TORABARA しわす19日

ワーク、三年ほど前に始まった仕事、細かい数字と指定のある文言。という規定内作業を延々とする。こういう仕事があることが1で、失くなれば0。来年3月で、0になったりして、3年で終わるケイヤクヲシテイル。この仕事がわたしに向くとかはなく、誰かさんと、直ぐにでも、替われる。収入があったことですこし生活が助かった。目のくたびれが少しふえた。ショッピングモールのある町に通えて、すこしたのしかった。すこし。

ライフ、三年ほど前に、結婚生活が始まったから、人ひとりと知り合ってゆく時間になっている。味わったことのないような感情や、珍しい局面が多々あった。こういう時間とか内容がわたしの人生を刻んでいっている。

もしも、ライフの方も、結婚は終了、3年ごとに取り替えを繰り返すとしたら、ものすごい分厚さで人生を体験してゆくことになる。

ライフとワークをあわせてかんがえれば、ワークはうすいくらいでよくないか。と思えてきた。

ワークのお役割が重役だったりするひとはライフがAIに近くなる。予定調和、がからだに染みついてしまうことの涯ては、単調で短絡な頭の回路になったりする。時間。場所。に縛られすぎる。なるほど、ワークが脱げなくなっては、ろくなことがなさそう。

TORABARA しわす18日

昨日の夜から行方不明のひと、

自分だけが大きく映る鏡を、自分で覗きこんでいるひとの、ニンシキの歪みかた。

限界が、あっけなくて、わたしの方には耐性があるため、そのひとのSOSに気が付かなかった。なにがまずかったか、昨日の朝、たのしそうに話をしていた中にも、たまらなくダメなことが潜んで、進行して、夜にバクハツ。あるいは、なにかのシゲキが、出かけた先であったか。

もう何度もこういうの、これさえなければ、お金だって守れるのに。愈愈、もうけっこう。あなたのこと不要。と、LINEするも既読にならない。

生きているのか?すらたしかめられなくて、帰宅したらイビキかいて寝ていました。家中、酒臭い。ふかくにも、なみだがにじむ。かえってきたから、よかった。

TORABARA しわす17日

電車に全く乗らない休日だった。靴のカカトをけずって低くしたら履きやすくなるかも。というのを靴研究所に聞きに行った。靴には型があってバランスを計算されているから、履くならこのまま。という結論だった。

細々した生活雑貨、掃除用の道具などを見つけにスーパーへ行ったら、人でごったがえしていて、何も買わなかった。なにが気に入らないか、こういうところに出かけたことで休日の茶を濁すかんじ。わざわざ親子連れで来るかんじ。部屋着のままで来る。

歴史学者さんの、子供向け人類史の本が、読むのにちょうどよかった。農耕民と採取民の違いがしょうげきてき。安心安全を約束しようとして予期できない事たちに翻弄され、かなしい結末になることと、その瞬間にしかない冒険に生きて、今だけがある、楽しみと喜びに生きて、身体も伸びやかになりました、という対比。残って発見された骸骨が語ること、から教わったほうがいい。

TORABARA しわす16日

ショッピングパークへ行っちゃいましょ。その前に、年末のそうじ。風呂場少々と玄関と庭。お台所、トイレ。それで陽が傾いた頃、出発。

Kかとおもってたわ、Gでした、グランベリー。ここに長時間いることがなかったため、全容を知らない。今日は、何度クルクルするやら、いいものあるかしらあったりして。目星をたてる先が増えた。おしゃれオーラがあるひとがいっぱいだとおもった。お店のひと。スポーティではなくて、アパレルな方向でめずらしくて上等なものを探している。いいものが幾つか選べたからよかったです。

パークに到着したときの空

朝、トークイベントの申し込みで電話かけて、なんと、つながった。5回めくらいに。すいすい前途が拓くわ。

アリストテレスが言うところの余暇3段階。リラクゼーション、レクレーション、セルフリアライゼーション。

だそうです。

TORABARA しわす15日

枯葉。

先週は灯油の買い忘れがあったので、寒くなりませんように。それで金曜までしのげた。バンザイ。明日の灯油配達は申込んである。

スーパー買い出し。近所の肉まん、1コ店前で買い食いする。図書館で予約していた本を受け取る。パラパラ中を見たら好きな感じのご本だわ、にっこりとする。お祭りは今日かららしい、ボロいもの?古いもの?昔行ったことある。ちらっとその昔のことをいうけど、何もかも意に染まないという時期にセンパイ面した女と行ったわ、わたしの意志では何も決めないものとされてる時間、呼吸も浅くすごしたおぼえ。わたしは誰にたいしてもセンパイ面をしない人生になっている。

わたしは姫だから。

ワイン飲んでチーズつまんでいたら家族のひとがすき焼きふうな鍋を仕上げた。とびきり上等な牛肉でまたやろう。

知らない土地の、税金をおさめる、これにお礼をいただくしくみ。喜捨っぽいことって、まわりまわって、わたしが潤うのよ、喜捨がわたし、多い。

TORABARA しわす14日

Martha ARGERICH 演奏、シューマン幻想小曲集作品12 第1曲 「夕べに」

1979年録音、音楽が、必然な演奏。この演奏家にとっての曲としかおもえない。弾こう、としていない。溢れてきて音楽になっていく生きものみたいな音。冒頭から、知っている旋律、正体は、このような曲なのだなと、聴いた。真空世界の渇望が、この次元に顕現している、そういう演奏です。ぜんぶ、いい。CDになって残ってくれて、ありがとう。

お昼、郵便局へ行く。書き損じの年賀を5枚取り替えてもらうことと、星祭り申し込み。吉野の山奥で、大寒から節分まで、星に、毎年の祈りをするのよ、

み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり(古今集)

ろくねんくらいつづけてごがついつかに、通うのもごえんだった。このつづきが星祭り。な気がしている。

夜、次々と、ラジオ放送をradikoで聞いた。落語を躰に入れて発酵していて噺家になっているとおもっている。単独のトークが好き。別の人が一緒で律儀な解説を繰り広げるのは、あんまりよいと思ってなくて、毒を感覚的に吐いたようなのが好き。瞬発で何が飛び出しても安心で同時に面白いとおもう。

TORABARA しわす13日

朝、澄んだ空気だった。

富士山

思惑は、各々の部屋に入っている。その1、田舎。学校時代。ある一定の定型を保ちながら、年に一度、会報が届く。ここにあるヒエラルキーには、とっくにお腹いっぱい。

その2、家族のひとの親。ただ顔を合わせていればいい用事。じっ。とリビングのソファに座る。移動する車の座席。手続きがあるんですって、1日かけるんですって。田舎あるある、只のおてすうおかけしていますじょうたい、ゆうせんじゅんい、一人一人の時間が貴重だという基本がない。このズレを受け入れたまますごす時間。

その3、本の中。極道の世界の親分みたい、この作家の、わたしたちと括る塀の内側で、作家周辺がどんだけ平伏すのやら、作家は、わたしは卑弥呼の生まれ変わり、とまで言い出したんだ、選ばれしわたし。写真が化け物みたい。有名になることがTVから圧をおよぼすことの小説版、意に介さなくてもざっと目を通す会報みたい、これも会報だったのね!定点として、知っておく。

その4、過去の葉書世界。好きなかんじ、好かれたかんじ、が葉書になって残っているけど、蜃気楼なのよ。ふらり、おたよりしてみたりして。標本なだけ、止まった時間なのか、そこへはここからアクセスして行けるのだったか

なんだっけ、話半分。をみわたして、今日も毛糸編みを進めた。

TORABARA しわす12日

朝からお風呂に入りたくて、浴槽にお湯を張って、焚いてるけど、なかなかゆっくり時間がとれなくて、だんだん夜になってゆく。

垢太郎みたいに、粘土みたいなヨゴレにまみれた気分になっていって、夕刻の、仕事終わった直後に、チャポン。と入る至福。湯気も肌色。お風呂はいいな。

ポカポカとしている夜の時間。キリトリさん、チラシの好きな絵柄をハサミでチョキチョキキリトリすること。をしたり、毛糸編みのセーターは袖を編み始めた。身ごろから目を拾って、数えて、計算する。つまり、10センチ四方を、何目で何段で自分は編むのかをはかる。ゲージを取る、といいます。何センチの袖にしたいか、考える。

毛糸編みは、野暮なサイズ感にならないように、オシャレな今どきセーターのふんいきを纏えるように。