TORABARA おしょうがつ2日

朝、スーパーが開いていて、ようやく、お節の材料をいくつか買う。大晦日に、栗甘露煮の瓶をさがし回り、なかったため、キントン作りを中止。そのまま、なんにも作らなかったのだ。

帰宅して、黒豆を水に浸ける。数の子を塩水に浸ける。たまごとはんぺんをミキサーにかけてオーブンで卵焼きにする。たたきごぼう。田作りは、胡桃を合わせた。

料理して、インテリアのことは、しないまま、夜やっとケーキも焼いてデコレーションしました。

クリーム白くてホワイトアウトしてる

やる気になるのを待つ、ぼうっとした時間というのが午後に、ひとしきりあった。

出かける。というのは薬になるというか、わたしは昨年も一昨年も、湿気て怠い時期に、旅の予定を立てたため、旅、旅、旅。と、旅計画で気持ちがいっぱいになり、わくわくと当日をむかえ、旅最中は、興奮しまくってるため、まったくだるさなど吹き飛んでいた。魔法があるなら、魔法の中にいましょう。

夜、だらだら、家のひととしゃべる。家のひとがいる時は、かぎりないまどろみ。半身浴して毛糸編みして、なにか、しなくちゃ、とせき立てているものの、粘土が土に戻るくらいもやわらかにゃん。なんにもしない、でいて、のろのろ、おしょうがつに、なりつつある。

おせち料理。伊達巻、田作り、酢牛蒡、黒豆。ほかに、数の子も作った。

TORABARA おしょうがつ1日

初春のお慶び申し上げます。

10時に起きて、神棚をととのえ、花をととのえた。近所老人が国立博物館へ行こうと言っていたのだが、おだやかな陽射しを楽しみながら家に居たい。けどまあ年初にむげに、約束をことわることはないか。と、思い直した。

剣舞を見学。
おおお
鬼の角?

博物館は、華やいでいました。浅草へ移動して、今半でお食事した。

獅子。立体彫刻。
千手観音さま
長谷川等伯さんの屏風絵の右端。
夕焼けが美しい
夜の風情も、よいですのぉ
混んでいて、小舟町の提灯の真下まで進み、ここまでで引き返す。
最後尾、の看板。更にいちじかんくらい待つかんじだったねー
今半さんのお膳。ご馳走でした。桜政宗を熱燗でいただく。

老人は、繰り返し、同じことを言う。テープ流しとけ、くらい、全く同じことを言っていた。今日のわたしは、このザマが耐えられない。

脳の活動を、お休みしている状態、というのは誰にもあるとして、その脳の基地で何を繰り返しやがる奴か。そいつの優越をなぞるエゴになっている場合は、多い。なにを優越だとかんじているか。トロく、かんじる。

長い付き合いがあった相手で、しまいの方は、繰り返し、壊れたラジオと化して、高校時代の君。の話題だけになり、辟易した。その人物は、学歴に優越があり、わたしの出自が進学校だと知るや、共通項の手綱かなんか、そこを脳の基地にしてたらしい。ひとは哀しい。

出かけたい日じゃなかったせいで、なにか、イラっとしていた。お正月らしい華やぎもあったから、よしとするか。わたしは赤い服、金ラメのチョッキを着た。近所老人は、そのへんの薄汚れたジャンパーを着ていた。そんなみすぼらしさは、お正月さまに失礼。

外に、運気があって、出かけることにより、幸運も授かるようにおもう。そのための覚悟持って、お洒落して出かけたい。

TORABARA しわす31日

大晦日。野菜を買って、スーパーに行き、好きなのを買い納めだわ、と高揚していて、ロゼシャンパン、高級なイチゴ、生クリーム。を選ぶ。お正月に、ケーキを焼く所存です。

自転車の後部に取り付けているカゴをプラスドライバーで外し、いきなりペンキ塗り直しを開始した。ペンキ、アンティークグリン色。お庭に新聞紙敷いて、ペンキを塗ってる。

それから、山茶花の垣根を、掃き清めた。花の匂いが、感じられる。水の匂いだと喩えるようなみずみずしさだ。

門扉二ヶ所を拭いた。窓二ヶ所も拭いた。誰一人、通りかからない。なんて静まりかえった一帯だろう。動きまわる生物が、わたしひとり。というのは、生物代表みたいな時間になっていて、とてもよかった。とても。

部屋の中の整頓は、間に合わない。今日のわたしは大胆な、サディスティックな性格になっていて、威嚇するようにシャウト。捨てちまえよ、使わなかったんだろーよ、又、買えよ、捨てると死ぬのか? 捨てろって。

といったふうに、一旦置いたまま、どこに最終的に仕舞うか、考えるのを一時停止してたものをほぼすべて、ゴミ袋に入れてゆく。つい先々月、土産に持ち帰った太鼓、最初燃えないごみの袋に置いて、しばらくして、救済した。太鼓、いるってば、神棚に近いところを飾るといいやつ。

攻防戦みたいに、自分とたたかいつづけて、くたびれる。今年は、ここまでだわ、来年また ごっそり捨ててゆく、続きをする。

夕刻が近づいてロゼシャンパンを開けた。日付けが変わる頃は、家のひとが音楽のユーチューブを見ているのを、いっしょになって見た。ファーストテイク、という緊張感あふれてる音楽演奏聴きながら、年越しとなりました。

午前1時ごろに、近所神社さんへ初詣。神宮大麻を授かる。旅の守りも持つといいんじゃない?と家のひと。家のひとがそう言うのはいがいだった。旅を反対してるとおもっていた。

年が暮れたかんじがしなかった。年が明けたかんじは、したかな、神社の太鼓の音。神社社務所の神職さんが爽やかな笑顔ですてき。生姜の入った甘酒もいただき、帰宅した。

TORABARA しわす30日

そわそわして、古いおふだとお守りを、神社さんに納めに行く。一年のお礼参りの日。神社さんの売店にて、上等な抹茶をお正月用に手に入れて、おでんと甘酒をいただいた。

材料屋へ移動。カーテンなおさなきゃ、それと鏡や、クッション、家のインテリアを整えるための布材料を入手。

帰宅して、窓を少し拭いた。わたしは、変わってきている。様相が。習慣が。ひとってかわるんだね、おせちりょうりをなにもつくりたいとおもわない。

赤ワインの上等を開けるとしようか、ぐいぐい、飲んだ。寝た。

TORABARA しわす29日

昼12時に、ヘアカットとカラーの予約。時間に余裕があったはずなのに、着ていきたいセーターが見つからず、部屋中をひっくり返して捜索していたら、45分も経っていてギリギリ、美容院に到着してやんの。

今日担当した美容師は、指圧が強すぎて、シャンプーの、マッサージが、ありえない痛み。指の跡で頭皮に血が滲みそうなくらいも強くて、さすがに言おうとおもったのだけど、施術されてるときって、まな板の上といっしょで、何されても任せてるしかない諦め。が覆う。シャンプーよ、早く終われってば。と、耐えてしまう。

仕上がりはステキだったけど、おまえ、指圧が痛いってば。というあとくちなので、次回からこの人はキョヒりたい。

昼ごはん。近所老人を新宿に呼び、伊勢丹の食堂をためす。おいしい。

新宿の、材料屋さんにも行ったのだが、エスカレーター真後ろに、長身で、ミニスカート姿の、熊リュックしょってるひとが、真顔で乗ってて、釘付けになる。8階に降りたのが気になって、自分の用事を忘れ、10階で金色ファーを探す?だっけ、これは今日じゃなくていい。そそくさと、8階へ行ってみて、熊ちゃんリュックのひとを目に焼きつけた。女神さんの化身かもよ、今日は収穫が多くて、緑の髪、水色の髪、坊主頭で短パン黒赤ファッションのひと。を見かけた。

年末らしいのは浅草ですね、と向かう。浅草寺の本堂に、ぎりぎりで入ることが出来た。今年の感謝を、五円玉投げて、伝えた。いい年でした。と、重低音みたいに、貫かれたおもいがありつつ、

信じられない父の思想の正体に触れて、それを遣っ付けきれていない。田舎という、得体の知れない村社会を、早々に抜けて、その地方流儀に毒されないまま、生きてくることができてほんとうによかった。熊ちゃんのリュックのひとを、一瞬で愛せそうになる感性に育ったことがよかったよね、村だと熊ちゃんのリュックのひとは袋叩きにあって、懲らしめられて、どーにも生きていけないだろう。

ああ、なんて東京は素晴らしい。

熊ちゃんのリュックのひとが暮らせることが、わたしの安堵感でもある、このかんじ。を、確かめていた。

自分の娘をネタにして、近所中と親戚中に、その冊子をばらまいた。わたしのことを知るひとたちに、ばらまかれた。そこに何が書いてあるか、精神病になって、学校の校庭を徘徊した。そのすがたは娘に非ず。と、書いてあった。この部分を、読んだ瞬間から、繰り返し再生を続けている。生半可にしか読まないひとが、いい加減に向き合うことも含めて、扱わせてはいけない事物を載せてしまっているとおもう。

あげつらいかたが、わざと刺激的な表現になっているところも問題だ。精神病を、見せしめる。醜さを、見せしめる。父は、僕ちゃん怖いものを見て怖かったー。と書いた。それが僕ちゃんの冒険だと書いた。

神経がまいってしまったときに、通院をして、処方された薬は、睡眠薬だったとおもう。長時間の睡眠をすることで徐々に神経が休まり、回復の兆しがあらわれた頃、外を歩き回れるようになった。

わたしは病を得て、家族の歪を、炙り出す役割があったとおもっている。その歪が正されたわけではない証が、今年、父が書いた冊子に、くっきりと出た。父の書き残すことやら、今まで書いてきたことやら、全部、燃やせるゴミ程度だろ、捨ててしまえばいい。

校庭を徘徊した、と公表した意図は、何か。障害がある状態を、わざわざ形容した。それを面白がって書いてみせた。悪趣味。嫌がらせ、を超えている、侵害行為。道徳観念の欠如、は、彼の世代にまぶされた教育に、その一端があるであろう。かといって、責を、時代のせいにして、彼個人を逃がすべきではない。いったいなにをかきやがったか。父よ、おまえのあやまちをあばいてやる。

まずいとおもわなかったらしい。なんにもおもわなかったらしい。冊子そのものが、痴呆老人の産物だった。老廃物撒き散らす、実害を、まともに被ったのだ。ゆるされることはない。ゆるせない部分の脳内再生回数が、いまだに減らない。化膿したまま乾かない傷。

TORABARA しわす28日

お正月用のお花を選びに行く。今年は、何度も、お花を選ぶ機会を持った。今日は、ピンク色の花束、薔薇と百合にしましょう、鉢植えも、ピンク。はなかんざし、ガーベラ、ラナンキュラス。全部を抱えてお店を出るとき、ほほ笑みがあふれてきた。

花と、つながったまま、花といっしょに、今年から来年の、時間のトンネルをくぐり抜けるのだ。

夜、家のひとと、台湾料理をいただきに行く。着たい服を、ちゃんとおめかしして、メイクもして、朱色のダウンコートを、お初に、おろした。かろやかな、ぱあぁっとしたおでかけ。お食事も、美味しかった。

年末行事は、掃除、掃除、それとお節料理を作るノルマで、いままでがんじがらめにしてきていたけれど、今年は、ぱたっ。と、やめてしまった。家のひとは、まともな日本の精進料理を食べたことが無くて、私が作るお節料理を食べる時の、ノルマ感、が私に伝わってしまったことも要因かもしれない。

わたしは、わたし自身に、上納する気持ちを、ちゃんと持ち直して、今年の残り時間に、ケリをつけてゆこう。という所存です。

TORABARA しわす27日

冬休み。掃除してお正月を迎えねば。ねば、ねば。という圧を自分にかけている。なんで?

カーテンで、破れてるやつと、埃溜まってるやつを、捨てた。新調せねば、ねば、ねば。気が遠くなって、外出をする。チャリでとなり町の、100均へ。老人とコーヒー飲もうか、と電話したら、ちょうどとなり町へ向かって歩いているところだった。

図書館入り口に、老人は、いた。この、行動の間合いを、知ってるかんじ。コーヒーとケーキ食べて、今年を振り返る。のだけれども、

コーヒー屋入口の自動扉が頻繁に開き、冷たすぎる外気が店内に吹きつけ、見た目だけ良いケーキは、ポロポロ崩壊してて、ケーキになってないじゃんよ、決定的にだめな所は、

掃除するべき箇所の、汚れを落とすことを怠りつづけた結果。が目に入ってしまった。年令が若いスタッフさんの、着眼点のあまさ。年令の若いひとの愚かさで、かつてスーパーの野菜売り場で、すでに腐っている野菜を、突きつけたとき、その野菜が腐っているか腐っていないか、判断がつかなかった、経験の足りない、無能なじょうたい。若い店員の無知剥き出しな顔付きに、茫然としたことをセットで思い出しちゃったわ、

わたしは気が付いてしまい、気がつくようになるまで、厳しく叱られつづけたようにおもう、から、なんでそれがゆるされてんだよ、このやろう、とおもう。そこ、磨けよ、

他所は、あきらめる。自分の家を、みがこう。

TORABARA しわす26日

仕事納め。走り抜いた。しごとを得ていて感謝しつつも、パソコン閉じたしゅんかんに、消す。「いやな念をもらわないまま」ってことに、近年、成功している。

今日の来訪者は、ふたり。

ネットで、宅配野菜のセールスを受けることを申し込んでいて、醤油とホットケーキミックスを持って、やってきたひと。始終、すっぴんでしかめ面なわたし。家のひとが、野菜売ってるなら詐欺じゃなさそうで、いいひと。という意見で、それならば、毎週、パン。届けてもらうコース、申し込みましょ。と、ケイヤクした。

もうひとり、ネット工事人。この頃、家の人は隣の部屋で睡眠していたため、わたしひとりが接客した。

家に上がってきてほしくない、部類として、道理に偏りを持っている。この、なんなのあんた。という観察をしていた。こちらを振り回しそうなことを、ぶしつけに発言してきて、それを、「整理して差し上げられなかった」という残滓が、交流後に漂う。

バタバタと、いきなり家の壁にビス開けていいっすか、と聞かれた。いや、ここ借りてますので、不動産と大家さんへ先ず相談がいります。なんか誰がどこに住んでるか、知らせてしまってるところとか、不快。この先、工事人が空き巣するための情報にもなり得る、という点で、もやもやする。

とにかく、工事が終わり、帰っていった。

対人する場面がある日に、すっぴんで済ませる、というのは、わたしに遠慮が生じる気がした。化粧が、武装になる。ことを、ぽかん、と忘れてて、だいたい、

昨日まではクリスマスなのに、飾りを取り出すこともないまま、今年は、ぼやっ。としているわたくし。

仕事納めののちに、赤ワイン飲んでほろ酔い。夜は、鍋。