木版画の年賀状を、彫って刷ることを、再び始めよう。道具は用意した。
今日は、紙にハガキ大の枠をえんぴつでえどり描きして、図案を書き始めてみるところまでのつもりが
板に描いたらどうなる?少し彫ってみるか?色付けはどう?なんてやってるうちに出来上がりました。
版画を刷るような物好きが、美術道具店で、なんやかんや迷って、ほほう、こういうのが出来上がりましたか。

木版画の年賀状を、彫って刷ることを、再び始めよう。道具は用意した。
今日は、紙にハガキ大の枠をえんぴつでえどり描きして、図案を書き始めてみるところまでのつもりが
板に描いたらどうなる?少し彫ってみるか?色付けはどう?なんてやってるうちに出来上がりました。
版画を刷るような物好きが、美術道具店で、なんやかんや迷って、ほほう、こういうのが出来上がりましたか。
ダルっとなってる午前中、このまま昼寝かという時に、そうだ、ゴッホ観に行ってみよう。とネットの中のチケット予約ページを見てみたら、夕方近い時間に空きがあった。
いそいそ、お化粧したり支度している間に、はっはっはっは。みたいな弾んだ気分になっている。予定を2つも3つも付けて、出発。
予約してた本を受け取る。読み終わった本を返す。西新宿の高層ビルの、地下一階なのか地上なのかわからない、グラウンド。みたいなのが各ビルにあったりして、水が噴水とかプールになってたりして、イメージはオアシスなのかしら。昔からあるよね、というHAICHコーヒー屋さんに入って、プリンもいただきました。
やっと行けた場所。従兄弟が寺の住職で、昔々、忙しい時期に、こちらの(新宿の西にある)寺のお手伝いで遥々出張して来ていた。その時分に何度かわたしも上がらせていただいた。従兄弟は、三年前に他界した。寺で名乗ったら、務めの坊さんに、ああ、OBさん、お名前存じています、とのこと。お庭を見せてもらって帰ってきた。これを何の用事と呼ぶかわからない。
故人のことを知っている場所や人と、会ってみることでわたしは大使みたいな役割をはたしているのかもしれない。寺が古いままの造りで、どことなくほっとした。母も出自が寺で、子供の頃はしょっちゅう(母の実家である地元の)寺に上がらしてもらう、これは習慣だった。ただ正座して大人同士の世間話をひとしきり聞いている時間。線香臭い菓子パンと、カピカピにお供えしてる間に乾燥した果物をいただいて帰る。
いただきものの果物があるせいで、果物は買ってもらえなかった。果物とは水分もとんでいて焚き染められた線香の状態しか知らないため、もの凄い不味い物だとおもって育った。
わたしが寺に行ったことは、わたしの潜在意識にとっての体験だったかも、泣きそうなくらい、何かが感動している。
ゴッホ素晴らしかった
サイゴンレストランで、ダナンのビールRALUEを飲みたい。注文したことないメニューをたのみたい。今年は、三回くらい、来た。
豚串焼きをのせたビーフン、というメニュー。串?は付いてなかった。
1時間だけ本屋に寄るつもりが、9階から好きな棚をじっくり見てまわって、3時間も経ってる。今年になって、やっと、欲しい本が選べるようになったので、なにか買ってみたい。いままでは買うことに力んでしまって、本屋店頭と家の本棚で温度差のようなのがあった。
手に入れたことで嬉しくなるたいけん。抱きかかえるほど、選んで良かった本、と出会えることは、真に良い。
思いがけない所、コンビニの店入り口が、緑や花の鉢売場になっている。今日はプリンセチアが届いていた。電車で、顔のそばに薄いピンク色の花ざかりよ、いいね、は伝染する。
わたわたしてた日。1時間、朝によゆうがあればすべて解決しそう。追われた。時間に。
いつのまにか選んだつもりもないルートに乗っかって進んでいることを、一昨日の電話をかみくだいて、はっ。と気づいた。法というのは、底辺な邪心を想定され、それによる不利益を被らない。という構造をしています、それで、情(なさけ)が入りこまなくなっている。仏のこころ、とカイリしてるってこと。
話に何かの要素が全く無い、潤いと滑らかさが無い。という印象は、法の話だったせいか、その話し相手の世代が、加工された環境しか経験してこなかったことに因るのか。
来年は、その年初のお返事に委ねてあって、どちらだったとしても、天の声のように聞ける気がする。
いや、待てよ、なにかを探そう、空が開いている場所で、わたしを導くように願ってこよう。みたいなことを考えてた。勘をはたらかせるとき、空が開いてるところにて、空から注がれるカンカクを、言語化したのは初めて。
夜はゴージャスな料理よ。スペアリブを赤ワインで煮る。ほうれん草のバターソテー。アボカドとプチトマトとモツァレラチーズを、同じ大きさの角にカットして、オリーブオイル、ビネガー、塩胡椒。で和える。
すきな街で、なかなか行けなかった。今年、でかけないままだったから、今日が初。
ごちゃごちゃ雑貨を自分に選ぶ。えらびぬいてカゴに入れた。すごく昔の話、修学旅行のお土産を、欲しいままの勘でお買い物するタイプのコが、ものすごく上手に選んでた。見せ合ったとき、そのコの買い集めたほうを丸ごととりかえてほしいくらいも、ミラクルだった。わたしは計算して、つまらなくなる。理屈で選ぶと、枠が残るんだよね、安かったから、とかはダメ。これはながきにわたり貴重な学びになっている。
今日のおかいものは、そんなに買っちゃわなかったけど勘を手繰れていたとおもう。ぱーっとしたモノが売ってるお店だった。家に似合うとおもう。
朝、雨が上がって、晴れた。空気がおいしい。公園のお散歩。銀杏の黄色い絨毯の今日この頃。
夜、サラダを買ってくるようにお遣いをたのまれて、日曜日からお財布にさわっていなかったので日曜日のお出かけバッグにお財布が入ったままだった。お財布、お久しぶり。ってことが久しぶり。サラダは、5種類の葉っぱ。のパックにしましょ。
赤ワインと目が合ったので、いきなり、棚からもぎ取る。フランス産、MEDOC。こういうの、たのしい。
本日、申し込みをしたことのお返事によって、冒険になればいいとおもった。申し込みをする余地があったことは、感謝。げんざいかかわりがあること、が、次へのバトンになってゆく。
鳥が、窓の外に見える。一番近くの電線、かなり斜めに傾斜のある、留まりにくそうなところに、一時、足をしっかりふんばってる姿が見えたりして、とても、いい。
先日のはなし。白い、ちり紙で造花したみたいな、椿の花を、口に頬張って、隣の木に飛び移ったら、口から花がこぼれてしまった。随分いっぱいほおばってるね、ほとほとと、白い大きいのが、木の枝を伝った。鳥と花。による叙景詩。
鳥たちにとっての、気に入っている木があるみたい、一羽がその木であそんでいる間、別の二羽は上のほうから様子を見守っていた。もうじゅうぶんあそんだかい、そろそろ帰ろう。みたいなかんじで連れ立って飛んでいきました。
鳥の一員だったりしてわたし。みたいに見てる。
みしみしいうような、体。おきぬけに、なんだこりゃ、硬いってば体、な日。昨日も、このかんじだったな。ずっと家に居た。銀行に。行って、現金をおろしたほうがよくない?あと数百円しかなかったりして。しかし、金曜日まで、銀行へは行かないでいられるかゲームを、始めている。在るもので案外すごせる。
連絡が、たてつづけで入ってきた。わたしを誘う、というよりも、仲介業のメリットで、ダシになりそうな的なんじゃない?あんまし、素直に嬉しくない。振り子のちょっとした加減であって、運命と呼びようがない。みしみししてきている原因は、この一連のパッとしなさ。
魔法の杖で、あなた。と言われる。是非。と呼ばれる。羽根をつけたしごとは天からふってくるはず。地を這って足に絡みつきそうな類は、まちがい。
なんだかわからない靄なまま、つかみどころがよくわからなくなってる世代のひととの対話。VS、郵便で届いたサービスを活用してみるか。
夜の時間。ストラディバリウスで演奏された音楽を聴いて、毛糸編みを進めた。