旅の余韻。を、家族のひとに話せないまま、ふて寝するモードは、退屈な気持ちから導引されるとおもう。
日常がノイズにまみれている。
朝、帰宅して、朝食後は公園へ行く。しごとは長引いた。いい旅だったから、わたしのむねがいっぱい。外の雑音にかきけされないような保存をしたい。午後、ふたつ宅急便が届く。箱、開けないまま、あしたあした、全部明日ね、
泥になってねむる。
旅の余韻。を、家族のひとに話せないまま、ふて寝するモードは、退屈な気持ちから導引されるとおもう。
日常がノイズにまみれている。
朝、帰宅して、朝食後は公園へ行く。しごとは長引いた。いい旅だったから、わたしのむねがいっぱい。外の雑音にかきけされないような保存をしたい。午後、ふたつ宅急便が届く。箱、開けないまま、あしたあした、全部明日ね、
泥になってねむる。
旅の、最終日。昨日は、お宿で急な寝落ちをして、夜中3時に、温泉に入った。出口の廊下で、まさかこんな時間に、人とすれ違う。お互いにギョッとしてた。
今朝は、というか。呉も東舞鶴も、軍の施設のある町で、男の格好いいひとが、いっぱいいらっしゃる観察。体を鍛えていて、お尻が小さくて、精神が引き締まったかんじの、メンズ。エスコートを、咄嗟にくださる。ここで育ったら男性観、変わったとおもう。偶然に、薬局で複数名の紺色セーラーマンを見かけた時、息をのむほど、まとってる空気の凛々しさがあった。いままで知らなかった。
曇り。近辺なにもなさそう。と朝、散歩してみて、海が、その水面が近すぎて、迫力がある。自分の身を自分で守る。町が過保護ではない印象。
丹後の方へ行く。天橋立。へ行く。電車が、レトロなのが好き。
天橋立へ初めて行った。とっぷりとはまる。離れがたくおもえて、もっとここに居たい引力。寺も神社も、古くからの威力がここに有る。
駅前で焼き鯖寿司が半額になるお時間だったみたい。舌鼓を打つ。特急の中で独り晩餐よ、京都へ。
2時間だけ京都ですごす、夜景のおすすめは、三条大橋かしら、高瀬川の風情がよくて、四条まで歩く。駅に戻って、高い高いビルのエスカレーターを昇る。
西条の町の、最高峰な寛ぎがあるホテルを発見したわ、次回も、ここに泊まりたい。ここに泊まるためにここに来てもいいね。
カキフライの夜ごはんが美味しかった。レモンサワーが、保冷の特大のステンレスカップで、提供されました。
1ブロックくらい歩いた所に、美術館があって、レンブラント ファン レイン の作品が来日してるなんて、驚く。見るしかないよ、
そして、酒蔵巡り。七軒も、蔵元が集まってるって。そのうちの4軒、まわったわ。お酒もまわった。
そして、東広島へ、バスで行く。
京都。2時間だけあるから、錦市場へ行く。鰻のお弁当を入手よ、老舗、「のと与」さん。奮発して、三枚入ってるのを頼みました。市場は、外国の旅行者だらけで賑やかです。
特急に乗って、東舞鶴へ。
ぼんやりしてガランとして屋根の高いアーケードを通ったけど、夜のラジオをスピーカーで流していて、DJがリスナーの人生の節目についてのメールをちょうど読んでた。この人生が幻影になってどこか遠くへつながってゆくような、ロマンチックな夜道。
フリードリンクの時間を過ぎてて、カシスなんか飲みたかったわ、それでは一杯だけ、カシスカシス、と言いながら杏露酒を注ぐ、ホテルの人。レコメンドなものをようしゃなく、ビンを、ずずずっと前に出すかんじ。こっちもつべこべいわないで、うけとるかんじ。旅人という、詩人を よくわかってらっしゃる。
きょうが雨って知ってる。すこし曇って、お日さまのシルエットが見えたりした。
昨日の、歩き過ぎたのがひびいている。膝を庇うようにゆっくり歩くしかない。そうだ、液体の湿布薬を塗ってみよう、アンメルツヨコヨコ。
泊まった宿に江田島の地図があったので行くことにする。呉の港からフェリーですって、小用港へ。なんか、公共交通機関だけを使ってまわる場合は、「来てるバスには乗れ」というほうそくな気がする。1分以内にのりつぐあわただしさで、塩の温泉ね、これ乗って!みたいなことばを観光案内のひとに投げられて、とにかくバスに乗った。
バスの乗り換え地点に、島唯一の魚介類定食屋さんがあるらしく、店の写真の看板が立っていたけど、店は、先月末に閉店したって。
地元の大型スーパーをさんぽ。そして塩の温泉へ。気持ちのいいお湯ですな、と入って、出て、最寄りに見えてる中町港からの次のフェリー。が16分後に出発する、乗るか。港までは歩いて15分、つまりそっこく着替えて走れ!!
温泉入ったのに、汗だくで大荷物かついで、海沿いの道を走った走った。そして船に間に合った。
湾に沿って走ってるとき、高校生くらいのカップルを追い越したけど、運動会の時に流れるマーチみたいな曲を、すかさず大声で歌う、男子。みっともなく走るわたしにからんできてからかうかんじが、人が、面白いよ、いやいや、いそいでっから。わたくし。
宇品港までの、島々の景色が素敵だった。
下船して、路面電車というものに乗って、停車駅をいっこいっこ瞠る。乗り換えもして、白鳥線の、県立美術館へ到着よ、ブルターニュの絵画鑑賞をたのしみにしていた。
かなり立派な美術館でございました、となりの縮景園へも行く。
昭和20年に、どうだったか。にふれることになる。この橋は、びくともしなかった。石の太鼓橋は、原爆の爆風でびくともしなかったって。技術たるや。日本人すごいよ、なみだがこみあげてくるよ、
この土地に、紙で合羽を作れるほどに、文化は進んでいたが、それは消失した。住所に、紙、の名がある辺りの文化なのかな。祭り船の甲板を飾る紙の細工は、爆風から遠くに保管されていた模型だけが助かったって。
快晴。早朝に岩国に到着。錦鉄道に乗りかけたら目の前であと10メートルで乗れそうなときに発車して行った!あーれー。
それで一気に、宮島へ向かった。正解だったわ、早朝すぎて、観光客のほぼいない、島のカオを見れた。船で渡るとき海がキラキラしていた。
厳島神社さんの鳥居をながめながら朝食。
そして弥山に登山よ、幼稚園の頃に一度登ったらしい。山が、久しぶり、よく来たね、大きくなったね、と言っていたか。
下山してゆくとき、外人観光客が崖っぷちになってる道の端で涅槃のポーズで寝そべり、対面のベンチでカメラを向けてるご婦人。ふざけてて危ないから足早に駆け抜けようと、通り過ぎるハズが、わたしは見事なまでにすってんころりんと滑り、尻もちをつく。リュックの脇に入れていたエビアン。ペットボトルが、コロコロ坂を転がってゆくのが見えた。
すかさず、背後からヨーロッパ人の男のコが駆けて行ってエビアンをキャッチ。振り向いて、わたしの前で膝ま付き、両手でエビアンを渡してくれた。まるで王子様が姫に指輪をわたすみたいなポーズだった。
ありがとう。むしろ転んでよかった。咄嗟に上手に、地面に手をついたので、衣服や足を守った。わたしが転んだことで、ふざけて写真とりかけてた人たちはイソイソ退散してた。
厳島神社の満潮、7時40ころ、干潮、14時前ころ。干潮のときは、鳥居のそばまで歩いて行けた。
大願寺さんでおみくじをひいたら「一番」!歓迎のしるしと受け止めた。宝物殿にて平清盛さんの直筆の書が拝見できます。厳島神社は、二千もの刀が奉納されてきた。力をもっている、神代のよろこびがある、島を訪ねることができたことに、感謝。
今日の夕刻から、旅。
昼間は、旅の準備の仕上げをしていた。色えんぴつ持って行くか。それと、手縫いのスカートを作ってみよう、旅先のお宿の夜時間は、ふだん見ないTV、というか私の家にTVは無い。BSがあるといいな、見ながら、手芸をしましょう。
雨も降るみたい。東京駅のバスに乗り込むとき、ちょっと傘をさした。
バス。真っ暗な中でSAに停まってるときに、大きなおみかんさんおやつで食べましょ、とカバンから取り出した瞬間、手から転がってしまう。仕切りのカーテンを開けて、すみません、みかんが床に転がったわ、と隣の席の人に言って、みかんがないない、バスの車掌さんつかまえて、みかん。ころがったやつ、床に潜るみたいに探していただき、黄色くて大きな丸いの、わたくしの手元に戻りましたとさ。
つつじよ、咲け。
しっくりくる。というじょうたいを、自分でていねいに作る。旅をすることがきっかけになる。何故、旅をするのか。旅をしている時間は、しとしとと、十全なわたしの役割を落としてゆく。
ノルマ。が浮かぶ話。おもいうかぶ、というのはカンなのだ、だいろっかん、くらいの。
ブルーベリーを使ったマフィン。何年か前のGWに焼いて、移動中に食べた思い出。を再現いたしましょう。
なにかを判断するときの基準は、自分の自由度が高まるか。を問うといいらしい。主体的に生きる。ことを、今ここで実現する。主体とは魂が欲する行動なのであり、そこから逸れているかどおかをわたしは察知するからすごい。前職をとおして、主体、という自身の舵取りが叶わない、知の器が欠如しているザマをカクニンしたため、離れた。
「我」とはゴミの声。この声に振り回されている輩、が主にでもなったつもりでこちらを封建制度の内に閉じ込める、あのかんきょうはなんだったんだろう、
その職に従事しているひとの、素手でお金をいじくりまわすかんじはなんだったんだろう、仕事を、した後出しジャンケンで、お金ではなく物納を言い出したひと。ハニワみたいな顔の男はなんだったんだろう。
今朝は、公園へ行き、さわやかな風が吹き、ピンク色をしたまんまるな花びらがふわりふわりと舞うようすなどを見た。
夕暮れ時に掃除をして、靴磨きもした。どのように道を拓くか。あるいは、ここにある道へどのように自身を横たえるか。