わたしが、何が欲しいか、ほんとうに欲しいか。だいたいうまくいった。

よき輪がまわりだしますように。

TORABARA うづき10日

雨が降り出して、雨足が音が強くなってきたため、ヨガへは、またこんど出かけよう。今日は赤ワイン。

と決めて、やっぱり行きたかったようなかんじ。雨が上がったりしてたし。

昼、銀行へ行って、そののちネット銀行の取引をした。お金、それはエネルギー。身の丈に合った活かしかたをすると、わたしがエネルギーで満ちる。お金も、喜ぶ。

先ごろ、新月だったとかそういう月の、新たな局面が始まったかんじ。それで、そわそわとしている。知り合いの活躍を知ったのもきっかけになり、人の本質とはなんぞや、に引っぱられている。手作りマーケットへ出かけたことはかつてもあったけれど、そこに別な地平が見えてきて、顕在化した意識ではなくて、わたしの潜在した知、が震えている体験だった。

今日は、雑誌見て、すこし研究しながら見た。