TORABARA しわす6日

左脳か右脳。左脳を駆使することが求められている学校で、左脳に偏って、問題解決をしました。というひとの、右脳のガラン洞なかんじ。物足りなさを本人も自覚しているのだが、結局、数値化する能しかなく、空疎さによる、不完全な心理状態がつづく、症例。

左脳が発達したならではの発展が、世の中にあるけれども、その不自然さがもたらした問題も大きくなっている。

わたしは、元々、左脳の使い方がよくわかっていなかった。多分。小学6年の、国語の授業で、起承転結。について学ぶ というのがあった時、まさしく真っ白に、わからない。という状態だった。そういえば子供の頃に見たアニメも、なにしろストーリーを掴みながら見ていたわけではないので、印象しかおぼえていない。

これを誇らしくおもう。外付けの教育がもしも無かった場合の、わたしの野生を、覚えておきたい。むしろ、戻りたい。

芸術の領分に触れていることを養分のように欲することとか、メンタルがどーのこーの、という本をやたら読むことだとかは、自分自身の野生を思い出しそうになる ことに通じているのだったりして。

超高学歴な夫妻が、旦那さんの大病をきっかけに、メンタル世界へ没入されて、メンタルの本翻訳が始まりになり、世に名前を馳せてもいて、夫妻での著書もあるとのことで一読いたしました。

「神さまに愛される最高の生き方!」

その奥さまの一言が、長けているというか。わたしへの波紋になっている。あ、そっか。右脳だよな鍵は。というのを教えていただいた。

TORABARA しわす5日

ピンク色の毛糸でチョッキを編んでたのが編み上がった。

虹ができていて、なにげなく撮した。チューリップの球根はナナメになりながら育っています。

足のカカトがひび割れたので薬を探しに薬局へ行き、セメダインみたいにくっつける薬。が、どうしても買えなかった。ご婦人の御御足に、セメダインを流し込むですって?それで大きなテープを貼って、それとクリームをよく塗って、マッサージしてたところ、ひび割れが治りました。

進んでいる道が貴方らしくないとき、その道が茨になる話。人は成長してゆく。成長に必要なことが起こる。茨は合図です、もうそこを離れなさい。

たしかに蜜月はあったのであり、執着が生まれていたのであっても、あ、もうここは違うか。というグラデーションが濃くなっていって、そのコミューンを巣立つ。

タイミングが、合いすぎる。という時間の流れは、実に、わたしが世界のまんなかにいる。という体験である。わたしが片隅なお役割で、そこへ通っているときに、ここにいるべきなあなた。それはわたし。という出来事が、ひんぱんに起こる。これも合図で、まだここに居てね。

かもね。

TORABARA しわす4日

ラジオの放送の、過去分を、けっこう聴いた日。もしも家での作業が増えたら、延々とラジオきけてシアワセ。とおもう。

磯一明という人の書いた本、と今の私は目が合って、とても面白く読ませていただいた。ビジネスが成功してなんぼ、の世界に棲んでる人っぽいから、わたしとはズレたかしょもあった。

人は、生き様を示すからこそ意味があると書かれている。わたしは、生き様は、しめさなくていいようなしあわせなじょうたいもある、と思う。しあわせ、じゃない生き心地なまま、というのもある。とおもう。なんていうか、人によって養分の摂り方がまるで違うのだと思っている。

その養分による特長を、人は帯びるのだと考える。ほうれん草が栄養源になるポパイ。外界に対して戦いたいのか、しょうにんをされたいのか、それどころではない暴れた何かと同居するひと。それは人によってちがう。

なにに向かうか、これは、人の勝手というものです。なにも一元的に癒しを説くのはちがう。一元的、という点で。政治的に爛々とする命、悪人の混乱した脳の中。後天的に文化による洗脳は浴びていて、ようするにひとの数だけ、世界は存在する。

わたしは、何をしようとして生まれてきたんだっけ。

本を読み進めている時に、思想がぐいぐい走る、この疾走感が気持ちいい、読後感でした。

「魂の目的を知れば、人生はうまくいく」

TORABARA しわす3日

生クリームをどうしても、使ってしまわなければ。というのをノルマにはしたくない、とはいえ昨日、がタイムリミットだったかもな生クリーム。ビスケットを作った。

これが、やさしくやわらかい、なんてなんて美味しいのか。という仕上がりで、とてもにんまりといたしました。

小麦粉200gに、冷えた小さい四角にカットしたバター70gを、手で擦り合わせながら混ぜる。手の温度で、なじませるのです、さらさらと。ここで魔法になる気がする。加減が、ちょうどよくなる。ふくらし粉大1、お砂糖大3、塩小1/2。生クリームは60cc。ゴムベラでまとめて、6等分してオーブン。190度、20分ののち、ホイルをかけて焦げなくして、160度で30分。

これは、自分の手そのもので捏ねてるから、自分の手の味がしていた。

TORABARA しわす2日

しごとが終わってから、一路、池袋ジュンク堂書店へ行く。本の背表紙を読んで回る儀式みたいな時間だった。瞑想というか。長々と、多岐にわたる分野の、どんな本がどの辺りの棚に並んでいるかを、ただ徘徊している。

自分を、確かめている時間。今。なににどれくらいきょうみがあるっけ。なにをしたいか。どれくらい?

たっぷりとふくよかな気持ちになって帰路につく。閉店15分前まで居た。

ゆうにさんじかんいじょうも居た。

TORABARA しわす1日

結婚式を挙げた神社さんへ行く。

黄金色の銀杏。
阿吽の吽
阿吽の阿

この結婚どうなの。と思った時に来て、みくじを引くわたくし。みくじの答え次第では、どうなるかわからないよっ、前回、2つの道、どっちでもいいよっと出た。別れてしまっていい。という意味に、ぎょっとした。今回は、中吉。

争いは家庭を闇にする。睦まじく。

だそうです、ここは、家に戻って、仲直りをするか。

人は幸せになるために、神様の祝福を受けて此の世に生まれ出でたのです。さあ心豊かに実り多い人生を歩みましょう。

書かれていることを読んで、涙がこぼれた。わたしに言われている。という言葉だった。

ショッピングモールへ。だらだらとお洋服を見て回るって日にした。間近に鏡があって、眼鏡をかけていたのでありありと、わたしはわたしの顔にシミがあるのを見た。このひと、けっこう老けてるっというかんさつ。ゆらぎはかぎりなくやわらかいのであり、やさしくあつかわねばってひとに映る。合わないコトに齷齪している場合ではないことを悟る。

いい物をいっぱい見つけて、お買い物、楽しかった。

TORABARA しもつき30日

近所の老人と、国立博物館へゆく。人でごった返していた。本日は法隆寺のお宝を見ることにする。

こちらは最寄りの公園。

電車に乗って間もなく、お店のお客さんだったひとが乗ってらして、おもいがけず、老人の近況などを話した。この方は、地元の名士、とでもいうか、なみなみならぬ敷地に豪邸をいくつも建てて、そこに各界の、大物が入居しています。ようするに大金持ち。

会話の中で合いの手を入れるみたいに、老人のことを伝えた。すばらしいわたくしの役割。わたしがお店にいたことを知るひとは、ほとんどいない、幻ななかで、おそらくうすうす、わたしも経営側にいたことを、流石、名士はご存じなのだ。

法隆寺の宝物を慈しみ愛でて、浅草へ移動して、お蕎麦と、大関の熱燗よ。そして最寄りに戻ってきたら、またしても元客にばったり会う。なんと、今年二度めの、先生が現れたのだった。不思議。

道中、先生の話題をしていたところだった。老人が先の、美術展覧会をして、先生のことを呼んだのにいらっしゃれなかったって。日本に殿堂入りしたような文学賞がふたつあるうちのひとつを、受賞されたかた。日本中にお名前が轟いたかた。と、ざっくばらんな立ち話をしていて、いやー、行けなかったよっと、まるでここで喋ることになってたみたいな話始め。わたしは、さっと、老人の近況をこの先生のお耳に入れましたとさ。

世界が、回っているのを、ここで手中でたしかめてゆくような、持ってるって日だった。

東京博物館の銀杏。
浅草寺 五重塔と銀杏。

TORABARA しもつき29日

酉の市へ行った。さんのとりがある、年。夜に賑わう、大國御霊神社さんの、境内の気配が、とても好き。

商売繁盛、繁盛繁盛繁盛!!!

人形の半紙、和紙?に名前を書いて、体の悪いところにかざして息を吹きかけて、さらさらと泉の水の流れでながす、人形流しをする。体がとてもすっきりした。

雷鳥ちゃんも連れて行った。

熊手は、一番ささやかなやつにする。商売が繁盛しすぎて次の大きさの熊手にいたしましょうと来年言えますように。