日曜日の朝に、ヨガ教室へ行き、帰宅した。腹ペコになっていて、豚肉を焼いて食べた。
おやつに、餡まんを食べたくなり、図書館をまわりつつ、鹿港さんへ寄る、一巡をする。
家にいた。だいたい、家にいた。夜、ミシンをかけ始めたけど、はかどらなかった。
ヨガをしているせいか、食べ物がとてもおいしくなっている。内臓を鍛えると、消化吸収が良くなるという効用かも。
ずっと、どこかしら追い立てられるってふうで、なにかどこか、別天地へゆける準備をしてるってふうだった。
日曜日の朝に、ヨガ教室へ行き、帰宅した。腹ペコになっていて、豚肉を焼いて食べた。
おやつに、餡まんを食べたくなり、図書館をまわりつつ、鹿港さんへ寄る、一巡をする。
家にいた。だいたい、家にいた。夜、ミシンをかけ始めたけど、はかどらなかった。
ヨガをしているせいか、食べ物がとてもおいしくなっている。内臓を鍛えると、消化吸収が良くなるという効用かも。
ずっと、どこかしら追い立てられるってふうで、なにかどこか、別天地へゆける準備をしてるってふうだった。
寒い日。雪になりそう。
昼すぎて、ちょっと遠いバス停から、学芸大学へ行く。お菓子屋さんの、カフェコーナーでは、バナナの入った生クリームケーキをいただく。アメリカンコーヒも。天気が悪い日のほうが、ケーキやさんに入っているぬくぬくとした感じが強まる。
近所の老人と、いっしょだった。道中、飛鳥藤原の話をしていた。なぜ前方後円墳を壊して、城を作ったか。土地の磁場がよい、パワーがある土地だったとか、占いによって、指定をされたとか、平地がそんなに多くないから、前の建造物なり墓なりも、壊しながら再生させていたとか、むしろわざと、勢力者の交代があり、征服する意味も込めていたのかも。
老人へ、お金をケイタイに入れて、ペイする操作を繰り返し、コンビニで訓練した。それと証明写真のマシンを、使い方を説明しながら撮るのを手伝った。
朝はっとしたこと。派手な花を花瓶に生けていて、そのうしろに置いていたために気がつかなかった、ヒヤシンスが、ここ一週間でお花を付けているではないか。
紫色の花。咲いた、咲いた。大きく咲いている。なんてうれしい。励みになる気持ち。花のすぐそばに鼻を寄せて香りを何度もたしかめている。

冒険のひとの、トークショーへ行った。10年前くらいから、何度も行っているけれど、サイン会のじかんに、全く、わたしの顔を覚えているわけではなかった。わたしの前の人に、よく来てくれるね、とかと声をかけてるのが聞こえた。
わたしは、としをとったかお。になってることを、自覚するというか、のこのこ、出かけてもあまり歓迎されていない体感だった。数えると、いろいろなイベントへ行っていて、この間に知り合いにもなっていないことが、人魚姫
人魚姫は、海から王子さまを見る。声が出なくてしゃべれない、王子さまに気づいてもらえない、王子さまをナイフで刺せない。そして泡になりましたとさ。
みたいな童話みたいな、時間だった。

めちゃくちゃに、わたくしの焼いたケーキが旨い。庭に成っている柚子の実をもいで、絞って、粉砂糖と混ぜた。少ーし、お酢も入れた。
仕事先の、妊婦が今日までで退職した。そのひとって、さぼってることが多く、そこに罪悪感もなさそうだった。化粧して、特にマスカラに力を入れてるひと。仕事に、労力を注いでいつのまにか、しかめ面になり、くたびれた風貌になることの方が、悪なのかも。凝り固まったり、仕事先のやわなコを批判的にながめたりすることも、からだに悪そう。
仕事ってことへの関心をうすめて、わたしは綺麗。おとこはわたしにちゅうもくするわ。みたいなことを普段、ふまえていそうな妊婦だった。どのように成り立つのだろう、タメ口だとか周囲のひとたちとの会話。こういうひとを観察した末に、
どうやら世渡りがわたしは、すごく下手だ。ということがうきぼりになるかんじ。こんなにふざけてひとりよがりな娘が、案外、安全な言葉をかけてもらってショクバを退くことも含めて、反発したい気持ち。
十牛図、という禅の図について。自分の牛を、探し始めてもいないままなひともいて、わたしは、牛についてピンときているか。今、どれくらい進んでいるか。牛がいる、足跡がある、尻尾が見えた。捕まえたら暴れた。てなづけて、連れ帰る。
こちらに害をおよぼす存在にもなりえてるかもしれない、しごと先の人の性質。心根が威張っているタイプとか。社会に出てからの経験の浅いアホは、口のキキカタヲシラナイ。ここを、わたしが去りたいきもちがあって、去るときの、ひとびとの応酬を、なにも受け取らないで去りたい。だれがどんな反応をするか、それをカタログみたいに見てた日。
なるべく何もしない日、になった。
外へ出かけなかった。
夜、ケーキを焼いたやつの、つづきは明日ね。
朝は、あわただしく、仕事はじめて、もうとにかく、夜になり、
実家に電話した。何回も着歴があったので。先々月、いやなかんじでけつれつしたわだい、には一切触れないで、楽しくおしゃべりした。
わたしの先日の旅について、しばらく語った。船の中での話とかをした。
出社の日。へしゃげた声を出すおばはんと、一緒の日。このおばはんは、出社の曜日を変えてるけど、こそこそ、じりじりと、アノヒトトオナジヨウビハイヤ、とか申告してたりして。女しかいないチームの、なにこそ言い出すか知れたものではない。対応が、あけすけにざつじゃね?
などと観察した。しごとが終わってばんざい。さてと。なにか美味しそうなのを買い出しして帰ろう。チーズとかサンドイッチとか、
帰宅して。ゆっくりお食事を嗜んで、寝た。
朝、梅祭りにて、ヨーグルトと、ピンクの花を買う。家に戻り、ただ家の中に居た日。
家のひとは、びょうき。ノイローゼか、うつ。そのえいきょうがわたしに、及んでいるといえばいえる。家に居て、掃除機をかけたり、換気扇をキレイにしたりもした。
ニュースに、首を突っ込んで、なにをしている時も、ニュースの音声を真横で掻き鳴らしたまま、な、家の人。不穏でありながら、わたしはわたしの真空状態に入るとかして、撥ね避けてゆかねば、というサバイバルが、ここで繰り広がっている。
人生が、成功していると言われているひとの、決まりきった暮らし、物の考え方、朝食に摂取する、テッパンな栄養素、を知っている。おおよそのじけんとむえん。である事を知っている。それでいて、それって硬直じゃね?と冷ややかに判じていた。おもしろくはない。只の平凡を、わたしは愛することは、ついに、無かった。
わたくしの、日進月歩。と、平凡さは、足並みがそろわないってこと。