TORABARA みなづき16日

出社の日。お昼ごはんに、鮮度抜群なお食事した。

ぶりしらす丼

うまいー。

帰り道、ショッピングモールへ寄り、ショッピングチケットを使う。わたしは近隣のショクバで仕事しているので、パートナーという特典が使える。あ、パートナーカードのほうは使うのを忘れた。なんてこった。10%引きになるんだっけ。

もう一ヶ所寄り道。美味しそうなパン詰め合わせと、チーズを購入。

渋谷を経由して帰宅。夜ごはんで、チーズの小さい透明パックのまま食卓へ運ぶ。たおすなよ、と用心しながら。そして卓上にいた、ぬいぐるみ君の向きを変えた拍子に、チーズ、容器ごと床にぶちまけてしまった。なんてこった。散らかったのを即、ごみ箱へ。

日本酒に氷、入れて、晩酌ふうな夕ご飯。全体的な照明を消す。手元の、高級ガラスのランプだけを灯す。いい雰囲気の夜だった。

TORABARA みなづき15日

たっぷりと眠り、家の掃除して、午後2時を過ぎた。毎週ルーティンでしていることを、わざわざここに書いた、ことが、えいきょうしたとおもったけど、言っただけでやった気になる。これじゃあ、口先だけなひとだろ、ここに書くことは慎重に。

お洋服買って、温泉にも入ろっと。

お洋服は、よりどりみどり。レモン色とかシャーベットになりそうな淡い色ばかり、試着してゆく。似合う服を手に入れる。

わたしはいま、まずいくらい、まいっているのだ。それを聞けるひとが、そばにいるか。だんながたよりなくて、わたしは独りで、このトンネルを抜けるしかない。

ここに、とんでもない内容の本が届くことを、わたしを囲む森羅万象で、なんとなくわたしは知っていたとおもう。先ず、なにがなんでも写経に行きたくなっていた。事前に祓えるものは祓った。次に、花盛りだったバラの鉢が不自然に突如枯れた。これこそ、わたしにふりかかる厄の身代わりになってくれたとしか考えられない。前日まで7輪も花を咲かせていたよね、それがカラカラになっている。

父と衝突する時にかんじるのは、お互いの生命力の、栄養の根源が異なる。ということ。何が栄養になるか。は、生まれた年代とか負っている(とおもわされている)役割でちがってくるとおもう。これは、ポパイの栄養源がほうれん草、みたいな話をしている。

わたしはかつて、昭和10年代に長男として生まれた大家と、裁判で争った。この争い相手のおやじと、自分の父とで、瓜二つなところを見てとった。強情、男性が尊いとふんぞり返っている。世間知らず。そんなことがまかり通るわけないだろ、結果、大家は負けた。まかり通るわけないことはまかり通らなかったのです。

ところで、今日わたしは、ふんだんにしゅくふくを受け取った。お洋服は、天から羽衣が舞ってきたみたいな綺麗なやつ、素敵なやつ。と出会えた。

温泉は、青い空が青いままトーンが深くなるところを体感した。空いていた。こんなに気持ちがいい湯があるのだね、湯河原の湯。ミストサウナでととのってから、水風呂で、透明な息になるまで呼吸した。

呪詛のような父が書いた本、を除けばなにもかも、問題ない。本について、如何に戦うかを、試されているのかも。歪みに太刀打ちするのだ。とはいえ、急に書かれていたことがフラッシュバックするなど。何層にもなった位相でまいっているか。無理しないように。

TORABARA みなづき14日

ひきつったまま、朝ヨガへ行き、ヨガ時間中も、雑念、もとい単念ですね、一点の囚われた念で、頭がいっぱいになっていた。

近所老人と会う。このときもさぞかし顔面が引っぱったみたいに、こわばってたとおもう。バスに乗り、自分をほどく薬をさがすみたいに、言語を取り出して重ねる。吐き出す。近所老人にとっては他人の話など話半分で、まあ、高齢なんだから、生きている丈で有難いって思うといい。からの、あまりにしぶとく、父の人としての非礼を訴えているのを見て、やるだけやり返したらいい、徹底的に。へ変換した。

高齢者の心臓に悪い、ではなく似たもの親子で、何クソ、仕返ししてやると蘇って、父は、また一冊本出したりして。などと話した。

頭が囚われた状態で、体験が半分になってたとおもう。ハンブンココニアラズ。こんなときは、じっくり、ひとつをみることで鎮まる。国立博物館にて、蝶々の展示コーナーが沁みる。蝶々がデザインに取り入れられた、磬(ケイ)が、特に好きだった。

浅草で蕎麦。大関の冷酒。蕎麦味噌もいただく。

朝のヨガの帰り道で花屋に寄って、淡い色のむらさきの花束、見ただけでなみだがでそう。心がどうかしている。まずいくらいに。

TORABARA みなづき13日

神経が弱っている時期のわたしの描写を、わざわざ活字にされたことに、神経がたかぶって、参ってしまっている。

家の内にある恥部を、外に晒してしまわないように護る、ではなく反対に、聞いてもいないのに、さらしものにする神経って何なんだろう。

親がこのザマなら絶対に子供など欲しくならない、は飛躍だろうか?親の体内を、どんな悪魔が駆け回っているやら、父も、母も。そもそもの、生きる原動力が、得体の知れないところにある。健やかですね、を、鼻でせせら笑う、みたいなメンタル。(長年の観察による。)かれらの思考回路の、バイアス具合は、紐解けない。ただただ衝突するのみ。

人としての未熟さが残ったまま、親になってしまい、不満のはけ口を、弱者によせてゆく、というかんじか。ちがうな、父の場合は生まれつきの心根のひん曲がり、という気がする。

ひん曲がった犬の背骨の死体の骨もひん曲がり

家の内側の病理に、風穴つくってゆくことは昨今やっと叫ばれるようになってる。昭和と令和で、様変わりしたはずの、この部分が、明らかに父、化石だ。

短歌に書かれていたことは、いちいち腹立だしい。

わたしは、電話口で、自分の体験した旅の話や、清々しい朝の出かけ先の話をしてきた。これら、父という受け皿、というよりも、目が無い虫の群れが右往左往する、その群れに虚しく声を投げかけていたようなもの。個人、ではない、田舎という観念。が正体なのかも。なんだっけな、これ、本で読んだやつだ。

ところで今日は、美容院へ行く。直前に指名予約してしまったせいか、彼の労働の時間を増やしてしまってたのか、と中でねむくてしょうがなくなってたみたい。立ったままフラついてたので思わず、大丈夫?って聞いた。

わたしの希望する髪型は、男のコっぽいので、美容師君と、似せてくれた。襟足の見えないところに刈り上げを入れておく、こんなふうに。と自分の髪で説明してくれてる。なんか、二人で同じばしょに入れ墨いれたみたいな楽しさだった。すっかりゴキゲンになるわたくし。いつもより、随分と時間がかかって、閉店前に、客が誰もいなくなり二人きり。ふとしたしぐさでドキっとなりそうなひと。のんびりすぎるペースが、とてもわたしを癒した。

神経による、悪い影響ありだ、美容院の大きな鏡に、顔面が、泣いてるみたいに垂れ下がってるひとが映ってる。ここのところの、心労は、こんなにあったのか、愕然となるよ。

TORABARA みなづき12日

父の出してしまった本について、わたしの精神病、精神病?神経が弱って床に臥した時期のこと。を扱ったことの応報として、黙っているわけにはいかない。その、執筆活動を、している。

二本立てにして、寺にまつわる見解の是正を促すこと。そして昨日の日記をそのまま送ろう。

気持ちがおさまらなくて、脳が狭まるようなストレスカンカクがあった。コノヤロウ。常軌を逸した、本の、過激度合。ガイガーカウンターでもって、危険度を察知するくらいな非常事態。有害な状況。看過は無しだ。

父は、変態なのかも。昨日の日記を読ませたら逆に喜んだりして。氷の塊にして投げるって描写は、さすがに本人に見せるのは刺激が強すぎるか。ペンは剣。その恐さを、鏡にして突きつけることになる。

父が、わたしの神経が弱った状態をみて、虚ろ、という表記をわざわざ文字に刻んで本に残した。子に非ず。という言葉もあった。主語が、僕。このぼくちゃんが感じた。それを指して、呪いか?と問うわたしの、冴え。特級なセンスの持ち主の、軍配は、わたし。とおもった。二本立ての一本めを下記に転記しておく。また、固有名は伏せました。

父へ

年初の、寺の話は、どうなりましたか?顔を知らない、寺の次期住職だとかいう子へ、○君(ダンナ)と私が、何故に集金をされなければいけなかったか、母は、私達への説明を怠っていますね

母、にまつわる親戚である以上、母がご挨拶の橋渡しをするべきところ、母のどすのきいたいやらしさで、私のことを何十年に渡って、⚫️寺と遮断しましたね。ははん、ここにも隠語のように精神病にかかったようなコをかくしておかなければ。という要素があったのかもしれません。詩歌にされたのを目の当たりにしました。

トラ(自分の名前、カタカナ表記)は⚫️寺からのウケが悪いし、寺に連れて行くのを塞ぐ。という母の意図がひたひたと伝わっていました。母には依らず、かもしれません。少なくとも、寺からかわいがられた覚えがトラ(自分の名前カタカナ)には無く、「かわいがられたことがないような」という点で寺と接触を持つことに○君(ダンナ)は反対です。

わたしにとって、祖父がねむる⚫️寺に、墓守だか住職だかの好みで来い来るなを振り分ける。ここは妄想だったとしても、気易さは無し。⚫️寺に行けていません。結婚時期がたまたま重なって、⚫️寺のお子さんへ結婚祝いをおくるやり取りに巻き込まれるかたちで、祝ってもいないような茶番なお付き合いをせざるおえなかったことは、負担でした。

また、○君(ダンナ)は、父の書いた本について、気持ち良く読めない。二度と読みたくない。という感想でした。作品、という体裁をとっていることを隠れ蓑に、なんでも言っていいのか、気が狂れている。それと、唱えたところで、美しくもない音だとおもいました。立ててある項目がすでに意味を成していて、おそらく対象が具体的である、人、についての下世話な噂の種に溢れていました。

本が届いた日に記した日記を、同封します。言葉を失います。或いは、言葉を失ったほうがまし。これも、感想です。

拙文 失礼いたします。

薔薇(漢字表記でわたしの実名)より

TORABARA みなづき11日

父が自費出版をして、本日、届いた。あとがき、から読む。彫刻家、立体で三次元を扱う作家さんの、絵画、二次元作品、のような、二次元は完全に見えているから三次元の作品に取り組む、みたいな出来映えの散文だと思った。何故、本を出版したかったか。不器用でぶざまだといういきざまを、そのままガツンと書いてある文章に面喰らう。

ここまではよかったのだが

いざ短歌は、どうなのか、助詞がどうの、の前に意味が釈然としないまま、薄らぼやけたまま、どうやら、こちらがいい気分になることが書かれていない。目次項目で、わたしは次女、という対象の、本人である筈なのだが、わたくしとなにをきょうゆうしたくてかかれているか、呪いか。一方的に、公に晒し辱しめを与えるような、発表がしてあった。精神を病む、過去の私。を切り取り、彼のレッテルに貶められていた。特に酷い三首。ぜんぶで七首。

わたしは、その二ページ、一枚、をいきなり本から破いた。なにがしたいんだろう、彼、父は。

わたしは、表紙絵を担当した。絵が表現なので説明文は不要だと考えるわたしに、何度も不愉快極まる内容のプロフィール文章を付けようとしていて、それはかろうじて阻止できた。それにしても、安価で便利屋の仕事をヘコヘコやってよろこんでる像、をわたしにぶつけてきていたけれど、底辺の身分。おまえなんて。という、こちらを所有物だと傲ったうえさらに、下衆な扱い。をなにゆえに書こうとするやら、誰か、これを読んで、益になるのか。

精神を病んでるすがた。裁判沙汰になって争ってるすがた。失業している時期がくり返しあった。親から見えるわたし像は、だいたい、このあたりに焦点があるだろう予想は、当たっている。いつまでも、ここに留まり、この事物をなぞり続けるらしい。闇くて、三面記事にコーフンする、田舎のアマチュアの、自称歌人。の手に負えなさ。思想の癖を垂れ流す丈、やりっぱなし、こちらを傷つけることに無頓着、ときている。

こやつになぞらせるのを止めさせろ。わたしの夢に出てきたとき、わたしは冷凍になった物体としての父を横たえて、寮の両脇にベッドがある、真ん中の通路を、軽々と運んで、ベランダから外に棄てた。軽かった。

こんな埃まみれの寮にぶち込みやがって。わたしをネタにして、さげすむような文章を次々と書きやがる。夢上等。ゆめとつりあうくらいの、ありえない短歌、よまれるとはおもわなかった。

TORABARA みなづき10日

しごと終わって、ドラマを延々と見た。ケイヤクしているネット配信を、ほぼ見ないの勿体ないって発端で探した、日本のTVでやっていたやつ。TVに限らず、邦画にありがちなわざとらしい演技の全てを、受け付けなかったのに、ずるずる見て、深夜になってた。

今まで、邦画の、なにが不味かったのか、なぜ今、不味くないのか。わたし、俗に染まったのか、そしてそれは、家のひとのせい。家のひとは俗の極み、な感性をしている。言い換えるけど、大量に消費されるもの、と同調できる。

なにか、失ってしまっているここち。

TORABARA みなづき9日

出社したけど、朝、地下鉄駅改札出たら、課長さんらしきひとが前を歩いていらして、昼休憩の時、コンビニにまたしても課長さんらしきひとがおやつを選んでらした。よく会うねぇ。

お昼は、カウンターでピザをいただく。横の二人組でおしゃべりしている女性で、真横のひとの身振りが大きすぎるのと、ひっきりなしで、水を掻くような仕草、弧を何度も描いてたり、その手が、わたしの右の肩に当たりそうで、結果あたらなかったけど、あたりそうだたったばしょがいつまでもむずむずするかんじ。無作法じゃね?食事してるんで、ピザをさ、いただいてるんですけど。

昨日考えてたことを少し。失敗を数えてしまって、なかなか始めようとしない。失敗するのはいいけど、何度も、うまくいくまでくり返し、浚わなくてはいけない。それなのに次々と、やりっ放しにしている。なんどでも壊して、よりよい作品を生み出すようにしよう。

それと、この日記で言葉にすることで、ダメにしてしまう、言葉の強さがダメなときがある。活字としての文章ではなくて、ノートに、落書きしてゆく記録のほうが、わたしをととのえるのかもしれない。どうする?日記つづける?

綺麗なひと、と言われて、高級な食事に連れ回されていた。だから、どうした。わたしが欲しいのは、そういうことじゃない。この時間があったことが、なんにもならない。綺麗だなんて、わたしに対して言うひとがいたか。的外れな形容詞でしかない。まったく上辺をツルツル滑る、釣りの言葉。