暮らしを、ゆさぶるようなしゅんじゅんが、たびたびある。どうなの。どういうふうがいいの、と。とりあえず、もののせいりせいとんをはじめる。もっていてもしょうもないモノが、やっと捨てられる。
このひのわたしに、つまみあげられたモノは、オシャカニナルサダメ。
暮らしを、ゆさぶるようなしゅんじゅんが、たびたびある。どうなの。どういうふうがいいの、と。とりあえず、もののせいりせいとんをはじめる。もっていてもしょうもないモノが、やっと捨てられる。
このひのわたしに、つまみあげられたモノは、オシャカニナルサダメ。
山に行ったことで、掃き清まる。一新した。
シゴトする机の場所を変えた。山の中で駆け巡る空想がつづいてるような日。シゴトの中に、様々な視点を入れることは自在なことだった。わたしは、どこに心を置いているか。昨日から、ガラリと、なにかがちがう。山は、近づきにくいながら、入れば、居心地がものすごくよかった。
旅のとき、人々と交わす言葉がポエムのようだった。
夜、りんごパウンドケーキを焼いて、ミシンでマティスモチーフの海の形を縫う。なにかやりたい、今日の一歩。
この日、晴れるかどおかを、花占いみたいに、晴れる。晴れない。晴れるか。晴れて。インターネットの天気予報を、いちにちになんかいもみてた。
晴れたーー!!!
朝の空が、喜びだった。青よ!もぐら駅へ行って、車道だよねという道路をつたって、ロープウェーに到着。リフトにも乗る。
熊が、出没するか、怖くて、山道は、雨の音で熊も私もお互いの足音が聞こえないと、避けようが無いから晴れてくれたから歩けるけど、お願い、出てくるのなしね。ここって木擦れの風の音が、大きい。山に、本当に入るか、ちゅうちょしてお昼になる。峰の頂上は雲で見えない。午後には天気崩れるって。
そして、山に入った。熊除け鈴をリュックに付けてるのが、あまり鳴らないので、リュックを片手に持って振り回してた。鳴らせ、鳴らせ。歩いているひとが他に誰もいない。たまに、向いからすれ違う。これから向かうばか。時間のリミットを2時。に引き返すか、さいしょの小屋に1時こえるならそこで引き返す。というルールにした。
こんな山道こそが、真に求めている道だわ!!という興奮があった。小屋まで、しゅっと40分かからないで到着いたしました。そして視界が開けて、パノラマに山脈が見渡せる、偉大な山肌が間近にある、このような道を生きているうちに歩けることが信じられない。この視界の世界は、この世のものとは思われないくらい、感動的だ。
熊は、もしかしてこのまま出てこないかも。出てきたとして、熊よ、お逃げなさい。と念じてお伝えいたしましょう。熊は、とにかく今日は、大丈夫だった。
山道に、むきだしの岩場が顕われ、鎖とかロープが、垂れていて、いきなり操って、登れた。出来た。よじ登るのは、サルの如く、得意だった。
天狗の留まり場 の手前あたりから、天気が急変した。霧が湿気を含んで雨になったというか、大気が雨そのもので、リュックもジャンパーも雨そのものになってしまう。カッパ出さなくちゃ。すごく達成感があった。荒くれる風や雨も、たいけん出来た。身を低く伏せて、下山開始。もうおまえ帰れ。山の声がしっかり聞こえる。
そして、さっきの急な岩を下るですって、こ、これは、どうやるか。尻もちつくみたいに、お尻を岩に着地させて、両腕に力入れて、足を置く位置を調節する。なんで知ってるんだろ。悪天候で周りに誰もいなくて、おもう存分にぶざまに、安全に、降りました。これがかなり楽しかった。
天気が、雲の流れの速さ、カーっと太陽が出たり、霧になったり。午後1時30分が限界で、もう山はいそがしいのよ。そして、プレゼントをくれた。色が濃いほうは、こんなに濃いのは初めて見た。
今日のことが圧倒的な体験すぎて、山が中心的なことで、一過性の、わたしのシゴトやケッコンなど副次的で、吹けば飛ぶような、そんなことより、山が在る。きっと1000年経っても山は、在る。10000年前から山は在った。在ったっけ?とにかく、山、凄い。
旅に出る朝に、雨。寒いので着込む。出発の時間を遅らせた。昼過ぎとか、お宿へ夕方までに辿りつきましょう。
お宿へ行くバスの出発駅にて、ちょっと足をのばせる場所、諏訪峡へ行く。これ、行けてなかったことが、後で判明する。入口の看板の矢印が逆を向いていた。川側の陸になったところで右、を向いてたけど遊歩道側にクルッと回せば、正しく右。ってことか。水紀行館という建物の外で椎茸売ってるおじさんに、ぜっさんしょくばのグチをしゃべりに来た、建物内のおばさん、この二人に割って入って、場所がどこか聞いたのだけど、雑に、あっちよ、と。行ったことはなさそうだった。
利根川を見て、見ていいのか戸惑うような廃墟、川沿いの道や階段が、お金かけてもらっていないようす。特に階段は、壊れてないか、足元を用心して歩いた。駅前で買った生どら焼きが道のえきで80円安く売ってた。
廃墟跡でイベントが開催されていた。蘇ること?というより、このままを、箱庭をたのしむ、に近いのかな、ここにあれやこれや、見立てをつけてあるのかな。という展示だった。空き地に野良猫か知らないけどトラ縞、寄り目なのがいて、少し離れたところに、小柄なトラ縞がいて、顔見たら寄り目だったので、あ、親子か。と思った。
雨でしっとりしている温泉地は、山の匂いもそのまま漂う、なんとも気持ちのよいお湯でした。やさしいふんいきの質。ゆっくりくつろげたのでよかった。
旅の準備で、銀座へ行った日。お目当てのお店は、知ってるビル、ほとんどちゃんと入ってみたことないビルの5階にあった。こういうみせをりようするきゃくのがらがわるくてしょうひんはさんらんしていた。機能が優れていて、値段が安い。雨を凌ぐらしい服の裏地は、指で千切ったら破れるだろうよ、という柔なつくり。千切らないけど、こころもとなくて、結局買わなかった。
雨用のズボンを買いました。撥水します、湿気を逃します、温かいです。だそうです、雨具でズボンが必要だわとおもって、簡単なビニールでできたやつで間に合わせるつもりが、3倍、いいものを選びましたため、こういうお店でもいいお買い物が出来るということ。スマートだわ。
だらんだらん、間延びをしている。てきぱきと買い回るつもりがお買い物、終了。駅を移動して、美術館で風景画を観ました。筆跡は、油絵の筆とか、鉛筆とかの方が、やはり好きだとおもった。昨日の絵は、iPadのコンピュータの筆、丸っこいペンの跡で、絵は新しいけど、絵に息がかんじられない。という感想。
コーヒーを飲んだ。2回飲めるやつ、はじめアイスにしたら氷だらけで、ほとんど液体が入ってない、騙しだよね、アイスは駄目。ホットは、パインなんとかブレンドって名前。香りがもの凄く良かった。
血行の具合だけど、昼の前後頃、体の活動が活発になるころ、なにかが多くなりすぎる。いきおい、だるくなる。それで無理しないで。と寝てしまえばそれきり、その日を失くしてしまってガッカリの度が大きいから、コツのようなのをつかもうとしている。
コテン。と寝転がるのも、また一興。かもしれない。ふだんのむなしさ、を、しゅうまつでひっくりかえそう。と、やっきになってしまうのかも。つかむべきなのは、ふだん、むなしくなくすこと。
午前は、淡々と、衣替えした。歯医者に歯のそうじしてもらいに行った。
昼をすぎて、美術を観る日。最寄り駅の名前を忘れていて、何故か住所をおぼえていた。菊川じゃない?当たり。
お絵かき。の楽しさが溢れていた。時代が今ここにあることを感じる展覧会だった。
室外機の脚を修理してもらう日。ゆめの中に、職人さんが出てきて、何個も、お部屋という空間を作っていった。戸の裏側に、和紙の手描き模様もあった。とびらは茶室の入り口みたいに、屈まないと入れなかったり、色々、機微のあることを、ひとは、本当は出来るのに。という夢だった。
朝、家にあがってきた職人さんが、姿を変えて、夢と繋がっているのだったりして。室外機の脚は、瞬く間になおりました。
ナイトショウを観に行こうかとおもいながら、お風呂のお湯をためてて、お米を炊き始めてて、ならば家にいましょう。ピアノ弾くか、毛糸編みするか、旅の荷造りもしなくちゃな、秋のはじめのよいよる。
形而以下の話題を延々としゃべり続けるひとは、とても多くいらっしゃるとおもう。ひとの、意識というのは、いったいなんの情報で満杯になっているか。ひとがなにをふだんかんじていて、どんないみをつけていっているか。
ここに、位相というのがあって、あるいは透明か濁ってるか、段階的に、こういうことにこそ、レベル。があると思う。ペンキを混ぜてゆくと、最終的に、なにを混ぜても同じ色になるのだけど、どどめ色といって、茶色のような、鈍そうな色。形而下の話しかない状態って、つまりは「同じ」話しか無い、どどめ色なひとたち。なのだ。
透明群は、じつに万華鏡の如く、いつも新鮮な生が展開してゆくのであり、いっぽうで、どどめ色に陥っているひとたちは、同質な観念に嵌っているだけ。時間がすすむということすら無さそうだ。ただ同類は沢山いて、しゃべり相手には事欠かなそう。
どどめ色のペンキは、棄てるしかなくなるように、はたして、どどめ色に腐ったようなひとの頭の中って、捨ててしまえるといいんでしょうけど、アタマ、膿んだままなのかしら。と、通りすがりに聞こえてくる、くだらない話題をながめる、きょうこのごろです。